1章(14)『砂漠の夜明け』

アイトの耳の奥に聞こえるソフィアの声は、いつの間にか消えていた。

そしてアイトの感覚は正常に戻った。

ダッタッタッタッ!

と、軽快な振動が砂の地面から伝わってくる。誰かが近づいている、そう感じたとき。

「まつのじゃ!」とレプレの制止する声が響き、アイトは顔を上げた。

暗い夜の景色から、ルビーのような深紅しんくの瞳がこちらを睨む。

足音の主は、白のフード付きロングコートをひるがえし、赤い棒状の憤怒の根源魔装を振り上げるチェンシーだった。

突如、眼前に現れた強敵に、緊張や怯えといった感情が湧かないことに驚いた。むしろこの光景に既視感きしかんがあり、脳裏に稽古場の情景が浮かんだ。

アイトは、冷静に口から軽く魔力を吐きだし、周囲の魔力を視認した。

視界に、チェンシーが全身にまとうオーラのような赤い魔力と、憤怒の根源魔装に、血管のように枝分かれして流れるひときわ濃い赤い魔力が映し出された。

アイトは、眼球に力を入れるように大きく目を開けると、振り落とされてくる赤い棒の憤怒の根源魔装を凝視した。すると憤怒の根源魔装の形状が変化する。素早く動く生物のように、先端が尖り全体的に薄くなり、棒から刀のようになる。同時に変化する、血管のような魔力の流れに、アイトは手ひらを向け言った。

「魔力干渉……!」

途端に、アイトの口の中はカラカラに乾いた。更に、頭に血が上り、鈍い頭痛が起こり始め、しまいには、全身が内側から燃えているように熱くなる。

—魔力干渉の反動!?

直感したとき、アイトの体は大きく左に傾き、真上から赤い魔力の塊が、ブン!と風切り音を上げ落ちる。

パン!と破裂音に似た音が響き、視界を奪うほどの砂煙が舞い上がった。砂煙の中、チェンシーは、眉間を歪ませた神妙な面持ちで、握った憤怒の根源魔装を見つめていた。砂地に叩きつけた憤怒の根源魔装は、大小様々なコブが付いた奇怪な赤い長刀に変化していた。

「チェンシー様!左です!」リコが警告する。咄嗟に左に首を振るチェンシー。その眼前には、アイトの拳が顔面めがけて迫る。

アイトは荒々しく強化の魔術を唱えた。

「ホプリゾーン!」

一瞬、アイトの全身が白い光を帯びる。その一瞬にアイトは全てを込めた。

バシュン‼鋭く響いた音とともに、白と赤の魔力の火花が弾け飛ぶ。同時に、アイトの拳を、瞬時に構えた憤怒の根源魔装で受けたチェンシーが、後ろに引っ張られたかのように、後方の砂岩の砕けた壁に向かって突き飛ばされる。

次の瞬間、「ぐは!」とリコが悲鳴を上げた。

チェンシーが壁に打ち付けられる寸前、チェンシーの背後に突如現れたリコが、チェンシーを後ろから受け止めた反動で、そのまま壁に激突したのだ。

リコは眉を歪ませながら、興奮気味に口角を上げ言った。

「驚きましたよ、アイト様!直撃を防いだチェンシー様が、気絶してしまうほどの強力なその拳!そして、厄災の王子の真骨頂とも言うべき魔力干渉で、憤怒の根源魔装の形状変化を阻害してしまうとは!」

「ハァ…ハァ…」

アイトは、荒く深く呼吸を整えながら、壁に打ち付けられたチェンシーとリコに歩み寄る。リコに近づくにつれ、その糸目と口元が、自分をあざけり笑い馬鹿にしているように見え、胸にムカつきが湧いてくる。

「そのご様子、大変ご立腹してらっしゃるようですね。憤怒の根源魔術の魔力に、魔力干渉をした影響ですかね」

と、にやけた顔で言うリコに、アイトは今までにない憤りと違う、暴力的な怒りを覚えた。

「あまり無理は、しないほうが良いですよ。その様子ですと、次の攻撃は私が喜々とするものにはほど遠い。そんな攻撃では私は倒せませんよ」

その言葉で、アイトは気づいた。無意識に拳を力いっぱい握り、構えていたことに。                           

「アイト様、無理はその辺りにして私とともにレヴィアタン様の元に行きましょう」

そう言ってリコは、ぐったりとしたチェンシーを壁にもたれかからせ、アイトの前に立ち手を差し出す。

……ブチッ!

