第26話


 ドタバタの日々から一か月が過ぎた。


 季節には完全に夏に。


 草木は青々と生い茂り、照り付ける日光は威力を増す。


 ここエトワール領は夏場、それほど気温は高くならない。


 どんだけ暑くなろうが三十度は超えない。


 だからオリフィラ王国南部の方と違って比較的過ごしやすいのだが、現代と違ってエアコンや扇風機のような寒冷グッズが存在していないせいで、結局暑いと感じてしまう。


 こういう時に現代に帰りたい、なんて思ってしまうな。


 あぁ……涼しい部屋にアイスが恋しい。



 この一か月間は穏やかな生活だった。


 誰かが訪問したり、事故に見舞われたりしていない。


 ただ一日一日お嬢様の世話と訓練するだけで過ぎていく。


 当たり前となった穏やかな日々の居心地の良さに感謝しながら、イザヤは師匠の元へ向かったのだが。


「あれ? いつもと違う服ですね。夏だからですか?」


 師匠の服が七分袖から半袖になっていた。


「ああ。スギレンで買った」


「師匠も街に行くんですね」


「貴族の雰囲気が苦手なだけで、人混みは嫌いではないからな」


 師匠、世捨て人の達人みたいな印象があったから少し意外だ。


「訓練を始めて今日でどのくらい経った?」


 日常通り裏庭で待っていたウユリの問いに、イザヤは考える。


「うーん、大体一か月と少しじゃないでしょうか」


「そうか。ならもういいな」


 少しの沈黙の後に、ウユリは言う。


「イザヤ。お前は我慢強い。使用人という性分が影響しているのかもしれないが、言われた通りにこの一か月過ごしたな」


「はい」


「今日から剣を教える」


 まさかの内容。


 そういえば俺が筋トレしたり走っている理由は、剣を学ぶ為だったな。


 すっかり忘れていた。


「どうした、嬉しくないのか?」


「嬉しいといえば嬉しいんですけど、今までの訓練がルーティーンになっていたので……」


「そうか。なら新しいルーティーンとして剣の訓練をしよう」


「ひとえに剣術と言っても、様々な型がある。道場で教え普及している流派たちを中心に、騎士団も独自の型を、更には自分自身で編み出したオリジナルの型。型というのは、人間の性格を写し表していると言っても過言ではない。私は旅をする中、多数の型を覚えてきた」


 師匠はポンと、剣を叩く。


 きっとその剣と共に旅をし、剣術を学んできたのだろう。

 

「だからあたしは色んな型を教えられる。その中で、イザヤに相応しいと思う型は防御の型だ」


「防御ですか……?」


「ひたすらに相手を捌き続け、一瞬の隙を見逃さす斬る。それが防御の剣だ。護衛という役割とも相性がいいだろう」


「なるほど」


「我慢強さを以て剣を防ぎ続け、洞察力を以て隙を見逃さず、瞬発力を以て一撃に仕留める」


「俺に適しているかは分かりませんが、異論はないです」


「そうか。最初覚えるのは基礎だがな。剣の握り方や振り方、腰や足の動き、視線の行き先と観察方法。少しずつ覚えていこう」


「はい!」


「よし、まずは剣をこうやって……」







 訓練終わり、お嬢様のところへ戻ると。


「イザヤ!」


「どうしましたか?」

 

「私、気付いたの!」


「は、はい」


 テンション高いな。


 いつも通りといえばいつも通りだけど。


「変装すれば街に行けるって!」


「……はい?」


 詳しく話を聞いてみるとこうだった。


 最近無理やりメイドたちにドレスを着せられ、化粧させられた。


 そしたら自分だけど自分じゃないみたいに見えた、これは使える。


 化粧して着替れば、別人になれるから、街に行き放題だと思ったらしい。


「正直難しいと思いますよ?」


「なんで!」


「お嬢様が屋敷からいなくなることの方が問題だからです」


「えー……じゃあどうするのよ」


「どうするなにもないから簡単に外出できないんでしょうが。変装するのは別に間違っていないと思いますが、それだけじゃどうしようにもならないってことです」


「ぶーぶー」


 落ち込むお嬢様。


 仕方ない、助言してやるか。


「……まあ、現実的な話をするなら身代わりを用意すればいいんじゃないですか?」


「身代わり……それよ!」


「ですが誰を」


「いるじゃない、一人」


 検討が付かない。


 待っていると連れてきたのはアリシャだった。


「アリシャ!」


 アリシャー! じゃないでしょ。


 体格も何もかも別人だよ。


「はい、アリシャです……なんで私はここに?」

 

