その2

 ぱった、ぱった、ぱった……。


 風で力なくはためいている帆の艦上に、難しい顔をして仁王立ちの中年男がいた。


 エリオと全く同じ格好だが、こちらは威風堂々という言葉が当てはまっていた。


 まあ、比べるだけ、野暮なのだが……。


 男の名前はオーマ・ルディラン。


 ルディラン侯爵家の惣領であり、バルディオン王国の海軍の総司令官を務めていた。


「敵艦隊の総数67隻。

 こちらをやや上回ります」

 副官のヘンデリックが報告を済ませていた。


「演習だからここまで出張ってきたのに、遭遇戦になるとは付いてませんな」

 初老の域に達してはいたが、がっちりした体格の持ち主であるヤーデンが、かったるそうに言った。


 これでも、彼は海軍の総参謀長だった。


「ああ、付いていないな。

 しかも、よりによって、クライセン艦隊の総旗艦艦隊と遭遇するとはな」

 オーマは警戒するようにそう言った。


 その態度に、ヤーデンとヘンデリックは共に意外そうな表情を浮かべた。


 オーマは当代一の提督として、内外に広く知られていたからだ。


 そのオーマが警戒心を露わにしたからだ。


「クライセン公爵家は名門とは言え、現総領は艦隊指揮に関しては、凡庸と聞いておりますが……」

 ヤーデンは気になったのでそう言った。


 凡庸と言われると、大体の人はいい気がしないかも知れない。


 特に地位が高い人ほど、馬鹿にされた気になるだろう。


 だが、エリオの父親であるサリオ・クライセンは例外の方の人だった。


「敵を侮るのは良くないと思う……」

とオーマはやや歯切れの悪い前置きをしてから、

「ここ最近のクライセン総旗艦艦隊の戦い方が変化してきている」

と警戒を促すように言った。


「エリオ・クライセンの影響ですか?」

 ヤーデンの口からエリオの名が出てきた。


 知られている所には知られているという感じで、マニア受けするのだろうか?


