第13話


 ウユリさんと遭遇して二日後が経った。


 筋肉痛の痛みはまだ残っていて、一日目は痛みのあまり、仕事中にも関わらず休憩時間のようにくつろいでいた。


 当然ながらお嬢様の文句も浴びせられつつ、アリシャさんの手を借りつつ。


 訓練はどうなったかというと、本来開始される予定だった日から再開することなったので、一週間近くの猶予が手に入った。


 護衛として働けるように訓練することは本来、三日前にアナウンスするつもりだったらしい。


 どうりで俺とウユリさんの間にすれ違いがあった訳だ。


 まあ、全てウユリさんの勘違いのせいだが。


「イザヤ! 今日は動けるでしょ!」


「軽くなら……お手柔らかにお願いします……」


「やだ! アイツに構っていた分、私の為に働いてもらうんだから!!!」


「今後は訓練でいなくなる時間も増えるのですよ? 我が儘を言わないで下さいお嬢様」


 段々噛みついて来るお嬢様のいなし方も身に付いてきた。


 

……仕掛けるなら今か。


 俺はたった今からお嬢様に、再度仕掛けようとしている。嫌われるた為の作戦を、だ。 


 前回、俺は『豆知識ひけらかし作戦』を仕掛けたが、まさかの完封試合で敗北してしまうこととなった。


 だがこのままで終わるつもりは無い。

 

 破滅フラグが降りかからない輝かしい未来を掴む為にも、邁進し続けるのだ。

 

 それに、訓練が始まると、慣れるまでは暇を作れないかもしれないしな。



 今回仕掛けるのはずばり……『』。


 ひたすらにお嬢様に対し塩対応を取り続ける作戦だ。


 これまでの付き合いで、お嬢様を適当にあしらっても問題ないラインは掴んでいる。


 それに筋肉痛の痛みもあって動き回るのは難しいから、塩対応とも相性がいい。


 

 さあ、作戦を始めよう。


「ねぇイザヤ。なんで空は青いの?」


 早速お嬢様から質問が舞い込んできた。


「……さあ、なんででしょうね」


「イザヤ知らないの?」


「……」


「何その反応! 私が聞いてるんだから答えてよ!」


 今更だけど、お嬢様ってめっちゃ、めちゃめちゃ横暴過ぎる。


「……はぁ、知りませんよ」


「っ!? ……ふんっ!」


 そっぽを向くお嬢様。


 心は痛いが、いい感じだ。

 

 このまま塩対応を続ければ、目標達成出来そうだ。


 

 少ししてからまた、お嬢様からの命令がやって来た。


「イザヤ! ローズティー持ってきて!」


「……はい」


 先ほどと同じように、俺は感情を殺して返事をする。


「なんでそんなにやる気が無いの! 私の使用人でしょ!?」


「……はいはい」


「『はい』が一個増えただけじゃない!」


「……静かにしてください」


「……っ! どうしてそんなこと言うの!!」


「……思ったことを言っているだけですよ」

 

 本当なら俺だってこんなことしたくない。


 人から嫌われるのは嫌だし、こんなことをしている自分も嫌だ。


 けど、しないと巻き込まれてしまう。


 自分だけならまだしも、母さんまでもが巻き込まれるのは容認出来ない。

 

「私のことをちゃんと見てよっ! 私をずっと見てよっ!」


「……うるさいですね」


「もう、イザヤなんて知らないっ!!!」









「イザヤの馬鹿っ!!!」


 ミュリエルは走り出した。駆け出した。逃げ出した。


 なんでそんなこと言うの。


 なんでそんな酷いこと言うの。


 ただ構って欲しかっただけなのに、一緒に居て欲しかっただけなのに。


 廊下を駆け、階段を下り、屋敷を飛び出し、外を目指して、無我夢中で走る。


 先を考えずひたすらに、


 走る。


 走る。

 

 走る。


 