と音が鳴り、アイトは額の血管が切れたように感じる。そして、今まで抑えていた煮えたぎった感情のタガが外れた。

アイトは、差し出されたリコの手の小指と薬指の間にある窪みに、親指を置くようにして掴んだ。そして、素早くもう一方の手を掴んだ手の上からかぶせ、足を前へ出し、掴んだリコの手を返した。リコは腰をひねらせて体勢を崩し、背中から砂の上に叩きつけられた。

唐突に投げ飛ばされたリコは、目を見開いてすぐさま立ち上がった。

「なんと、このような体術を—!」と、リコが言いかけたとき、リコの視界は回転し暗い空をうつし、再び、背に砂が叩きつけられる衝撃がくる。

「ぐは!」と、悲鳴を上げながらリコは笑った。

アイトは、リコが立ち上がるたびに繰り返し投げ飛ばした。まるで、ダンスを踊っているかのように流れるように、無駄のない洗練されたリズミカルな動きだった。

リコを投げ飛ばしながらアイトは、少し荒れた息で宣言した。

「アンタの言う事なんて、誰が聞くか!僕は、色欲の根源魔装を手に入れて、レヴィアタンを倒して、魔術世界の全ての人々を救って、僕は、母さんと帰るんだ!」

投げ飛ばされながら、リコは糸目の瞼を開け輝いた緑玉りょくぎょくの瞳で恍惚と覚悟の決まったアイトを見つめた。そして、投げ飛ばされるなかリコは残念そうに言う。

「ああ、アイト様が色欲の根源魔術を譲渡されるとは、ぐふ!」「ああ、レヴィアタン様の命令が無ければ、ぐっ!」「是非、色欲の根源魔術で甚振られたかったのですが、げふ!」

リコのその言葉にアイトは、闇の中でのソフィアが言った、アステーリで暴れる海魔獣の対応するためのヒントを思い出し、リコを投げる手を止めた。

『リコに楽しみを与える』

その為の条件は提示できる。しかし、荒唐無形こうとうむけいで無謀なことのように思える。だが、賭けるしかない。アイトの全身に緊張が走り、手が湿る。強ばった表情でアイトは、地面に倒れ込んだ、眉をひそめ残念そうな顔のリコを見下し言った。

「今すぐに、海魔獣をアステーリから撤退させてください……」

「投げ飛ばしたと思えば、今度は無理なご命令をなさる。いったいどういうつもりで—」と、言うリコにアイトは被せるように「応えてくれるなら‼」

アイトは賭けた眼前のドⅯに。

「色欲の根源魔装で僕は、リコさんを三日三晩甚振みっかみばんいたぶり続けます」

それを聞いて、リコはよろよろと立ち上がると、拳を握り眉間に力をいれ端正な顔立ちをしわくちゃにして苦悶の声を出す。

「三日三晩、ですか……」

三日じゃ足りないのか⁉と、察したアイトは、リコに広げた手のひらを見せ言った。

「じゃあ五日間、甚振ります」

「い、五日間ンン—!」

リコは頭を抱え、身もだえるように叫ぶ。

アイトは直感した。—いける、このまま押し切きれ!

