第28話


 もう季節は夏ということで、植物たちは嬉しそうだが、暑さが厳しくなってきた。


 この世界に冷房なんてものはなく、氷だって貴重品だ。


 せいぜい日陰で涼むか、水浴びくらいしか暑さから逃げる方法はない。


 これ以上暑くならないでくれと願いながら仕事に従事し、廊下を歩いていると、見知った顔とすれ違う。


「あ、母さん」


 セレスティナはイザヤを見るなり嬉しそうな顔で近づいて来る。


 仕事中に合うのは珍しい。


 同じ屋敷であっても仕事場所が全く異なるからだ。


「イザちゃん! ちょうど良かったです。これ食べますか?」


 籠の中から瓶を取り出すセレスティナ。

 

「……これは?」


「ベリージャムです! 砂糖ふんだんに入れているので、甘いですよ?」


「でも、食べちゃ駄目でしょこれ」


 こういう甘味系は使用人が食べる物ではなく、ご家族ようなはず。


「少しなら大丈夫です! ほら、あーん」


 掬って俺に差し出して来た。


 仕方ない、少しだけなら……。


「あ、あーん……」


 パクッ。


 うん、甘くて美味しい。


「これはイザちゃんへのご褒美です……仕事の方は順調ですか?」


「うん。順調かな」


「それは良かったです」


 母さんの方も相変わらず元気そうでよかった。


「ねぇ、母さんは行きたい場所とかある?」


「そうですね……素直に言うなら、色んな行ったことのない場所に行きたいです。オリフィラ王国の端の方とか、他の国にも行ってみたいです」


「いいね。俺も将来的には色んな国に行ってみたいな」


「けどどうしてそんなことを聞いてきたんですか?」


「何となくだよ。本当に深い意味はない」


「そう……ですか?」


「まあ……けど、いつか、母さんを色んな場所に連れて行ってあげるよ」


「本当ですか!?」


「うん、本当約束する」


 遠回しの親孝行宣言に、セレスティナは震えだす。


「イザちゃん……イザちゃーん!!!」


 そしてイザヤに抱き着き、泣き始めてしまう。


「あーもう、泣かないで母さん」


 抱き合う親子二人。


 母親の背中をさすり宥めながらも、俺も泣きそうになっていた。


 こうやって触れ合うだけで自分が幸せだと感じられる。


 専属使用人として頑張り続ければ、きっと働くだけの使用人の生活から抜け出せる。


 自分のやりたいこと、母さんの見たい景色、そしてお嬢様への助力、願う全ての物が今歩いている道の先へ続いていた。 


 








「どうした! 捌くのが遅いぞ!」


 イザヤへ肉薄するウユリ。


 鉄の剣は振り下ろされ、それをイザヤが打ち返したりいなしたりして何とか直撃を回避する。


 何度も、何度もそれを繰り返し続ける二人。


「クッ……腕がもう……」


「防げなくなった瞬間にあるのは死だけだ! 相手が隙を晒すまで、無我夢中で捌き続けろ!」


 腕の感覚は無くなりかけている。


 それでも必死に動けと命令し続けたが、イザヤの剣はどんどん鈍くなっていく。


 対するウユリの剣は一定。


 数えきれない剣戟は、イザヤの剣が宙を舞って終わりを迎えた。


「前よりは時間が伸びたな」


「はぁ……はぁ……そりゃ、伸びてくれないと困りますよ」


 集中と体力の限界から朦朧とする視界。


 だが師匠の姿だけはハッキリ見える。

 

「イザヤがミュリエルと共に学院へ行くまであと半年程度しかない。このままのペースだと、あたしが教えたいこと全てを習得するのは難しいだろう」


 師匠はずっと俺の師匠でいてくれる訳ではない。


 来年の四月になれば、俺とお嬢様は王都にあるヴァリシア学院に入学しなければならなく、師匠を含めた屋敷の人たちとは離れ離れになってしまう。


 だからあと半年程度の期間で、出来るだけ学んで身に着ける。


 サボっている暇はない。


「ペースをあげるぞ。もう一度だ」


「……はいっ!」


 立ち上がったイザヤは、剣を構える。


「行くぞ」


 合図と共に、再びウユリがイザヤへと攻めてきた。


 剣を受け止めれば、衝撃が手から骨を伝って全身に悲鳴を言わせる。


 剣をいなせば衝撃は軽度で済むが、手首への負担が大きい。


 回避するのも手段の一つだが、機敏に動けるほどの体力は残されていない。


 当たってしまったら最後、傷から血が噴き出し、大怪我は免れないだろう。


「……グッ」


 出したく無くても悲鳴は漏れる。


 心のどこかでは思っているのかもしれない。


 こんなことはもうやめたいと。


 それでも続ける、ひたすらにウユリの剣に対応し続ける。


 ウユリと向き合い続けることを選んだ。


「ひとえに剣を受け続けると言っても、相手は毎回同じとは限らない! 重い剣、早い剣、巧みな剣、全てを受けきれ! どんな剣がこようとも、ひたすらに剣を受け続けるんだ!」


