その3

 ざざざ……。


 艦隊を組んだ帆船が大海を進んでいた。


 帆船には横一列に並んだ大砲が積まれていた。


 いわゆる戦列艦と呼ばれるものだ。


 先頭の戦列艦の船首に1人の青年になりたての少年がいた。


 真っ黒な黒髪が印象的なのだが、ボサッとしていて、まるで寝起き直後のようだった。


 まあ、実際寝起き直後だったのので、当たり前と言えば当たり前だった。


 だが、髪を梳かしてから甲板に上がってもいいものだ。


 その彼は欠伸をしながら前方を眺めていた。


 まるで死んだ魚の目をしていた。


 それも見たらドン引きするぐらいの死んだ目だった。


 そして、この場にいるのが嫌で嫌で堪らないと言った雰囲気を醸し出していた。


 彼の名はエリオ。


 フルネームはエリオ・クライセンと言った。


 17歳になったばかりだった。


 そう、第3次アラリオン海海戦から3年が経過していた太陽暦534年5月の事だった。


「閣下、あからさまにやる気の無さを見せつけないで下さい」

 参謀長のマイルスターがいつの間にかにエリオの背後に立っていた。


 マイルスターはエリオより6つばかり年長だ。


 その年長者が閣下呼ばわりしているのは、公爵家の惣領だからだ。


 どうやら惣領の地位に3年間は居続けられたらしい。


 公爵であるエリオは威厳たっぷりに、と言った言葉とは全く正反対に、面倒くさそうにマイルスターの方を向いた。


「……」

 エリオは無言だった。


 マイルスターの方はエリオが何か言うのをジッと待った。


 ……。


 しばらく、沈黙が流れた後、エリオは再び面倒くさそうに前に向き直った。


「閣下、せめて何か言って下さいませ……」

 マイルスターは頭を抱えながら不満を述べた。


「閣下呼ばわりは、好きじゃない……」

 エリオは前を向いたまま、つまり、マイルスターに背を向けたまま、ポツリと言った。


 面倒くさそうな表情から寂しそうな、というよりは虚しいような表情に変わっていた。


「では、提督……」

 マイルスターはエリオの呼び方を変えようとした。


「それも、好きじゃない!」

 エリオの方はマイルスターが「提督」と言う言葉を出した途端にシャットアウトした。


 シャットアウトされたマイルスターは口を開けたまま黙る他なかった。


 ……。


 再び沈黙の時が訪れた。


 エリオが「提督」とも呼ばれるのにはちゃんとした訳があった。


 クライセン公爵家は代々リーマン王国海軍の総司令官を務めていた。


 エリオは公爵家を継ぐと同時に、その職にも就任していた。


 まあ、それは前に話した通りだが、この地位にも無事居座り続けていた。


 だが、しかし、実質権限がない……と言っていいだろう。


 そう、副司令官のホルディム伯が実質の権限を握り、采配していた。


 伯爵の政治力を比べると、自分がただの小僧でしかないことを痛感させられた。


 王都にホルディム艦隊が駐留しているという点も、政治力を高めていた。


 その艦隊の指揮官は、嫡子であるアリーフ子爵こと、サイオ・ホルディムが務めていた。


 エリオには最初分からなかったが、政治力に加え、武力と功績がバックにあるとその発言力は相乗効果をもたらす。


 更に、王都に常にいる訳ではない当主カイオ・ホルディムの代理人を置く事で万全を期していた。


 その代理人は、副司令官代理という臨時職に就かせ、その職をアルーフ子爵に任せる事で、権限を与えていた。


 副司令官代理という職は、副司令官がいない場合に設ける職であり、いる場合は設ける必要のないものである。


 しかし、ホルディム伯爵家は政治力を使って、それを設置し、クライセン公爵家に圧迫を加えていた。


 こうした状況下で、エリオが成人した1年前から両家の争いは更に激化してきていた。


 これはエリオの成人に伴い、クライセン公爵家の巻き返しが始まるのではないかというホルディム伯爵家の警戒心から来るものだった。


 とは言え、今の所、エリオは一方的にやられていた。


(やれやれ、これだけ摩擦が多いと、流石に嫌になってしまうな……)