「3カ月!3カ月間、僕はリコさんを甚振り続けます‼」

駄目押しの投げやりな言葉だった。その時アイトは、レプレが予知した、レヴィアタンが魔術世界の全人類を滅ぼすタイムリミットなど微塵も思考になかった。

リコの口元が大きく歪む。そして「うへへへへへへ~」と不気味な笑いを出して叫んだ。

「素晴らしいー‼」

リコは、夜空に両手を突きあげ喜んだ。が、不意に手を顎に当て、じれったい言い方で話し出す。

「いや~素晴らしい提案なのですが~海魔獣たちの眼と耳は全てレヴィアタン様に筒抜け。下手に撤退させれば、確実にレヴィアタン様に虚構魔術を掛けられ、チェンシー様と同様に操られることになってしまいます~」

「だから、僕の提案は飲めないと?」アイトは、眉間にしわをよせ問う。

「撤退させられませんが…」リコは、アイトの真横に立ち、耳元でささやいた。「海魔獣たちがアイト様を襲うよう、命令することは出来ますよ」

リコの妥協案に、真っ先にアイトの心中に、不安と恐れが湧いた。それは、近くに倒れ込むジョンやゼナが、自分を襲い来る海魔獣たちの進行に、巻き込まれる懸念であった。

しかし、アイトは、迷わずに肯き、リコの提案を飲んだ。そうさせたのは、あの闇の中でソフィアに叱咤されたからだった。アイトは自身の怯えた感情に反応するのではなく、自身が本当に望んでいる意志を貫いた。この騒動の終息の糸口を引き、願う未来へ進むために。

「交渉成立ですね」とリコはにやけ顔で言い、アイトの額を人差し指で軽く突いた。

アイトはすぐさま額に手を当てる。額にはシールを貼り付けられたような異質な感触が。

「何を、やったんですか⁉」

「一時的に魔力で、目印を付けただけですよ」

したり顔でリコは答えると、アイトの視界から一瞬で姿を消した。アイトが目を丸くすると、崩れかけた壁にもたれていたチェンシーの姿もなくなっている。周囲をきょろきょろと見渡すアイト。すると背後からリコの声が。

「こちらですよ、アイト様」

アイトが振り向くと、背後にチェンシーを抱きかかえたリコが立っていた。

「3カ月間の責苦、楽しみにしていますよ!」そう満面の笑みでリコは言い、跳躍し飛び去るように、夜闇の中に消えた。

徐々に頭に上った血が引いていき、先ほどまであった発熱、頭痛がなくなる。魔力干渉の効果範囲外に、憤怒の根源魔装が遠のいたのを察する。

「ふぅ……」と、アイトは胸を撫で下ろし、深く息を吐いた。

「フハハハ。気を緩めるなよ、アイト」

「レプレさん!?」と言ってアイトが、ジョンが倒れる方へ視線を向けようとしたそのとき。

ドゴゴゴゴゴゴゴ!

と、激しい地鳴りが起こり、その場にしゃがみこむアイト。周囲から、砂煙を上げどんどん海魔獣たちが四方八方から突進して来る。

「まさか、本当に一人でリコとチェンシーを退散させちまうとは、驚いたぞ」

と低い疲れのある声でジョンが、片腕を庇うようにしてアイトに近づいてくる。アイトはすぐさまジョンに駆け寄り、治癒魔術を掛けた。

「もしかして、この流れ全部、レプレさんが予知していたことだったんですか?」

「スパルタだよな」と、ジョンは肯く。

「フハハハ。いつものながら、面白い博打じゃったな。よくぞ、困難を乗り越えたアイト」

ジョンの内ポケットからする、愉快そうなレプレの声に、ジョンとアイトは深くため息をついた。

「それじゃ、この先の算段はあるんですよね?」と、焦りのある表情をしたアイトが、倒れているゼナの元へ駆け寄る。アイトの後を追いながらジョンは言う。

「この数の海魔獣と戦うとか、言わないで下さいよ。俺はリコみたいなドⅯじゃないですから」

「フハハハ。なぁに、抜かりはないよ」

そのレプレの陽気な声とともに、ゴキィィィ!ゴオオオオオオオオオ!と、激しい機械的な音が鳴り響いた。ドン、ドン、ドン!と、断続した爆破音が南の崩れかけた城壁の方から鳴り、全長4メートルほどの蟹やエイの海魔獣たちが、夜空に吹き飛ぶ、そこから1両の魔石列車が、アイトたちの元へ突っ込んでくる。

