1章(13)『闇の中で』

 闇の中、幼い王子の姿になったアイトは、少し顔を見上げ眼前の異母姉の幼女、ソフィアに問いかけた。

「僕の未来について話すって、一体何を話すっていうんですか? ジョンさんもゼナさんもチェンシーさんに倒されて、もう僕は、リコさんの言う事を聞くしか……」

 アイトの眉が徐々に下に傾く。

「つまりアンタが予想する未来の自分は、リコの言いなりになって、レヴィアタンに殺されるってこと?」

 アイトは、眉間みけんにしわを寄せ軽くうなずく。

「なるほど、じゃあこれは私の考え違いだったわね」と前打って、ソフィアはアイトに語り掛ける。「てっきり、母と呼ぶあの人と俗世界に戻るために、捨て身で戦うのかと思っていたわ。廃墟でピソンたちと戦ったときのように。何度も吹き飛ばされてボコボコにされても、治癒術を使ってしぶとく立ち向かっていくってね」

 咄嗟にアイトの口から、「そんなこと……」と、否定の言葉が出たとき、脳裏に母との食事や稽古といった何気ない日常であった光景が過る。途端に虚しさと悲しさで、じわじわと胸に穴が空いていく。

 胸がざわつきアイトは、グっと拳を握り締めた。手のひらに爪が食い込む鈍い痛みで、胸のざわつきを押し殺し、言葉を絞り出す。

「……できませんよ。アステーリの人たちが、暴れている海魔獣に理不尽に被害を受け続けるなか勝ち目のない戦いをするなんてこと」

「確かにそうね。でも、レヴィアタンは厄災の王子であるアンタを殺した次は、魔術世界の全ての人命を無慈悲に奪うわよ」

 アイトは、握った小さな拳を更に強く握り震わせた。

「言われなくたって!多くの命を救うために犠牲がでる、そんなの頭ではわかっていますよ!でも、今の僕にできる事なんて………!」

 言葉を吐きだし、改めて自身の無力さに、顔を俯かせるアイト。卑屈な表情のアイトに、ソフィアは穏やかに問いかけた。

「だからアンタは、リコの言いなりになって、何もせずに諦めるの?」

「じゃあ、戦えばいいんですか。ジョンさん、ゼナさんのような根源魔術も魔装すらない僕が、どうやってあの憤怒の根源魔装と戦えばいいんですか?」

「そうね。あの魔装は強力ね。正確に弱点に一撃を与えられれば、どんなモノでも破壊することが出来る」と言ってソフィアは、淡々と言う。「なら、変化させなければいいのよ」

「え、変化させないって、そんなこと出来るんですか?」

「魔石列車でのゼナの言葉を忘れたの?アンタは、ジョンやゼナ、私ですらできない強力な魔力干渉が使えるのよ。魔装は、魔力が流れているから起動するものなの。だから憤怒の根源魔装が変化しないよう、魔力干渉で魔力を制御すればいいのよ」

「仮に、それができたとして僕一人で、リコさん、チェンシーさんを相手できるわけ……」

「そうね。二対一の不利な状況は変わらない。でも、アンタにはその困難に立ち向かうだけの理由があるはずよ。転移したあの廃墟で、勝てそうにもないナベリウスの部下を前に、死にかけながら立ち向かった。そうさせるだけの、思いを託されたでしょ。母と呼ぶあの人から」

 アイトの脳裏に、ボロボロと涙を流す母の顔がよぎる。

 ドクン!

 深く大きい振動が、胸から全身へと広がる。手足が痺れ震える。全身が力み、目頭が潤む。鼻に冷たさを感じ、思わず鼻をすする。

「僕は……いきなきゃ…」と、アイトは弱々しい言葉を吐き出した。

「そうね」と、相槌を打ってソフィアは、手を軽く叩く。

 アイトとソフィアの真横に大きな画像が現れる。

 陰鬱な画像だった。鼠色の重々しい空と石材の瓦礫が散乱する荒廃した街の一角に、足から血を流す男の患部に魔力の光を帯びた両手を掲げる、ヒュアキントス王国の幼い王子だったアイトがいた。

