1章(12)『憤怒の根源魔装』

 海魔獣かいまじゅうとアンデットたちの戦いによって、城郭都市アステーリの至る所で砂岩の建造物は破壊され、砂煙と雷鳴のような轟音が上がっていた。

 そんなさなか、青年の奇怪な喜声きせいが上がる。

「ああ!レヴィアタン様に寝返り、チェンシー様を虚構魔術の毒牙にかけたのは正解でした!ゼナ様、最高に痛いアッパーですよ!わたくし、昇天してこの夜空の星になってしまいそうです!」

 喜声の主であるリコは、言葉通りぐんぐんと天高く吹き飛ばされていく。

 そんな、不忠ふちゅうと喜びの叫びを聞いたアイトは、呆然と上を見上げた後に確信した。

「変態だ……。しかも、厄介な変態だ」

 息を合わせたように、ジョン、ゼナ、チェンシーの三人が肯いた。

「変態!そうです、アイト様!わたくし、リコはあらゆる痛みに快感を得るマゾヒスト、人呼んでドⅯ従者です!ですから、もっと私を痛めつけてくださいー!」

「そんな暇あるか!」と、ジョンは一喝して、リコに黒いマントを投げつけ唱える。「プロヨ!」

 黒のマントが、リコの全身にぐるりと巻き付き、あっという間にリコは黒いミイラのような姿になった。

「ん!ううう!んうう♡!」

 リコの口を覆った黒い布が小刻みに動き、不気味な笑みが浮き上がる。

「いくぞ、ゼナ!」

 間髪入れずにジョンは、アイトとチェンシー、隣り合う二人の間に人差し指を差す。その手には、黄色と黒の縞模様の手袋を付けている。

 咄嗟にゼナが目前のアイトの手を取り早口で言う。

「目を閉じて」

 言われるがまま、目を強くつぶるアイト。

 即座にアイトの左隣にいたチェンシーが、手に持った憤怒の根源魔装こんげんまそうである赤い棍棒をアイトに突きだす。

 パリィ!と高く響く音が、アイトの耳元で鳴った。それは、アイトとチェンシーの間に飛んできた薄く小さな盾が、赤い棍棒によって粉々に破壊された音だった。

「ピギフォトス」と、ジョンが唱える。

 粉砕され散らばった盾の破片が金粉のように輝き始め、目を潰すほどの閃光が放たれた。それにより、一瞬の間その場にいたアイトたちの姿が消える。

「チッ…」

 数秒して、小さく舌打ちを吐いたチェンシー。その場に、アイト、ゼナ、ジョンの姿はなかった。代わりに、瓦礫の上に横たわった黒いミイラになったリコが左右に体を揺らしている。そんな蛹のような動きをするリコに、赤い棍棒を上から突きさそうとするチェンシー。すると棍棒の先が鋭く尖った槍状に変化した。それが、リコに巻き付いた黒いマントに触れた瞬間に黒いマントはビリビリに破れ飛散した。

「はぁ、はぁ、はぁ……。なかなかいい締め具合の拘束、いや窒息プレイでした~うへへへへ~」と、黒いマントから解放されたリコは、気味悪い引き笑いをしながら立ち上がる。

 そんなリコの顔面を、チェンシーは思いっきり平手打ちする。

「アハ!痛い♡」

 と、嬉しそうに言いうリコをチェンシーは見向きもせず、黙って城壁の南門を破壊してできた、城壁の巨大な隙間を指差す。

「なるほど、チェンシー様は仕事熱心ですね。わたくし感動しま—」

 と、リコが言いかけた時、リコの尻を勢いよく蹴り飛ばすチェンシー。

「アハァァァァァ♡」と、気色きしょくの悪い喘ぎ声を出しながら、四つ這いになるリコ。そんなリコの背に足を組んで腰掛けるチェンシー。

「御託はいいから、さっさと行けと言う事ですねチェ—!ひいっー!」

 チェンシーは、リコの白い髪を引っ張る。

「ありがとうございます!」

 リコの全身が光り出す。

「チッ、はぁ…」と、仏頂面のチェンシーが小さく苛立ちを吐く。


 アイトは走っていた、前を走るジョン、ゼナの後を追って。3人とも身体強化魔術を使っているため、砂岩の瓦礫の上を飛び跳ねるように駆ける。

 不意にアイトの真横に、昨晩、たこ焼きパーティが開催されていたバザールが見えた。

 多くの人々が、厄災の王子であるアイトを歓迎した、華やかで人々の活気に満ちていたバザールは、今は見るも無残な状態である。天井部分は跡形もなく消え、数本の崩れかけた砂岩の柱が、名残として立っていた。左右にあった商店などの建物は全て崩れ、砂岩の瓦礫とかしている。更に、バザールの通路には大きな地割が開いていた。