「迎えにきましたぞ‼」高らかな声を上げ、黒の鎧を身にまとった小柄な獣人、ナベリウスが、4メートルの巨大な蟹の海魔獣を持ち上げながら、魔石列車の上に仁王立ちしている。

「ゼナ、ご飯だぞ!」と、ナベリウスは持ち上げた蟹をゼナに向かって投げつけた。

「うぁ!ナベリウスさん!まだ、ゼナさん起きてないんですよ!」と、慌ててゼナの元へ向かおうとするアイト。そんなアイトの肩をジョンが掴んだ。

「まあ、見てろ、アイト」

巨大蟹が、ゼナの真上まで飛んできた瞬間、頭に巻かれた橙色のターバンがするすると頭から離れ、蟹に飛びつく。すると一瞬にして蟹が、無数の橙色の光る粒に変化しゼナの全身に吸い込まれる。ゼナの瞼がぱちりと開く。

「蟹、最高—!」と溌溂はつらつとした声を出して、飛び跳ねるように起き上がる。


ドゴゴゴゴン‼

と轟音が鳴り、砂岩の城壁を突き破った魔石列車が、猛スピードでどこまでも続く砂漠へと飛び出す。

「眩しい」とアイトが魔石列車の運転室ドアの小窓から顔を背けた。小窓からは、砂漠の地平線から昇るオレンジ色の光が差している。もう一晩たったのか……と思うとともに、全身が重たくなった疲れを感じる。しかし眠気は一切なく、筋肉の力みや緊張感が抜けなかった。

「ジョン、もっとスピード上げて、後ろ来てるよ!」と、警告するのは、魔石列車後方の燃料の魔石を積んでいる魔石庫の屋根に乗ったゼナだった。

「わかっている。しっかり、掴まっていろよ」と、魔石列車の操縦をするジョンが、掴んだ船のハンドルの右のレバーを前に押す。魔石列車の速度計のメーターの針が、右に大きく振れる。

ゴォォォォ———!とけたたましい音を鳴らし、魔石列車が加速する。

そのとき、魔石列車が穴を空けた城壁から、おびただしい数の、水色と黒のマーブル模様の海魔獣たちが飛び出し、魔石列車を追って来る。

「ジョン、全然距離が離れないよ」

ゼナの声にアイトは、小窓から顔を出して後方を確認した。すると、蟹やエイなど、アステーリで暴れていた海魔獣は、はるか後方にいたが、砂漠の中から次々と、無数の水色と黒のマーブル模様の背びれが現れ、どんどん魔石列車に迫って来きている。

「新手の海魔獣⁉」

「これが、全速力だぞ!」

「リコ殿の策ですかな。アステーリの外に、足の速い海魔獣を放っておいたのでしょう」と、魔石列車の運転室の屋根に仁王立ちするナベリウスが分析し、剣のキーホルダーを付けた右手を横に伸ばし唱える。

「ビゲェネビィソ」

一瞬にしてキーホルダーは巨大化し、ナベリウスの身の丈ほどの鉛色の大剣へと変わる。

「レヴィアタンが魔術世界の大地を海に沈めるまで、あと5日です。ゼナ、ジョン、アイト様、あとは頼みましたぞ」

と言って、ナベリウスはその場で高く飛び上がる。猛スピードで魔石列車が真下を通過する中、ナベリウスは、胸を逸らして大剣を振り上げ叫んだ。

獣人拳大鯰大揺斬じゅうじんけんおおなまずだいようぎり!」

ナベリウスが、振り上げられた大剣を砂漠に叩きつけた瞬間、ナベリウスの前の砂漠が荒れ狂う波のように激しく振動した。砂漠から鮫の海魔獣が次々と飛び出し、砂の上で仰向けに倒れる。