「……昔の話は、しないんじゃないんですか?」

 画像を見上げながら問うアイト。

救民きゅうみんする厄災の王子。これが未来のアンタになるのよ」

「え?」

 眉をひそめ、横にいるソフィアを見るアイト。ソフィアの視線は、画像に向かっている。

 再び視線を画像に移すと、アイトは目を見開いた。

 重々しい雲や荒廃した街並みはなく、快晴の空の下、いくつもの小さな紅色の花を咲かせるヒヤシンスの花畑が広がり、16歳の姿のアイトが立っている。周囲には、怪我を負った者の姿はなく、ジョンやゼナ、ナベリウス、アステーリの人々が笑っている。そしてアイトの隣には、微笑む母がいた。

 アイトは、衝動的に手を伸ばし、画像の母にれる。そして画像をまじまじと見つめ、静かに鼻をすすってから問う。

「本当に、こんな未来が実現できるんですか?」

 小さくなったアイトの肩に、横からソフィアが優しく手を乗せゆっくりと語り掛ける。

「自分の内から聞こえる、暗く沈んだ怯えた声に、いつまでも耳を傾ける必要なんてないのよ」

 アイトは顔を上げ、肩に乗った手をたどる様に視線を動かし、幼女とは思えない凛とした表情のソフィアを見つめた。

「いい加減、臆病な自分に言い返してやりなさい。アンタの覚悟と決意を」

 アイトの全身に鳥肌が立ち、言葉がよぎる。

 ——そうか……。僕にとっての本当の敵は、リコさんやチェンシーさん、憤怒の根源魔装でもない、全てを諦めてしまう恐怖心きょうふしんだったのか……!

 気づくと、アイトは少し見上げていたソフィアを、いつのまにか見下ろしていた。

「元に戻ったのか⁉」アイトは体を確認するように触る。

「やっとその気になったようね」と、ソフィアは少し明るい安堵の声を掛ける。

 アイトは、ソフィアを見つめてゆっくりと肯く。

「自分の心の弱さと対峙する。やれるかわからない。でも、立ち向かっていかなきゃいけないって今は、はっきりと思います」

 そんなやる気に満ちたアイトに、ソフィアが意地悪そうに言い放つ。

「それじゃ、そのやる気と勢いで、海魔獣たちのことも何とかするのね」

「うっ!」

 途端にアイトは、浮かない顔をして問う。

「すいません。海魔獣たちはどうしたら……」

「はぁ…」と、ソフィアは、落胆のため息を吐き、アイトをジト目で見上げながら返答する。

「やる気になったんだから、少しはその鈍い頭回して考えなさい。頭錆ついて、単細胞馬鹿になるわよ」

 アイトは、勢いよく頭を下げた。

「教えて下さい。ソフィアお姉ちゃん!」

「って、言ったそばからアンタは!」と、言って眉を吊り上げるソフィア。「まったく、10年前とちっとも変わらないわね。そう言えば、何でも教えてくれるとでも思っているの?」

「でも、こうしているあいだにも、海魔獣たちが!」

「……まったく。成長したのは、外見だけじゃない。少しは稽古以外にも、考える訓練もさせなさいよね……」と、ソフィアは小さくぼやいて、投げやりな口調で言う。「それじゃあヒントよ。リコに楽しみを与えなさい」

「リコさんに、楽しみ……?」

 アイトは顎に手を当て、首を傾げて考えた。その様子を見て、ソフィアは軽く口角を上げて言った。

「それじゃあね」

 ソフィアの体が徐々に闇に溶け込むように消える。それに気づき、慌てて一礼するアイト。

「ありがとうございました、ソフィアお姉ちゃん!」

 ソフィアは黙って手を伸ばし、アイトの下がった頭をゆっくりと撫でた。その手の落ちついた動きは、外見不相応な大人びた雰囲気をまとっていた。

 ソフィアの優しい声が闇の中に響く。その時、アイトの頭から小さな手の感触が消える。


 アイトは目覚めた。

 視界は薄暗くぼやけ、焦点が定まらない。手には砂の冷たさを感じる。

 感覚がにぶっている。耳に入る周囲の音も遠いい。

 ただ、小さく優しいソフィアの声が耳の奥で響いていた。

「まっているわよ……」

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