第29話
アリシャたちに肩を貸してもらい、屋敷まで戻る。
状況が掴めぬまま、案内されたのは医務室。
ようやくアリシャの言っていたことが理解出来た。
ところどころに包帯を巻き、ベッドの上で横たわっている母さんを見て。
「母さん!」
駆け寄って体を揺らすも、反応がない。
「一体何が……母さんは大丈夫なんですか!?」
現実が受け止められないイザヤに、ヘンリが近づいて言った。
「落ち着いて下さいイザヤ殿……アリシャが申したと思いますが、セレスティナは階段から転落してしまったのです……」
「そんな……」
なんで……こんなことに。
今朝色んなこと話したばかりなのに……。
なんで……眠ってしまっているの……?
「彼女の容態は良いとは決して言えません。生死の境を彷徨っている状態です」
「母さん……母さん……」
これは夢か……?
だってさっきまで元気で……目を覚ましてよぉ……。
「イザヤ! イザヤ!」
暗い空気に似つかわしくない明るい声が響く。
ミュリエルがやって来たのだ。
「……お嬢様」
「イザヤ! 大丈夫!? 」
イザヤに駆け寄るミュリエルを、ヘンリが制止した。
「……お嬢様。今はお控えください。イザヤ殿の邪魔をしてはなりません」
「なんでよ!? 私はイザヤの為を思って……」
「お嬢様。行きましょう。我々はこの空間にいるべきではありません」
「ミュリエルお嬢様。行きましょう……今は我慢してください」
「ち、ちょっと!? 離してよ!!!」
彼女がここに居てはいけない。
引きずられて、強制的に連れていかれるミュリエル。
彼女の抵抗虚しく、医務室の中には、寝たままのセレスティナとイザヤ二人だけになった。
「母さん、起きてよぉ……お願いだから……」
理解したくない。
とっくのとうに理解出来ているけど、理解出来ないで欲しい。
こんな現実はあってはならない、ならないんだ。
「クソッ……どうして」
涙が零れ、セレスティナの顔に落ちて跳ねる。
物語なら目覚めてくれるが、現実は優しくなかった。
目覚めぬ母を抱えた少年の慟哭は、屋敷の中に響き渡り続けたという。
翌日、その翌日になっても、セレスティナの容態は回復しなかった。
ショックのあまり寝込んでいたイザヤだが、これ以上休み続けることは許されず。
専属使用人に復帰したが、魂ここにあらず。
呆然としていた。
「イザヤっ!」
「……」
「ねぇ! イザヤっ!」
「……なん、でしょうか」
「私を見てよ!」
…………え?
お嬢様は何を言っているんだ?
「イザヤが悲しいのは分かる……けれど、ちゃんと私を見てよ! 私を忘れないでよ!」
なにをいっているんだ?
お嬢様はなにがいいたいんだ?
「私はここにいるの! だから私をずっと見ててよ!」
お嬢様は……否定するのか?
俺のこの想いを。
「私を、私だけを見て! 母親なんて置いて、私を見てっ!!!」
瞬間、イザヤの理性の紐が解けた。
「――何が、分かるんですか?」
ずっと我慢していた少年の独白が止めどなく溢れていく。
「お嬢様に何が分かるんですか!? 父親がいなくて、女手一つで俺を愛し育ててくれた母さんが……倒れたんだぞ!? この悲しみの、どれが分かるって言うんですか!?」
分かりはしない。
両親がいるお嬢様に、この気持ちは分かりはしない。
慰めはいらない。
要望もしてほしくない。
ただ、放っておいてくれ……。
「私はっ……ただ、見て欲しくて……」
お嬢様とそれなりの時間を一緒に過ごしてきた。
お嬢様が今どんな感情を抱いて、どんなことを求めているのか、察しはつく。
だけど曲げられない物は、俺にだってある。
イザヤは甘い思いを嚙み殺し、言葉を捻りだす。
「本当にッ……黙ってくれッ……」
言葉を選んだ挙句の言葉。
しかしミュリエルも折れない。
「ずっと……ずっとそう言ってるじゃん! いつになったら私を見てくれるの!?」
「……」
「具体的にいつなのか教えてよ! 明日なの!? 明後日なの!?」
「だから静かにしてくれよ!!! なんで俺に構う……んだ……」
泣いていた。
お嬢様は泣いていた。
ずっと顔を合わせず、勢いで見たお嬢様は泣いていた。
泣いたことで発生する
彼女を直視した途端、イザヤの中にあった怒りがすーっと引いていく。
彼に残ったのは、行き場のない感情だけだった。
「……くっ」
俺は部屋を飛び出す。
居れなかった。この場に居れなかった。
これ以上お嬢様も見続けることも、怒りをぶつけることも出来ない。
ただ、居ることが出来なかった。
少年の後を追いかける存在はいない。
ふらふらと、自室へ向かって逃げ続ける。
自室の扉を開き、陳腐なベッドへ縋るように飛び込む。
落ちかけていたシーツを手繰り寄せたら涙が出てくる。
もう、後戻りは出来ない。
その日から、イザヤは自室に籠り始めた。
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