 その地割れから海魔獣が次々と這い出て、迎え撃つようにアンデットたちが戦っている。

 その隅で、衛兵たちが瓦礫の中から負傷者を懸命に救助している。

 アイトは、沈鬱ちんうつな表情で歯を食いしばり、必死に足を動かした。胸を締め付ける、罪悪感と無力さに苦悩しながら。

 唐突に、楽しげな笑声えごえが響く。 

「フハハハ。アイト救出作戦大成功じゃなあ。よくやったぞ、ジョン、ゼナ。さあさあ、急いだ急いだ、今度は、赤鬼と鬼ごっこじゃぞ」

 急かす声は、ジョンが着るロングコートの内ポケットにはいった手鏡からだった。

「わかっていますよ、レプレさん」と、ジョンが手鏡の中にいる服を着た黒ウサギ、レプレに言う。

「ジョン、なんか乗り物の魔装だしてよ!このスピードじゃ、すぐに追いつかれちゃう!」と、魔装を出すよう急かすゼナにジョンは言い返す。

「あったら先に出してるよ。それに、リコより速い魔装なんて俺は知らない」

「リコさんって、そんなに足が速いんですか?」と、問いながらアイトは、間近に迫った前方の内城壁を見て続けて言う。「さっきの場所から結構な距離、走ったと思うんですけど」

「これくらいの距離、あのドⅯなら余裕で追いつてくる。元々、走るために生まれたようなものだからな。今、出せるのは足止めトラップくらいだよ」と言ってジョンは、黄色の小袋から手の平サイズの手榴弾のような物を後ろに投げ飛ばした。

「ちょっとジョン!」と、ゼナが語気を強くして言う。「そういうの、無闇に放り投げないでよ、当たったら危ないでしょ!」

「当たらないように投げたから大丈夫だったろう……」と、嫌味ったらしく小声を吐くジョン。

「そういう、問題じゃなくて!」と、ゼナが食って掛かる。

「じゃ、どういう問題なんだよ!」と、ジョンが言い返す。

 アイトは困惑した。先ほどまでチェンシーとリコを冷静に対処していたジョンとゼナが、余裕のない様子で口論を始めたことに。

 だが、大方の察しはつく。なので、二人の口論が激しくなる前に問う。

「そんなに、チェンシーさんとリコさんって強いんですか?」

 ジョンとゼナは、口論を止めアイトに向かって口をそろえて言う。

「絶対に戦いたくない相手だ!」「絶対に戦いたくない相手だよ!」

「そ、そうなんですか」と、相槌を打ちアイトは、リコの喜声を思い出す。「確かにリコさんとは戦いたくないですね。ゼナさんに殴り飛ばされても意識がはっきりとしているなんて、尋常じゃない打たれ強さですよ。こっちが攻撃を出し切って、息切れした隙をついて攻撃を仕掛けてきそうです」

「凄いアイトくん。さっきのだけで、リコさんの戦い方を言い当てちゃうなんて」

「まあー、その点に関してリコは厄介だ。でも、対処策ならいくらでもある。問題は、チェンシーなんだよ…」と、気だるそうに言うジョン。

「リコさんが言っていましたね、チェンシーさんの憤怒の根源魔術は最強の根源魔術だと」

「その理由は、憤怒の根源魔装の能力にある」

 と、ジョンが言った後に、ゼナが暗い表情で言う。

「敵の弱点を突く武器に、変化するんだよ」

「弱点を突く武器?」

 言葉からは想像ができずにアイトが、首を傾げたその時、

 ドーン!

 と、耳を抑えたくなる轟音が背後からなり、突風がアイトたちの背を勢いよく押した。

「おいおい、もう追いついてきたのかよ!」とジョンが早口で叫ぶ。

 咄嗟に後ろを振り向くアイト。背後には黒煙が立ち込めている。

 ヒヒィィィン!

