第12話


「……思考は済んだか?」


「……あぁ、……すいません」


「気にしていない。それよりも訓練をするぞ」


「え!? 今からですか!?」


 いきなり言われてもなんの準備も心構えも出来てない。


「ああ。心配しなくていい。最初から剣を持たせはしない」


「いやそういう問題じゃなくて……私ただの一介の使用人なのですけど……」


「剣を持つ者も、元を辿ればただの素人だ。今日始めれば、明日から始める者より多く練習出来る」


 そうかもしれないけれど、そういうことじゃない。


 気持ちが追い付いていないのだ。


 困惑しタジタジとしているイザヤに、ウユリは手招きして合図を送る。


 何となく嫌な予感がし颯爽とウユリさんの傍まで近づくと、彼女は鞘から剣を抜いた。


 そして、剣を一振り。


 静寂ののち、背後から巨大な物体が壊れる音が聞こえた。


 イザヤはゆっくり振り返ると、立派に聳え立っていた巨木が縦に綺麗に三等分されて、左右は横に倒れ、真ん中だけ残っている。


「えー……」


 ヒールデイズの世界に魔法や超能力の存在は無い。


 つまりこれはウユリさんが剣の腕だけで、一振りだけで巨木を三等分したということ。


 人間辞めてない? この人。


 え、もしかして俺脅迫されてる?


 恐る恐るウユリさんを見ると、顔は相も変わらず真顔だった。


「武を学べば自分と大切な人を守る力を得れる。それに力があれば、多種多様の道を自分で切り開ける」


「……それで……木を切ったと?」


「……? そうだが?」


「木を切ることが……その言葉に繋がるんですか? 別に木を切る必要性は皆無だった……気がします」


「……そう、なのか」


 ばつが悪い顔をする彼女。


 初めて見た真顔以外がこんな顔とは。


 もしかしてこの人クールに見えるポンコツ……いや、そんなことを考えることが失礼か。


 髪色からしてオリフィラ王国の外から来た可能性が高いし、こちらの常識と少しズレているのだろう。


 木を切ることはともかく、言っていることは理解出来たし。


 それにどれだけ抵抗しても、俺の分際では意味が無い。


 はなから拒否権は存在しないのだ。


 どんだけ文句を言って反対しようが最終的にはやらされる、そんなことは分かってる。


 むしろ言うことを聞かないと、将来に悪影響を及ぼしてしまう可能性だってある。


 あいつは言うことを聞かない使用人だって。


 理屈では分かっていても、単純に気持ちが追い付かなかった。

 

 はぁ……いい加減覚悟を決めろ、イザヤは両手で自分の頬を叩いた。


「くだくだ言っても仕方無い……分かりました。」


「……そ、そうか。英断だな」


 剣を学ぶことにメリットはある。


 ウユリさんも言っていたが、剣術を活用した未来設計も可能になることだ。


 仮に使用人として働けなくなったとしても、傭兵や護衛としての働き口を確保可能だ。


 どうせやるなら、一番自分に利益が来るように頑張らなければ。


「では早速だが……限界まで腕立てをしろ」


「――え?」


 前言撤回させてください。


「いや……私ただの使用人なのですけど……」


「だから限界と言っている。回数の問題では無く、限界に挑戦するんだ」


「仕事に支障が……。あぁ、もういいや、どうとでもなれ」


 もう自暴自棄になって来たわ。


 明日なんて知ったことか。


 言われた通りに、俺は腕立て伏せを始めた。



……やばい、腕が死んできた。


 こんなん、急にやり始めることじゃないって!!!


 最終的に俺は四十を超えた辺りで限界を迎えた。


「はぁ……はぁ……腕が逝った……」


「よし、次はスクワットを限界までして見せろ」


「……え? やるんですか?」


「ああ。あたしが思いつく限りの内容を限界までやってもらう」


「……」


「目の前だけ見ていろ。道はあたしが舗装してやる」


「やれば……いいんですよね」


 結局、イザヤは色んな訓練をやらされた。


 スクワットに、バービージャンプ、プランクなどなど。



 空が朱くなってきた頃には、打ち上げられた魚のように、動けなくなったイザヤの姿があった。


「ぜえ……ぜぇ……今まで……ありがとう、母さん」


「よくやった。今日はこれで終了だな」


「これは……本当に……キツイ……仕事……無理だ……」


「護衛になるのも仕事の一つだ……誰か来たな」


「…………へ?」


 うつ伏せになったまま身体が動かないので、ウユリさんの見ている方を首だけ動かして確認する。


 すると、見慣れた人物がこちらに向かって駆けて来ていた。


「イザヤ……イザヤー!」


 夕日にも負けないオレンジ髪を振りながらお嬢様は、寝そべったままの俺に向かってダイブした。


 動けない体にお嬢様の体重と衝撃が直撃した。


「ガファッ! ……お嬢様! 駄目! 今は乗っちゃ駄目!」


「私に文句あるの!?」


「娘。今は放っておいてやれ」


 ウユリはミュリエルの首根っこを掴んで、イザヤから引き剥がす。


「なにするの! 離して! 私を誰だと思ってるの!?」


 身長差が大きいので、宙ぶらりんになってしまっているミュリエル。必死に抵抗しているが、ウユリの前では無力だ。


「あたしからしたら年端もいかない娘にしか見えないがな」


「元々はアンタのせいでしょ! イザヤを返しなさい!」


 物扱いされてますよね?


 動けないけどちゃんと生きますよ俺は。


「まあまあ、落ち着いて下さいお二方」


 聞いたことのある声がして首を向けると、執事であるヘンリ様までもがここへやって来ていた。


 何故急に集まって来たんだ。


「ヘンリ様。こんな姿で申し訳ありません」


「お気になさらないでください。余程大変だったようですね。しかし、何かを真剣に学ぶというのなら、死ぬ気で立ち向かう。それこそが正しい姿勢だと私は思いますよ」


「それに関してはあたしも同感だ」


「いい加減離しなさい!!! どうなっても知らないわよ!!!」


「ほう? あたしをどうするというんだ?」


「ウユリ殿。それくらいにしてあげて下さい」


 ヘンリが言うと、ミュリエルはあっさりと解放され、尻もちをつく。


「痛っ! アンタ、顔覚えたからね! 今度あったら容赦しないんだから!」


「お嬢様、あんまり突っかからない方がよろしいかと」


「イザヤまでコイツの味方なの!? そもそもアイツに……」


 主から始まってしまいました。


 適当に首を縦に振って聞き流していると、ヘンリ様とウユリさんが何やら話をしているようだ。


「それにしてもウユリ殿」


「なんだ?」


「何故今日から訓練を始めようとなさったのですか?」


「……? 何故って、今日から始めると聞いたのだが」


「さようにございますか? 訓練を始めるのは一週間後だと部下に伝えたはずですが……」


「……それは、本当か」


「ん? ええ、訓練が始まるのは一週間後でございます」


「……そう、か。……そう、なのか」


 ヘンリの言葉を受け、見るからに気分と顔色が落ち込んでいくウユリ。


 やっぱり、そうなのか。


 そうなんだな。


 この人……ポンコツか……。


「……って、イザヤ! 聞いてるの!?」


「聞いてます。聞いてますよお嬢様」


「そう?  私の傍に居なかった分、働いてもらうから!」


「無茶です……死にます、お嬢様」


「生きてるじゃない! 早く本の読み聞かせをして!!!」



 翌日、イザヤは見事に全身筋肉痛になった。

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