第20話
スギレンは夜に近づくと街としての色が変わり始める。
朝や昼に栄えていた大通りは鳴りを潜め、色町や飲み屋が活発になり、大人用の街へと変貌を遂げる。
つまり、イザヤたちが関わるべきではない時間ということ。
あと一時間もしないうちに日は暮れるだろう。
この世界に街灯はない。
真っ暗になった状態で街のはずれであるこの辺りを歩くのは危険だ。
被害に遭いたくないのなら早急に屋敷に帰る。
それだけに尽きる。
「さあ帰りましょうお嬢様。今日はいかがでしたか?」
「楽しかった! また来たい!」
「それなら良かったです。アリシャさんもありがとうございました」
「はい、アリシャです。私も楽しかったですし、危険なこともなくて良かったです」
三人は歩きながら歓談した。
曲がり角に差し掛かろうとした際、ボロボロのフードを纏った影が路地から飛び出す。
影はミュリエルの元に一直線へ進み、腰に手を伸ばす。
間違いない、通り魔だ。
「お嬢様――」
――危ない。
と言い切る前に、アリシャさんが動いていた。
振り落とした肘が走り抜けようとした影の背中を突き刺し、地面に叩きつける。
「……ガッ!?」
フードがずれて現れたのは、幼い男の子。
彼女は、少年の頭を片腕だけで掴み上げ、晒し上げる。
アリシャの顔は怒りに満ちていた。
「お前、何のつもりだ。こんなことをしてただで済むなと思うなよ」
「クソッ! 離せ!」
「財布を狙ったのか。そうなんだろ!?」
男の子は暴れ回るが、びくともしない。
対するアリシャは手の力を強める。
「痛い! 痛いっ!」
頭に食い込んでいく五本の指は見ていて痛々しい以外の感想が出てこない。
「アリシャ、やりすぎじゃ……」
「いいえ。ミュリエルお嬢様。罪を犯した者には罰を与える、これは不変で守り続けるべきルールです。例え使命があろうが貧しかろうが、罪を犯したことは正当化は出来ません」
激しい剣幕を見せるアイシャに、ミュリエルも怖がっているようだ。
彼女が言っていること、やっていることは別に間違いではない。
だが、お嬢様に見せるには過激すぎる。
「それでも……可哀そうじゃ……」
「アリシャさん……お嬢様の目の前ですし、この辺にして下さい」
「……しかし」
「今のお嬢様に必要なことですか? お嬢様が拒否反応を示しているのに、仕えるべき使用人がやり続けることですか?」
使用人が使用人であり続ける以上、言うことを聞くのがルールだ。
不変て守り続けるべきルールと、ルールを重視するなら、アリシャさんはお嬢様の言うことを聞くのがどおりだ。
「……」
不服そうなまま、アリシャさんは手を離す。
男の子は何も言わずにそそくさと逃げ出し、路地の方へ入って行く。
「ねぇ……なんであんなことするの?」
悲しそうな、お嬢様の表情。
「……そうですね。金銭を狙ったということは、やはり貧しいから、でしょうか。盗みを働かないと生きていけないから、行為に及んだのかと……」
「……そう」
お嬢様は、初めてこのような有り様を見たのだろう。
かくいう俺も小さい頃に数回みた限りだが、決していい気持ちにならない。
自分が知らない世界に生きている彼らの現実、自分自身に悩む時期にある少女には強烈だ。
だから、聞きたいことがある。
「……お嬢様。彼らのことをどう思いますか?」
ミュリエルを真っすぐ見つめる。
「お嬢様は……彼をどうしたいと思ったんですか?」
「分かんない……分かんないけど、悲しいんだけど思う……」
「悲しい……ですか? どうして、悲しいと思うんですか?」
「分かんない! 分かんないっ……けど、 悲しくて受け入れたくないの。こんなことがあってはいけないってことは分かるの」
「……そうですか」
あってはいけない、か。
店を出た段階で纏っていた陽気な雰囲気はもうない。
事態を受け入れて帰る他、ないのだが。
「……あれ? ない。ない!」
ミュリエルが騒ぎ出す。
「何がですか? 財布ならありますよ?」
「違うの! うさぎの人形がないの!!」
辺りをくまなく探すが人形は見つからない。
「落としたんでしょうか……それとも今の子が持って行ってしまったのでしょうか……」
どっちにしろこれ以上の捜索は出来ない。
残念ながら諦めるしかないだろう。
「うさぎの……人形……」
「……やはり、逃がすべきではなかったと思います」
アリシャさんの言いたいことも分かるが、結局は結果論に過ぎない。
それにあの男の子がうさぎの人形を持っているとも限らない。
だが不幸中の幸いか。
もう一つ、俺はうさぎの人形を持っていた。
「お嬢様、もう一つ買っていて良かったですね」
俺はお嬢様にプレゼントされたもう一つのうさぎの人形を手渡す。
お嬢様は渋々受け取るが顔色は悪いままだ。
「……けど、なんかやだ……嬉しくない……」
「また来ましょう」
「うん……」
「ミュリエルお嬢様。優しいだけじゃ物事の解決には至りません。今日のことはよくお考えなさって下さい」
「……考える」
「…………帰りましょう。ミュリエルお嬢様、イザヤさん」
また来ようと、三人は再び帰り始める。
まさかこんな結末を迎えるとは。
ただ、一日を通してお嬢様の反応をみれたのは良かったのかもしれない。
特に、財布を盗もうとした男の子に対し、どう思っているか。
お嬢様へ訊ねたとき、普通じゃない回答が来なくて、ホッとした。
もし悪役令嬢のような、おぞましい内容だったら、俺のお嬢様に対する気持ちは地まで落ちる。
そうならなくてよかった。
ゴロンゴロン。
イザヤは何かが転がるような音に気付く。
音がした方を見ると、路地で女性が物を落してしまったようだ。
慌てて拾おうとしている。
「ミュリエルお嬢様。先程はご無礼お許しください」
「……アリシャが間違ったことを言っている訳じゃないんでしょ? それに謝ったからちゃんと許してあげる」
ミュリエルたちは先に行っていて、気付いていないらしい。
イザヤは女性の元へ駆けつけ、布が巻かれたサッカーボールくらいの大きさの物を拾う。
「ありがとうございます」
拾った物を女性に渡す。
路地で光が入ってこないせいで、女性の顔は確認出来ないが、頭を下げてお礼をしてきた。
「一人で出歩くのは危険ですよ」
「お気遣い感謝します。迅速に安全なところまで非難することにします」
一体なんでこんな場所にいるのか。
この布で覆った物は何なのか。
何故か分からないが、訪ねるべきじゃないと本能が言っている。
「イザヤ―! 何してるのー!?」
お嬢様の声だ。
早く合流しないと。
「今行きますー!」
「お仲間さんですか?」
「ええ、はい。ではお気をつけてお帰りください」
離れようとイザヤはするが、女性に止められた。
「ああ、すみません。エトワール公爵家のお家ってどっちの方ですか?」
「えーと……あっちの方だったと思います」
「ありがとうございます。貴方に神のご加護があらんことを……」
イザヤが来るのも二人は待っていてくれた。
今日は色んな意味で忘れられない日になった。
危険なことはもう起こって欲しくない。
当たり前のことを思いながら、イザヤたちは屋敷へ戻った。
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