 唐突に、馬の唸り声が上がる。次の瞬間、黒煙を突き破るようにして、純白の一本角を生やした白馬が颯爽と飛び出す。

「ユニコーン!?」

 思わず物語の幻獣げんじゅうの名を叫んだアイトに、ジョンが咄嗟に警告する。

「気を付けろ、あれはリコだ!」

「リコさん!?」

 タタタタ!軽快な音とともに

「はい。これが私の本来の姿です、アイト様」

 とアイトの横を駆け抜けたユニコーンが答えた。そのユニコーンの背には、赤い棍棒を持ったチェンシーが腰掛けている。

 馬上のチェンシーは、左手でユニコーンの鬣を掴み、右手に持った棍棒をジョンの後頭部目掛けてスイングする。すると、棍棒の先端が湾曲し鋭くとがり、鎌のような形状に変化した。

「あれが、憤怒の根源魔装の能力!」と眼を見開くアイト。

「大道芸みたいな戦い方しやがって!」とジョンは、足一本を軸に体全体をターンさせる。

 真正面から来るチェンシーの赤い鎌と向きあったジョンは、素早く黄色い小袋から、ハンカチを抜き取るかのように、分厚く重々しい灰色の岩の盾を出して身構えた。

 すると、赤い鎌の刃が一瞬で筒状になり、赤いハンマーへと変化する。それに合わせて、チェンシーは、腕の動きを横ふりから下からすくい上げるようにする。

 ドンと鈍い音が鳴り、分厚い岩の盾を持ったジョンが、弧を描いて跳ねるボールのように突き飛ばされた。ジョンは、そのまま瓦礫の上に落ち倒れ込む。持っている岩の盾には、ハンマーで抉られた凹みができ、そこを中心に四方八方にヒビが入ってボロボロと砕けていく。

「ジョンさん!今、治癒魔術を!」

 と、アイトがジョンのところへ駆け寄ろうとしたそのとき、ゼナが低いトーンで口ずさんだ。

獣人拳じゅうじんけん―!」

 ゼナは豹変した。先ほどまで、迫るチェンシーたちの脅威に余裕をなくしていた人物とは思えないほど眼光が鋭くなり、騎乗するチェンシーの側面を橙色の魔力を帯びた籠手の魔装で殴り掛かる。

 チェンシーは、騎乗していたユニコーンの脇腹を蹴り高く飛び跳ね、赤いハンマーをゼナに向かって振り落とした。

 ゼナとチェンシーの戦闘によって、アイトは前方の行く手を塞がれた。ならばと、横から迂回してジョンの元に行こうと走りだすアイト。その先に、チェンシーに蹴とばされた勢いで横に倒れたユニコーンがゴロゴロと体を揺らしている。

「ヒィィ……ヒヒヒン……」と鳴き声を上げながら、はみかんだ笑顔を見せる。

「うわっ……」と、その姿を見て、思わず顔をしかめるアイト。

 ユニコーンの全身が光だす。そして、ユニコーンの姿からスーツを着た白髪の青年へ変身するリコ。

 リコは、額に冷や汗を浮かべ、蹴られたわき腹を手で押さえながら、

「はぁ、はぁ、はぁ……、いい、あははは……」

 と、へらへらと静かに笑いのた打ち回る。

 痛々しさと気持ち悪さが混ざったリコの痴態に、気を取られていたアイトの視界に、無数の橙と赤の火花のようなものが飛んでくる。それは、ゼナとチェンシーの目にも留まらない速度の攻防で弾け飛んだ魔力だった。

 アイトは見入ってしまった。その攻防の激しさと美しさ、そして戦いの動向にほのかな希望を感じたからだった。

 攻防の様相は、素早く体術を繰り出し続けるゼナの攻めに、圧倒され防戦一方のチェンシーという具合だった。というのも、憤怒の根源魔装がゼナの攻撃が来る度に絶えずに形を変える為、チェンシーは攻勢に出るどころか、苦しい顔付きで攻撃を防ぐので精一杯といった様子なのだ。