 エリオは本当にうんざりしていた。


 エリオが何か言おうならば、それに対抗して、違う事を言ってくると言った感じの事が続いていたからだった。


 それが、最も顕著に表れたのが、成人後のエリオの正式な総司令官就任だった。


 これまで、未成年だったので、(仮)が付いていたのだが、成人になったのだからそれを外す動きがあった。


 だが、その件は、海軍中枢部で、反対が多かった。


 中枢部は、伯爵派に乗っ取られていたので、当然なのだが……。


 それを押し切ったのが、エリオの大伯母に当たる現女王ラ・ライレだった。


(実績も何もないただのガキが努めていい職ではないよな……)


 エリオには常にそう言った感情があり、この3年でそれを益々こじらせていた。


 とは言え、これは正当な評価ではなかった。


 父サリオが生きている頃から実質的に指揮をしていたのは、エリオであった。


 そして、先の第3次アラリオン海海戦でもその辣腕ぶりは存分に発揮されていた筈である。


 しかし、それを認めさせて初めて実績となるものであり、その意味ではそれを認めさせるだけの政治力が無かった。


 エリオはその政治力の無さを嘆いているようだった。


(まあ、俺は、能動的に動く方ではないし、ましては覇気というものには無縁な存在だし……)

 エリオは現実を突き付けられる想いで、益々卑屈になっていった。


 だが、幸いな事に、総司令官の重責に押しつぶされるという事はなかった。


 それは、クライセン公爵家の分家に当たるホルディム伯爵が副総司令官として一切合切を仕切っていたからだ。


 無論、それは親切心からと言うものではなかった。


 単に、ホルディム伯爵家がクライセン公爵家の地位を奪おうとしているものだった。


(やれやれ、代わってくれると言うのなら代わりたいのだが……)

 エリオは心底そう思っていた。


 だが、そうは問屋が卸さないと言った状況だった。


 エリオを現在の地位に就けた女王がそれを許す筈はなかった。


 女王がエリオに肩入れするのはその正当性から来るものだけではなかった。


 女王には双子の妹がいた。


 その名は、ラ・ライラ。


 エリオの祖母に当たる人物である。


 ラ・ライレとラ・ライラはとても仲のいい姉妹であった。


 一卵性双生児ではなかったので、似てはいなかった。


 今は白髪はくはつになってしまったが、見事な金髪を持つラ・ライレと艶やかな黒髪を持つラ・ライラの姉妹であった。


 情熱的な姉と温厚な妹と言った感じで、性格も正反対だったのだが、2人は常に支え合って生きていた。


 後に、姉が女王に、妹がクライセン家に嫁いだ後も、その関係は続いていた。


 だが、エリオの父サリオを産んだ辺りから、ラ・ライラは体調を度々崩すようになってしまった。


 ラ・ライラは元々体が丈夫ではなかった為、ラ・ライレの願いも虚しく、間もなく亡くなってしまった。


 それに嘆き悲しみをしたラ・ライレだったが、それを補うように、ラ・ライラの忘れ形見であるサリオに、自分の息子と娘達同様に愛情を注いだのは言うまでも無かった。


 そして、その愛情は、早くに母親を亡くした大甥であるエリオにも向けられていた。


 しかも、妹の髪を譲り受けたような黒髪を持つエリオに対しては、別格と言ってもいいほどだった。


 ある意味、女王は何故か自分の娘達や孫達より、大甥であるエリオを一番可愛がった。


 とは言え、それは猫可愛がりではなかった事はここに記しておく。


(陛下に今の地位に就けて頂いたが……。

 まあ、はっきり言って有り難迷惑なんだよな……)