 疲労から受けきれず、態勢を崩した。


 そこへ、ウユリは大きく振りかぶって剣を振り下ろす。


「まずいっ!」


 急いで受けるが、今までで最大の衝撃が全身に響く。


 我慢しきれず、イザヤは剣を離してしまった。 


「……はあ……はあ……くそ」


 尻もちをつき、額の汗を拭おうと右手を動かそうとする……が、痺れて動いてくれない。


 ウユリもそれに気づいたらしく、剣を地面へ置いた。


「……これ以上は不味いか。今日は終わりに――」


「いえ……左手はまだ無事です」


 無意識に出ていた言葉。


 心が簡単に折れるなら、とっくのとうに折れている。


 もう引き返せないと、自分自身へ言い聞かせ、震えながらも立ち上がった。


「……そうか。ならお前の言う通りにしよう」


 剣を拾い、深呼吸をしてイザヤへ向かい合うウユリ。


「構えろ」


 イザヤは左手だけで構えた。


「セヤァァァァ!!!」


 







「大丈夫か? 」


 座って傷を癒しているイザヤの隣に、ウユリが座ってきた。


 心配する言葉と共に、差し出されたのはお茶。


 そこら辺に生えた草で作られた、師匠特製のお茶だ。


 ありがたく受け取り、一飲みする。


 うん、相変わらず美味しくない。


「ありがとうございます……。おかげさまで、手の感覚は戻ってきました」


「そうか……午後もいけそうか?」


「はい……そういえば、最初どこに行っていたんですか? 時間になっても居なかったですけど……」


 実は今日、集合時間に裏庭に向かったらウユリがいなかった。


 今までずっと集合時間前にいたので、理由を聞かざる負えない。


「ああ。街へ行っていたんだ」


「街、ですか?」


 街というとスギレンのことだろう。


「そうだ。用事があってな」


 どんな用事だったのか、イザヤが聞こうとする前に立ち上がるウユリ。


 剣を拾う。


 どうやら、休憩時間は終わりということか。


「午後は受ける練習ではなく、隙を突く練習をしよう。どんだけ受けきろうと、反撃出来なければ意味がない」


「そうですよね……ただ俺、この練習苦手です」


 ひたすらに防御する、これは感覚に頼らずとも、視覚情報だけで反応出来る。


 しかし、隙を突くというのはセンスの部分が大きい。


 どこが隙で、どこが隙じゃないのか、その判断がイザヤはとても苦手だった。


「そんな気はしていた。防御の方は筋が良いが、こっちは駄目駄目だな。何度もチャンスを逃している」


「……はい」


「だからこそ練習するんだ。出来ないからこそやれ。仮に出来ていてもやれ。悩んで結果が出ないくらいなら剣を振っていた方がいい」


「理解はしてます……ただ本当に感覚が掴めなくて……」


「もし本当に分からないのなら、少しでも隙だと思った瞬間に攻めてみろ。やらないよりマシだ」


「……分かりました」


 師匠は剣のことになると正しいことしか言ってこない。


 反論さえさせず、無慈悲に現実を教えてくる。


 だが、それは師匠なりの優しさだということも理解していた。


 この人が急に目に見えて優しくなったら、気持ち悪いしな。


「構えろイザヤ。あたしが隙を晒したと思ったら突いてこい」


「……はい!」


 剣が振り下ろされ、それをいなす。


 やっていることは先程と同じだが、イザヤに求められていることが違う。


 果てしない応酬の中、刹那のタイミングで攻勢に出なければならないのだ。


 慣れたことで半ば反射的にウユリの剣を捌く。


 すると、イザヤは次の瞬間吹き飛ばれていた。


「甘えるな!」


 師匠の右足が、俺の腹を襲う。


 隙を探すあまり、油断していた。


 吹き飛ばれた先で木に衝突し、息が漏れる。


「相手がずっと同じことをしてくれると思うな! もし死合なら死んでいるんだぞ!」


 ぐうの音も出ない正論だ。


 口内に血が混じる。

 

「ケホッケホッ……はい、すいません」


 ふらふらと立ち上がり、震える手を抑えつけて剣を握る。


「お願いします……」


「行くぞ」


 夢に出てきそうなくらいに、剣が視界を覆いつくす。


 その中でも隙を探し続けた。


……ここだ!


「うおぉぉぉぉぉ!」


 流れるように剣を動かし、ウユリの胸へ向かって剣を刺そうとするが、寸前で横に避けられる。


 次の瞬間、再び吹き飛ばされるイザヤ。


 空振りをし態勢を崩した際に、顔面に拳が襲ってきたのだ。


「相手が対応出来るタイミングが隙な訳ないだろう。もう一度だ」


「……はいっ!」


 俺は何度も師匠と打ち合った。


 その度に殴られ、吹き飛ばされ、立ち上がった。


 しかし限界はやって来る。


 結局イザヤは一度も成功することはなかった。


「今日は終わりだ」


「はい…………ありがとう……ございました」

 

 あーもう、体が動かない。


 このまま大地と同化してしまいそうだ。


 動けず、ずっと仰向けになった俺の周りに鳥が種を落し、そこから草が目を出して、俺に絡まり、大地になっていく……。


 なんて想像をしてしまうくらいには、限界を迎えていた。


「……ん?」


 師匠が何かに反応する。


 少し遅れて、足音が近づいてきた。


 動物ではない、人間の足音。


 場所的に屋敷の誰かだろう。


 警戒する必要はないか。


「イザヤさんっ! イザヤさんっ!!!」


 この声は……アリシャさんか?


 足音の正体は、イザヤの想像通りだった。


 現れたのはアリシャで、イザヤを見つけるなり、抱きかかえてくる。


「アリシャさん……どうしたんですかこんなところまで来て」


「大変なんですっ!!!」


 焦燥感に溢れた表情。


 何かあったのは間違いないと覚悟するイザヤに、アリシャは残酷な事実を言った。


「イザヤさんのお母様が階段から落ちたんですっ!!!」



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