「!!!」

 オーマは警戒心を露わにしたが、何も言わずに頷いた。


 それは、ヤーデンにはとても嫌な予感を抱かせた。


 オーマの視線は敵艦隊の方に向けられていたままだった。


 何か、付け足す様子はなかった。


「確かに以前に比べると、派手さがなくなったように見受けられますが、どうでしょう……」

 ヤーデンは、ある意味納得できないでいるようだった。


 嫌な予感はしたものの、気の回しすぎたと感じているのだろう。


「最近は戦った事がないから、はっきりしたことは言えないのだが、戦況報告を見る限りでは、戦いを完全にコントロールしているように思える節がある」

 オーマはヤーデンの疑問に答えるように言った。


「完全にですか?」

 ヤーデンの疑問は更に深まったようだった。


「あ、まあ、それは言い過ぎかも知れないがな……」

 ヤーデンの表情を見て、オーマはエリオをやや買い被りすぎたかも知れないと感じ始めていた。


「私の記憶の限りですが、ここ数年で、クライセン艦隊はウサス帝国艦隊の戦闘艦を5隻撃沈しています。

 それに対して、被撃沈数はゼロとなっています」

 ヘンデリックが2人の会話にそう付け加えてきた。


「意外にウサス帝国艦隊の被害が大きいな。

 確か、いずれも小競り合い程度で大きな海戦にはならなかったと記憶しているが……」

 オーマは嫌な感じを受けていた。


「はい、おっしゃる通りでございます。

 いずれもクライセン艦隊は一撃離脱のような戦い方をしています」

 ヘンデリックは尚も説明を付け加えた。


「ああ、前に出ようとした所を叩かれて、足を止められてしまった後に、敵が離脱。

 見事なものだよ」

 オーマは感心しているが、敵のことなので忌々しくも感じていた。


「足を止めたなら、攻勢を掛けてきてもいいのではないでしょうか?」

 ヤーデンはふと感じた疑問を口にした。


「ああ、そうなんだがな……。

 忌々しいだろう?」

 オーマは苦笑いした。


「確かにそうですな」

 ヤーデンはオーマに同意した。


 オーマとヤーデンは共通な認識を共有したようだった。


 そして、押し黙ってしまった。


 ……。


 2人共、言い知れぬ緊張感のような認識を持ち始めていた。


 戦略的という言葉が2人の脳裏に浮かんだのは間違いがなかった。


「あまり、嬉しくないデータだったようですね」

 沈黙してしまった2人に追い打ちを掛けるようにヘンデリックはそう言った。


「まあな……。

 戦いの天才かも知れないな……」

 オーマは再び苦笑いしながらそう呟いた。


「閣下のお言葉は些か大袈裟のような気がします。

 まだ、14歳の小僧ですよ」

 ヤーデンは口ではそう言っていたが、表情から察するとオーマの言葉をまるで否定はしていなかった。


「この場合、歳はあまり関係ないかも知れないな。

 戦闘技術ならまだ体が出来上がっていないから厳しいだろう。

 だが、知略を駆使した海戦なら、例え14歳であっても才能が開花していてもおかしくはない。

 多くはないが、過去に何人もそう言った人物はいたからな」

 オーマはいつの間にか饒舌になっていた。


「確かに、サラサ様も13歳でいらっしゃいますが、その才能に関しては空恐ろしいものがありますから」

 ヤーデンはオーマの言ったことに同調し始めていた。


 サラサとは、オーマの娘であり、ルディラン艦隊でも一目置かれるような存在になりつつあった。


「……」

 オーマはサラサの事を褒められたので、親バカと思いながら笑みを浮かべたが、敢えて何も言わなかった。


 ざぁば、ざぁば。


 波によって艦が小刻みに揺れた。


「やはり、お連れになった方がよろしかったのでは?」

 一呼吸置いてから、ヤーデンはそう聞いてきた。


 その言葉を聞いて、オーマはサラサが今回の訓練に付いて来たがったことを思い出していた。


「いや、連れてこなくて良かったと思っているよ」

 オーマは意外にもそう即答した。


「!!!」

「!!!」

 オーマの言葉にヤーデンとヘンデリックが一瞬固まってしまった。


 重い空気になったのは言うまでもなかった。


「現在の状況はそれ程危険なのですか?」

 ヤーデンは、気を取り直すかのように、聞いてきた。


「油断ならない状況だとは言えるね」

 オーマの視線は遠くを見ていた。


「???」

「???」

 ヤーデンとヘンデリックはお互いに顔を見合わせていた。


 どういうリアクションを取ったらいいのか分かりかねていた。


 先程からオーマの態度がらしくない。


 と同時に、自分達も自分らしくないような気がしていた。


「敵中央の前の5隻、あれがエリオ艦隊だよな」

 オーマは視線の先の事に触れた。


「はい、おっしゃる通りでございます」

 ヘンデリックはそう答えた。


 いきなり現実に戻されたような気がした。


「あの5隻、新造艦だよな。

 他の艦と比べて、2回りぐらい小さい」

 オーマは視線そのままで話を続けた。


「はぁ……」

 ヤーデンは溜息のような困ったような声を上げた。


 こちらのいきなり現実に引き戻された気になっていた。


 とは言え、それが長く続かないかのように、再びヘンデリックと顔を見合わせていた。


「小さい分、乗せられる砲の数は少なくなっている……」

 オーマの話はまだ続いていた。


 ヤーデンとヘンデリックはオーマが何が言いたいのか依然掴みかねていたので、益々困惑していた。


「腹立つと思わないか!

 砲の数を減らしてもこちらとは十二分に戦えると思っている。

 完全に力量の差を見せつけている!」

 オーマの声のトーンは一段階上がった。


 ヤーデンとヘンデリックは今度は失笑する他なかった。


 航海技術に、操船技術、そして、砲撃技術はクライセン艦隊が抜きん出ていた。


 他の艦隊もその技術を磨き、追い付こうとしているが、何故か追い付けないでいた。


「まあ、そうなんでしょうが、戦術・力量に優れているエリオ・クライセンは何故今回仕掛けてくるのでしょうか?

 今回の戦いは戦略上、何の益にもならないと思うのですが……。

 戦術には優れているが、戦略には暗いという提督なのでしょうか?」

 ヤーデンはオーマが何を考えているか分からないので、それを探る為に質問をしたようだった。


「そうであると大変助かるのだが、ね」

 オーマは溜息交じりにそう言った。

 

 ヤーデンとヘンデリックはオーマの次の言葉に注視していた。


「ほら、あれ」

とオーマは敵艦隊の左翼を指差してから、

「ホルディム艦隊は突出しているが、クライセン艦隊は突出していない。

 意外と、エリオ・クライセンはこの戦いを避けようとしているのではないか?」

と続けた。


「我々と同じような考えなのですな」

 ヤーデンは感心しているが、同時に戸惑っていた。


 ウサス・バルディオン連合艦隊の陣形は梯形陣のような形になっていた。


 右翼のルドリフ艦隊が突出していて、左翼のオーマ艦隊が出遅れているので、意図的に取った陣形ではなかった。


 - 艦隊配置 -


 As SC   リーラン王国側

   EC


     Hr

 ~~~~~←海による隔たり

     RH ウサス帝国・バルディオン王国側

   Hi

 OR


 As:アスウェル艦隊、SC:サリオ艦隊(旗艦)、Hr:ホルディム艦隊

 EC:エリオ艦隊

 OR:オーマ艦隊、Hi:ハイゼル艦隊(旗艦)、RH:ルドリフ艦隊

 ---


「まあ、尤も我らの場合、手伝い戦だから乗り気ではないという面もありますが」

 ヤーデンは本音を漏らしていた。


 オーマ艦隊はこの戦いには乗り気ではないので、意図的に艦隊の速度を落としていた。


「ならば、激しい戦いにはならないのでは?」

 ヘンデリックが希望的観測を述べた。


「そうなる事を願うよ」

 オーマは心底そう思った。


(だが、我が艦隊の右翼がルドリフ艦隊、敵艦隊の左翼がホルディム艦隊とは、最悪の組み合わせには違いないな)

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