第30話


 部屋の中でも聞こえる雨の音。


 どうやら今日は雨が凄いらしい。 


 ノアの箱舟のように、この世界そのものが流されてくれればいいのに。


「……あ」


 部屋の中に居続けて、今日で何日目だろうか。


 食事はアリシャさんが部屋の前に置いてくれるし、必要な物は言えば手配してくれる。


 最低で最高の生活。


 虚空を見つめるイザヤの目に光は見えない。


 

 俺は何をしているんだ……?

 

 記憶を取り戻したのが間違いだったのか。


 なんでこんな目に?

 

 なんで俺じゃなくて母さんがこんな目に?


 俺が悪いのだろうか。


 記憶を取り戻したせいで出来事が変わり、母さんが階段から落ちたのか。


 全部、俺のせいなのか。


 ヒールデイズと同じように、物語の舞台に上がることなく、ひっそりと生きていれば良かったのか。


 問いを抱いても、誰も答えを返さない。


 当たり前の事実が、よりイザヤを蝕んでいく。


 擦り切れた手を天井へ伸ばす。

 

 母さんは倒れた。


 お嬢様からは逃げた。


「……ハハッ」


 ならば、俺の手元には、何が残っている?










 雨が降っている。


 夏の熱い雨ではなく、心の芯まで冷やす冷たい雨。


 ザアァァァと雨は世界を支配していた。


 オレンジ髪の少女は、ずぶ濡れになりながら、ある人の元を訊ねている。


「傘もささずどうした? 風邪をひくぞ」


「そういうアンタも傘さしてないじゃない……」


 言っているように、ウユリもずぶ濡れだ。

 

 しかしミュリエルと違って、濡れている姿すら様になっている。


「今日はどうした?」


「……」


 数少ない残った私のプライドが、抵抗する。


「……イザヤの話は聞いている」


「……そう」


「……もう一度言う何のために来た? あたしはこの後大事な用事がある。要件がないなら帰ってくれ」


 森の奥へ行こうとするウユリ。


 駄目。


 行かないで。


 私を置いていかないで……。


「……悪い」


「聞こえなかった。もう一度言ってくれ」


「……私が悪いの……?」


 絞りだされた少女の悲鳴。


 イザヤと別れてからずっと悩ませ続けた疑問がでた。


「イザヤのことか?」


 ミュリエルは黙って肯定する。


「……良いも悪いもない。善悪は物事の本質を隠すためにある」


「じゃあ何なの……? なんでイザヤは私を見てくれないの……? 私が、私が悪いからじゃないの……?」


 難しいことなんて私には分からない。


 悪いのか、そうじゃないのか。


 私にはそれですら難しいのに。


「……そうか。ならば言ってやる。


 しかしウユリの答えはミュリエルの求めているものではなかった。


「お前……たち……?」


「そうだ。悪いのはイザヤとミュリエル、両方だ」


「分からない……意味が分からないよ!」


「……なあミュリエル。お前が思っている何万倍も世界は複雑で残酷だ。少なくとも、今のお前では何事も解決できはしない」


「……分からないって……」


 やめて。


 たとえ正しいのだとしても、私は分からないの。


 拒否反応を示すミュリエルを前に、ウユリは天を仰いだ。


 そして懐かしむように目を閉じた。


「ある時、二人の仲がいい少女たちがいた。一人の少女はもう片方の少女の大切な物を、ふざけて盗んだんだ。そうしたら盗まれた方の少女は怒り、盗んだ少女の大切な物を壊した。結局、二人は喧嘩をし、離れ離れになってしまった」


 急になんの話……?


「ミュリエル。お前はどっちの方が悪いと思う?」


「え……」


 そんなこと、急に言わないでよ……。


 真剣な雰囲気に負け、ミュリエルは、


「……どっちも悪いんじゃないの?」


 という結論を導き出した。


 先に手を出した方の少女も悪いけど、仕返しだからと言って壊すのも悪い。


 だから二人とも悪い。


 ウユリは仰ぐのをやめて、私の目を除いて来る。


「それを同じだ。イザヤとミュリエル。お前の要望に沿うならどっちも悪い」


 理解してしまった。


 いや、とっくのとうに理解していたんだ。


 分からないふりをしていた。


「何故自分のことになった瞬間に極端にしか考えられなくなるんだ?」


 なんでって……それは……。


 苦しそうな顔をするミュリエル。


 決定的な一打を、ウユリは言い放つ。


「築き上げてきたプライドか、自分自身への否定感情か。どちらかじゃないと納得しないのか?」


「……っ」


「認めたくないんだろう。どっちかの自分しか認めたくないんだろう。ミュリエル=エトワールは、二人の姿しか許してくれないんだろう。貴族の娘として威厳のあるミュリエルか、自分が全部悪いと思い続けることしかできないミュリエル。その二つしか」


 ミュリエル=エトワール。


 エトワール公爵家の一人娘にして、次期当主になる存在。


 特別な家庭環境で育った彼女は、環境に適応する中で、極端化していった。


 自分を肯定する側面と、自分を否定する側面。


 それ以外が分からなくなってしまっていた。


「お前はイザヤが大事か? イザヤの隣にいたいと思うのか? 」


 わ、たし……は……。


 イザ、ヤ……は……。


「あの時と同じだ。イザヤと、二つの自分。どっちが大事だ!? 自分の人生はっ、どちらに捧げたいと思うんだ!? 答えろ!!! ミュリエル=エトワールッ!!!」




――――嫌い。

 

――――コイツ本当に嫌い。


――――なんなの本当に……。


――――いつも上から私を見て、尚且なおかつ意地悪で。


――――なのに感謝しないといけないのが、本当にムカつくし嫌い。




『――――どっちを選ぶなんてそんなこと、言わなくても分かってるでしょ?』


 

「……そうか。今回の話は善悪じゃない。謝れるかどうかだ」


「うん」


「あたしは用事がある。じゃあな」


「じゃあね……ありがと」


 二人の女性はお互いに背を向け、自分のやるべきことを成すために進んでいく。


 濡れて垂れた前髪をかき上げ、雨の中を突き進んでいく。


 もう迷わない。


 雨の音にかき消され、ミュリエルは気付けない。


 覚悟を決めた少女の肩を、黒装束を身に纏った人間が掴んだ。


「ミュリエル様。お迎えに上がりました」


――

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――


「――――――え?」

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