「身代わりよ!」


「へ? ……も、もしかしてっ、ミュリエルお嬢様が誰かに狙われているとか!?」


「違う! ちがーう!」


 その言い方じゃだめですよお嬢様。


「お嬢様は街に気軽に出かけられるように、身代わりが欲しいんです。それでアリシャさんを呼んだと」


「なるほど……はい、アリシャでした。内容は把握しましたが、私がミュリエルお嬢様の身代わりは無理があるんじゃないですか? 私、ミュリエルお嬢様と全く似ていませんよ?」


 完全に同意。


 化粧でどうにかなるレベルじゃない。


「どうするんですか? お嬢様」


「うーん、体矯正してよ」


「無茶です! 私が私じゃなくなっちゃいます!」


「そのくらいへーきだって。武術で何とかしてよ」


 お嬢様は武術を何だと思っているんだ。


 万能とでも思っているのだろうか。


「…………お嬢様。アリシャさんが困っていますので」


「ぶ―……じゃあどうすればいいの!」


 お嬢様は短絡的過ぎだ。


 過程を考えないからこうなる。


 使用人なのだから要望には応えてやりたいが……。


「じゃあ……駄目元でアリシャさんをお嬢様に近づけてみますか」


「うん! 私がアリシャを私にしてみせる!」


 すると露骨に嫌な顔をするアリシャ。


「えー……あんまり言いたくないけど大丈夫ですか?」


「まあ……頑張ってください」


 恨めしそうな目で俺を見てくる。


 すみません、アリシャさん。


 お嬢様の為、尊い犠牲になってください。


「ちょっと! なに心配しているのよ! イザヤもちゃんと否定して!!!」


「だってお嬢様、化粧したことあるんですか?」


「え? ないけど」


 お嬢様の言葉に、頭を抱える俺たち。


「大丈夫だって!」


 謎の自信と共に、ミュリエルが取り出したのは化粧道具たち。


 実際使われている物なのだろう、何に使うか分からないけど色んな種類ある。


「よーしアリシャ! 目をつぶって待ってなさい!」


「はい……アリシャです。もし危なそうなら止めて下さいね……」


「任せて下さい。死なせはしません」


「折角だから、イザヤはあっち向いてて! 完成したら呼ぶから!」


 いいけれど、それじゃあお嬢様が危ないことをしているかの確認が出来ない。


……まあ、いいか。


 アリシャさん頑丈そうだし。


 イザヤは反対側を向く。


「」


 と元気に言い始めたのも束の間。


 五分後。


「うーん……なんか変なの出来ちゃった……」


「本当に大丈夫ですか!? ミュリエルお嬢様が言う変って、私たちからしたら超絶変と同等なんじゃないんですか!?」


「ちょっと動かないで! 余計変なのになるでしょ!」


 十分後。


「何よこれ……怪物ね」


「お嬢様! もうその辺にしておきましょう!」


「やだ! 私ならまたやれるわ!」


「うわーん、汚された……。お嫁にいけない……」


 十五分後


「……イザヤ。どうしよう」


「……大体察せますけど、何がですか?」


「アリシャが……キモくなっちゃった」


「分かりましたお嬢様! これ以上はやめましょう! ね! 振り向きますよ!」


 俺は急いで振り向こうとするが、制止したのはアリシャだった。


「駄目です! 見ないでください! お嬢様だけでなく、イザヤさんも辱めを与えるんですか!? それだったら裸体を見せた方がマシです!」


「ええ……」


「私は気づきました……。ありのままいられることがどれだけ素晴らしいかって。だから見ないで下さい」


「なに言っているんですか……?」


「アリシャが変になっちゃった……」


 振り返らえらないままイザヤは頭を抱えた。


「馬鹿は移るって聞くけど、変も移るのか……?」

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