「大量、大量。さて、残りの海魔獣はどう料理しようか」

と、ナベリウスが言ったそのとき、巨大な影がナベリウスを覆った。咄嗟に首を上げるナベリウス。そこには、人の頭ほどの大きさの鋭利な牙を生やしたしゃちの大口がナベリウスを飲み込まんとしていた。ナベリウスは、動じることなく大剣を振った。

獣人拳雷獣閃光斬じゅうじんけんらいじゅうせんこうぎり」

鯱の全身が、一閃し、瞬く間に鯱は空中で爆散した。黒焦げの肉片と骨が落ちてくる中、電撃をまとった大剣を肩に担ぐナベリウスが、不意に後ろを向く。

「むむ、少し行かせしまったか…。まぁ、あの数なら—」そう言いかけたとき。

バサバサと、羽音がナベリウスの頭上で鳴った。

「あれは……」

朝焼けの空の光を浴びた、つやのある黒い翼を羽ばたかせた黒い巨鳥きょちょうが、魔石列車を追うように飛び去っていく。


「なんですか、あの竜巻⁉」と、動揺を口にするアイト。

魔石列車の前方に、一本の砂の塔のような竜巻が巻き上がっている。

「フハハハ、古い都市用の結界じゃなあ」と言って運転室のフロントガラスからレプレが現れ説明する。「竜巻に近づき、向かい風ならば結界ないに入ることができん。追い風ならば結界内に入ることができる」

「それで、俺たちはあれに入ることはできるんですか?」と、ジョンが問うたとき、右目を光らせたレプレが笑いながら愉快そうに言う。

「フハハハ。問題ない。じゃが、その前に、飛ぶことになるがなあ」

「飛ぶ?」とアイトが首を傾ける。そのとき、魔石列車の進路上の砂が盛り上がり、魔石列車が通過する瞬間、砂漠からウツボの海魔獣が飛び出し、魔石列車は上空に吹き飛ばされた。

「ぐぁぁぁぁ!」と悲鳴を上げ、手すりを掴むアイト。

「クソったれ!こんなときは、えーと!」と焦った様子で黄色の小袋に手を入れるジョン。

そんな二人とはことなり、ゼナは、魔石列車の後方から飛び出そうとする。

「フハハハ。待つのじゃゼナ。横からもくるぞ」

そうレプレが言ったとき、飛び上がった魔石列車の右側面から、ダツのような海魔獣が突っ込んでくる。

「レプレ様、これからどうすれば⁉」とゼナが問うと、レプレは笑って答えた。

「フハハハ。うむ、我が三つ数える。そのタイミングで外に飛び出すのじゃ」と言って、レプレは3、2、と数え始め、アイトは必死で魔石列車のドアを引いて開けた。そしてレプレが1と言った次の瞬間。4メートルほどのダツの海魔獣が、投げ槍のようにすっ飛んで魔石列車に突き刺さる。直後、下から飛び出したウツボがダツの刺さった魔石列車を咥えた。その瞬間、魔石列車が爆発。二匹の海魔獣は砂漠に砂しぶきを上げ叩きつけられた。

そんな海魔獣たちを追うように、落下するアイトたち。3人ともそれぞれ距離が離れている。

「こ、これからどうすんですか⁉」と叫ぶアイト。すると、ジョンの胸の内ポケットに入った手鏡からレプレの声が。

「3人とも、足を尻に付けるくらい閉じるのじゃ!」

うつ伏せの状態で膝を曲げたアイトたちは、次第に空中で姿勢を安定させていく。

ちょうどその時。

魔石列車で走って来た方向から、大烏おおがらすが、アイトたちに向かって羽ばたいて来た。

「おまたせ!みんなー!」と大烏が、はずんだ幼女の声を出す。

「ルクスちゃん⁉」と、驚くアイト。

「戻ったかルクス」そうジョンが言ったとき、瞬く間にジョンはルクスの足に肩を掴まれた。そのすぐ後、ゼナがタイミングを合わせ、上手くルクスの背にしがみつく。

一方アイトが、手を伸ばしルクスの背の羽毛を掴もうとしたそのとき、強風が竜巻に向かって吹き、アイトは竜巻に向かって吹き飛ばされた。ルクスとの距離が一瞬で大きく開く。

—とどかない!?