「い、いける……」

 アイトは思わず拳を握って、ゼナの勝利を口走る。

「それは、どうでしょうかね」

 その声は、リコの声だった。

 リコは、アイトの隣にいつの間にか立って二人の攻防を見つめていた。反射的にアイトはリコから少し距離をとり、半身はんみの姿勢で身構えた。

 そんなアイトの反応を見向きもせず平然とリコは話し出す。

「ゼナ様の弱点をアイト様はご存じですか?」

「ゼナさんの弱点?」

 唐突な質問にアイトは、疑問を抱かず、下を向きながらゼナが戦っているところを思い返した。

 砂漠での巨大なタコ、フタポーディとの闘い。暴食の根源魔装を使用すると周囲の魔力を無差別に吸収してしまうため、ゼナは根源魔装を使って戦うことを控えていた。

「根源魔装が使用できないことですか」

「確かに、ゼナ様にとって根源魔装を使用が状況に左右されるのは痛手ですが、それ以上にゼナ様にとって大きな弱点があるのです。暴食の根源魔術ゆえの」

「つまり、暴食の根源魔術の弱点……」

 と、アイトが何気なく言った時、不意にゼナが砂漠でフタポーディと戦っていた最中にフタポーディの触腕しょくわんを食べていたのを思い出す。

「もしかして!」

 ぐぅぅぅぅ~~~!

 気の抜けた大きな音が鳴った。それは、ゼナの腹からだった。

「時間のようですね」と、リコがいったとき、ゼナの動きが止まり、力が抜けた様に肩をがっくりと落とし腹を手で押さえながら、アイトに向かって力なく言う。

「ご、ごめんアイトくん……、もう限界みたい……。ご飯……もっと食べておけば……よかった………」

「ゼナさん——‼」

 バタン……。あっけなくその場に倒れるゼナ。それの姿を、肩で荒い息を吐きながら見下ろすチェンシー。

 その光景はアイトの内にあったほのかな希望を絶望に変え、アイトは絶句した。

 時が止まったように呆然と立ち尽くすアイトに、柔らかい声で提案するリコ。

「どうでしょうアイト様、このまま私たちとヒュアキントス王国に大人しついて行くのであれば、ゼナ様、ジョン様の命は取らず、アステーリから海魔獣を引かせましょう」

 アイトは、ただじっと前を見つめ、精気のない小声で確認する。

「……僕が大人しくついて行けば、……みんなは、助かりますか?」

「はい」と、肯きアイトに手を差し出すリコ。

「なら、僕は…」と、言って差し出された手を取ろうとするアイト。

 リコの口元が大きくゆるむ。

「ならんぞ、アイト‼」

 アイトの手が止まる。

 声の主は、ジョンのロングコートの内ポケットにある手鏡にいるレプレだった。

「目先の犠牲に気を取られるでない!思い出せお主の願いを。取り戻したいのじゃろ、俗世界での母との暮らしを!」

「アイト様のお母様かあさまですか……」と、リコがぽつり呟いて顎に手を当てる。

 アイトは、顔を俯かせて言った。

「……レプレさんは、僕に他の人たちを不幸にしてでも、自分の願いを叶えろと、言うんですか」

 アイトは心の底から、レプレの言葉を嫌悪し拒んだ。

「そんな形で願いが叶っても、きっと母さんは……」

 アイトは思い返す。

『他人が不幸になるのを無視してでも、自分が欲しいモノを手に入れようとしてはいけない』

 それは、幼い頃から母に言いつけられた言葉だった。

 仮に、他者の命を犠牲にして元の生活に戻れたとしても、きっと母はこの行為を由とせず、アイトは良心の呵責にさいなまれ母に顔向けできない。

 このことから、レプレの指示では、アイトが真に望む未来を手にすることができないのは明白だった。

 少しの沈黙がその場に流れた。

 周囲では、絶え間なくボン、ドン、バンと爆発、破裂したけたたましい音が鳴り響き、海魔獣とアンデットの戦闘によって次々と砂岩の建物が崩れ瓦礫となっていく。

 レプレは断言した。

「うむ、その通りじゃ」

「ウーラニアーの眼でそうしなくてもいい方法はないんですか?」

 すがるように問うアイトに、すぐにレプレは解答せず再び沈黙が流れた。

「やれやれ」と、リコはあきれた声を発して、レプレの代わりにアイトの問に答える。

「ありますよ。ですがそれは荒唐無稽で実行不可能。できたとしても限りなく0に近い確率で起こる奇跡なのでしょうね。だから、レプレ、貴方はその方法を言わない」

 リコは、薄らっと瞼を開け、翠玉の瞳でアイトを見つめて言った。

「アイト様、ウーラニアーの眼なんてものは、未来予知というよりも、未来予測を立てるものでしかないのです。ですから、元魔王の黒ウサギの言う事なんて信じてはいけませんよ。この黒ウサギは、自身の指示に従えばどんな願いも叶うと言い張って、無茶難題な試練を行わせ、このアステーリのような惨劇の原因を生み出すのです。お優しいアイト様でしたら、これ以上ご自身が原因で起こる惨事、犠牲が発生する前に、夢を諦め私たちとともにレヴィアタン様の元へ来てくれますよね」