 エリオは常にそう思っていたが、口には出せないでいた。


 とは言え、この思いはちょっと正確ではない。


 得てして、自分に無条件で愛情を注いでくれる人に対しての表現っていうのは難しい。


 エリオの方も女王に懐いており、尚かつ、尊敬もしていた事は間違いが無かった。


 また、度が過ぎるのではないかと思う事も度々あった。


 その辺の複雑な感情が何とも言い難い感情となっているのは間違いなかった。


(まあ、俺が今の地位にいるのは陛下のお陰なのだが、陛下自身の筋を通すという考えもあるんだろうな……)


 王侯貴族には神聖不可侵と呼べる序列がある。


 それに挑むホルディム伯爵家は許しがたいものが、女王にあるのは言うまでも無かった。


 だが、女王は自らはホルディム伯爵家を排除に動く事はけっしてしなかった。


(まあ、後の権力闘争は自分で何とかせいと言った事なのだろうけど……)

 エリオは頭を抱えたかった。


 女王の愛情深さは身に染みていたが、これに関しては些かどころか、かなり愛情が深すぎる仕打ちだと感じていた。


(女王の立場からすると、筋は通すが、どちらかに加担する事はないと言う事なのだが……)

 エリオは思案を巡らせているつもりだが、次々に脳裏に浮かんでくる考えが自分を単に苦しめているだけのような気がしてきた。


「閣下、いつまでのそんな不甲斐ない態度では艦隊の指揮に関わります」

 いつまでも黙っているマイルスターは仕方がないなとばかりに小言を言い始めた。


 まあ、エリオがまた迷走し始めたのを察しての事なのだろう。


 エリオはエリオで小言が始まったのを受けて、迷惑そうにマイルスターの方を振り向いた。


 ずしぃーん……。


 場の空気を切り替えようとしたマイルスターだったが、大失敗し、返って場を重くしてしまった。


(まずい……)

 マイルスターは気まずい思いをしていた。


 だが、嫌な雰囲気になった所に、

「提督、スワン島を確認、昼前には港には入れそうです」

と明るい声がした。


 声の主の名前はシャルスだった。


 場の空気を読まないシャルスだったが、それを遺憾なく発揮したと言った感じで場の空気を粉砕した。。


 タッタッタ……。


 そのシャルスはエリオとマイルスターの間の空気を読もうともせずに、甲板を軽快に走って、2人の前にやってきた。


「2日遅れですが、無事に到着しそうですね」

 シャルスは屈託のない笑顔でエリオにそう言った。


 この笑顔はシャルスの性格をよく表していた。


「でも、まあ、護衛艦隊がいなければ、予定通りに到着したのでしょうが」

 シャルスは笑顔のままそう付け加えた。


 テキパキ、テキパキ……。


 どんよりしているエリオの後ろでは水兵達が驚くほど効率的に艦隊運営を行っていた。


 そう、何の問題もなかったのである。


 つまり、遅れたのはエリオの艦隊のせいではなく、ましてやエリオの指揮能力が低いからではなかった。


 なので、お小言を言ったマイルスターは素知らぬ顔を決め込む他無かった。


 まあ、尤も、マイルスターは迷走しているエリオを現実に戻す切っ掛けにお小言を言っただけだったのだが。


 シャルスはそんな2人に構わずに、

「でも、不思議ですね。

 護衛艦隊とか言っているのに、我が艦隊の足を引っ張っているのですから」

と言葉を重ねた。


 ただ、この言葉は明らかに嫌みの筈だった。


 だが、シャルスの笑顔の前にはそう言ったニュアンスは全くなかった。


「ぶっ……」

 やさぐれていたエリオもシャルスには適わないとばかりに吹き出していた。


 2人のやり取りを唖然として見ていたマイルスターだが、エリオの気持ちが持ち直したのを見て安心した。

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