と、脳裏に言葉がよぎったとき、かぼそい手がアイトの伸ばした手を握ってルクスの元へ引き寄せた。

「大丈夫、アイトくん⁉」と心配した声を出すゼナ。

「はい、なんとか。ありがとうございます、ゼナさん」と、アイトが礼を言いつつ手元を見ると、手を掴んでいたのはゼナではなく、ルクスが西の城壁に連れていったはずのティスであった。

「どうして、君が……!?」

「黒いウサギが、アンタたちがピュラのいる場所に行くからついて来るかって聞かれたのよ」

「レプレさん、これも色欲の根源魔装を手入れるための計画ですか」と、呆れた声で言うジョン。

「うむ。そんなところじゃ」

そう肯定してから、レプレは意味深に言った。

「お主たちなら、ティス嬢の気持ちがわかるじゃろ」

その言葉に、アイトは母の姿を想い浮かべた。ジョンは腕を組み、瞳を閉じ難しい顔をして黙った。

「うん~ならしょうがないね」と、吹っ切れたようにゼナが言う。「ティスさん、これから行く色欲の魔術師の国で、どんな危険があるかわからない。一人で行動とか、絶対にしないでね。あと、ピュラさんの事を教えて、私も探すのを手伝うよ」

「あ、ありがとうございます!」とティスは、驚きと喜びが混ざったような礼を言った。

「さて、そろそろじゃなあ。お主たち、しっかり掴まるのじゃぞ」

と、レプレの言葉が合図であったかのように、突風が竜巻に向かって吹き荒れた。ルクスは大きな黒い翼をひろげその追い風に乗った。「みんな、ふりおとされないでね!」興奮気味な幼女の声のすぐ後、「うぁぁぁぁぁぁぁ!」と4人の男女の悲鳴が上がる。

瞬く間に4人を乗せた大烏は、黄土色おおどいろの竜巻に直前まで迫る。

「フハハハ。良い絶叫じゃ」と愉快そうに笑っていたレプレが、些細なことを思い出したかのように平然と言った。「あーそうそう、結界内に我ははいれん。じゃから、ウーラニアの眼の予知で指示することはできん」

「ええええええ!」と、唐突な悲報にアイト、ジョン、ゼナが同時に驚愕した。

「フハハハ。あとのことは、お主たちに任せるぞ、健闘を祈る。それとアイト、すまんが色欲の魔術師のこと、任せたぞ——」

そうレプレが言い終えたのち、大烏は砂の竜巻の中へ突入した。

視界一面、黄土色の景色に包まれ、竜巻の回転する風に流されているのを感じるアイト。

アイトは、背後から飛んできた砂が当たるのを感じ、目に砂が入らないよう、薄眼で振り向く。

頭ほどの大きさの砂岩が、隣にいるティスの後頭部目掛けて飛んでくる。

「ティスさん!」

「えっ⁉」と、ティスが隣に顔を向けると、そこにアイトの姿はなくなっていた。

「ウソ⁉アイトくん、落ちたの⁉」と、青ざめた顔をしたゼナが後方を見つめている。

「マジか。レプレさんがいなくなって、いきなりこれか…」と、やるせなく呟くジョン。



木漏れ日がさす林の獣道を一人の少女が、スキップをしながら歩いている。少女が、纏った年季の入ったボロのローブがひらひらとなびき、それに合わせるように、右目を隠した白髪が軽く跳ねた。

獣道の先に生えた一本の大樹の幹に、人がもたれかかるように座りこんでいる。

「この子がそうかしら。彼の書き置きにあった、魔王様がいった願いを叶えてくれる子っていうのは」と楽しげに少女は言う。「ヒュアキントス王国の厄災の王子……アイト」

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リゲインズ 第1部  明知宏治 @Sophokles

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