 足がもう動かなくなってようやくミュリエルは気づいた。


 自分が知らない場所まで来てしまったことに。


「……ふぇ?」


 涙で滲んだ視界を拭い見ると、三百六十度広がっているのは木。


 疎らながらも密集していて、先が全く見えない。


 間違いない。


 ここは森だ。


「……なに……ここ」


 知らない場所に来てしまったことを脳が理解し冷静になると、一気に走り続けた反動がミュリエルを襲う。


 足は限界で動けず、感情を爆発させたせいか頭がふわふわしている。


 その場に座り込むミュリエル。


「……誰か。誰かいないの!?」


 少女の泣きじゃくれた叫び声に対し、反応は何もない。


「誰か来てよっ! イ、イザヤ……」


 無意識のうちに出てしまった言葉。


 ミュリエルは彼に助けを乞いたい口を封じ込めようとする。


「イザヤは来なくていい! 来なくていいもん!」


 私の言うことが聞けないんだったらいらない!


 私は、私を見てくれる人しかいて欲しくないから!


 だから……いらない。


 何故か無性に悲しくなって再び涙がこぼれて始める。


 それでも、いらない。


「……?」


 なにやら先になる草むらがごそごそと動いている。


「なっ、なに?」


 びっくりして距離を置こうとしても、まず足が動かない。


 ごそごそはどんどん大きくなっていく。 


「や、やめて! 来ないで!」


 草むらから勢いよく飛び出して来た! のは……白い塊だった。


「……へ? う、うさぎ?」


 多分うさぎで合っているはず。


 全身真っ白の肌に二本の長い耳と赤い目、昔お父様が狩猟で捕まえていたのを見た記憶がある。


 何でこんなところに?


 分からないけど……こうやって見ると可愛い……。


 私の方を見て、耳をぴょこぴょこ動かしている。


「……」


 撫でてみたい。


 触ってみたい。


「……うん! こっちおいで!」


 ミュリエルがそう言うと、言葉を理解したようにゆっくりとミュリエルの方へ近づいていく。


 少しずつ、少しずつ。


 あと少しというところでミュリエルが両手を伸ばす……が、


「……え?」


 突如視界外から飛来した物体にうさぎが直撃し、吹き飛ばされていったのだ。









 正直、俺は自分が嫌いになりそうだった。


 不愛想な態度を取って、怒らせて、泣かせて。

 

 けど、俺は未来を知っている。


 お嬢様が手を引き学院に災いを呼び起こすことを。


 ヒロインたちを泣かせ傷つけ、最後は自らが破滅することを。


 俺には主人公ではない。


 ただのモブだ。


 破滅を回避させるだけの力はないし、気力も持ち合わせていない。


 自分と大切な人を守ろうとするのがせいぜいだ。


 だから俺はお嬢様に嫌われて、専属使用人を辞めて公爵家を離れる。


 その為にはどんな非道なことでも耐えられると、思っていたのに。


 駄目だ……やっぱり……、


「……探しに行こう」


 お嬢様の自室を飛び出し、廊下を駆けだすイザヤ。


 筋肉痛が悲鳴をあげるが、今更そんな程度に足止めされはしない。


 抱いていた覚悟は全くの詭弁だった。


 俺は人間として失格だが、もう一つ失格な要素がある。


 それはやりすぎということ。


 嫌われるという側面だけなら合格かもしれないが、今回は明らかにやりすぎだった。


 仮にこれで専属使用人を辞められたとしても、名声は地に落ちる。


 使用人として働けるのは難しくなるだろうし、公爵家からも追い出されるかもしれない。


 色んな意味で最低な結末だ。


 いなし方が身についたなんて思っていたが、本当に俺は見る目が無いらしい。



 通りすがりの使用人たちにお嬢様を知らないか聞いてみるが、みな知らないと答える。


 手がかりは見つからない。


 思った以上にお嬢様が遠くに行っている可能性がある。


 念の為、外も確認してこよう。


 階段を下り、広間を抜けて、外へ出る。


 その時だった。


「っ!? おっと!」


 死角から飛び出して来た人影に衝突しそうになり、寸前で回避に成功する。


 さっさと謝って捜索を続行しよう。


 イザヤは振り返り、衝突しそうになった人を確認する。


「……あ、貴方は……」


 背が高く、赤い髪を携え、鋭い眼光を持つ少年。


 お前は……、


「トレイス」


「イザヤ」



 

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