 —丸め込まれている……。

 だからと言って、リコが差し出す手を振り払うすべを、アイトは知らない。頼みの綱であるレプレの助言を聞き入れることは出来ず、ジョンとゼナ、戦場とかした都市に取り残された人々の命の裁量が、刻一刻と重くのし掛かってくる。

 —悩んでいる時間はない……。

 そう、直感するとともに、レプレの言葉から思い描いていた、母と元の生活に戻るというアイトの希望は絶えた。全身の力が抜け、思考が止まり、無念の言葉がよぎる。

 —何も…できなかった……。

「敵対している身でいうのもなんですが、そう気を落とさないで下さい、アイト様。朗報があります」と、リコが励ますように話かける。「昨日、レヴィアタン様が、ヒュアキントスの女官を俗世界から連れてきました。なんでも、俗世界でアイト様を捕らえるのを邪魔したと。以前、アイト様のお母様は優秀な女官だと聞いたことがあります。もしやと思いますが、その女官、アイト様のお母様ではないのでしょうか」

 それを聞いたアイトは血相を変え、リコを問い詰めた。

「無事なんですか!母さんは無事なんですか!」

 リコは笑みを浮かべ、ありのままをアイトに伝える。

「お母様は、ヒュアキントスの地下牢で、レヴィアタン様の虚構魔術によって魔力を吸収するための実験台になっていますよ。それはもう羨ましいほどの苦痛を味わっているようで、意識もうろうで苦悶の表情で喘いでいましたね」

 それを聞き、唖然とするアイト。

「今頃、廃人状態でしょうか。ああ、羨ましい。私も廃人になるほどの虚構魔術による苦痛を受けてみたいものです」

 アイトの脳裏に、檻の中で精気のない荒んだ目の母の顔がよぎり、目頭に力が入り視界が滲みだす。

 悲痛な表情になったアイトを、追い詰めるようにリコは決断を迫る。

「さぁアイト様、ご決断を。でなければ、ヒュアキントスに着くころには、お母様は責め苦に耐えきれず、死んでしまうかもしれませんからね」

「母さんが……死ぬ…………!」と、呟いたとき、アイトの脳裏に見覚えのない光景がフラッシュバックした。

 割られた大窓から青白い光が射す、装飾の入った子供用のベッドがある部屋。小さな手にべったりとつく赤黒い液体。白いベッドシーツが赤黒く染まっていく。ベッドに横たわる赤黒い人影—。

 ガンガンガンガンガンガンガンガン!

 突然、頭をたたき割られるような頭痛がアイトを襲った。

「ぐああぁぁぁぁぁぁぁ‼」

 と、叫び声を上げながらアイトは、頭を押さえてその場にうずくまった。

 頭痛のせいか、周囲の音がだんだんとゆっくりと小さくなっていく。

「もしやこれが、…魔王復…活の…予…兆!?」と、リコが言うと、た…た……た……とゆっくりと足音がアイトに近づいてくる。

「ま……つ………の………!」

 かすれるようなレプレの小声が聞こえたそのとき、

 ポッ

 という聞き覚えのある音が、頭に響いた。

 その音とともに頭痛はピタリと止まり、周囲の音が消え、アイトの意識は闇の中にいた。

 闇の中から、装飾の入った厚手のドレスを着た長く艶のある黒髪の幼女が現れる。

「……ソフィア…さん?」

「そう言えば、ゼナから夢魔術と私のことを教えてもらっていたわね」と言って、ソフィアは少し眉を吊り上がらせ続ける。「ゼナって、面倒見が良くていい子なんだけど、抜けているところがあるよね。この重要な約束を教えそびれているわ」

「重要な約束?」と、首を傾げるアイト。

 ソフィアは、腰に手を当て口角を上げて誇らしげな顔つき、つまりドヤ顔で言った。

「私のことは、ソフィアお姉ちゃんと呼びなさい。いいわね」

「え?」と、再び首を傾げるアイト。

 パン!「はい、返事!」と、ソフィアは手を打ち合わせ急かす。

「は、はい! ソフィアお姉ちゃん!」

 呼んでみると違和感はなく、不思議と腑に落ちた感覚を覚えるアイト。そんな感覚に驚いていると、徐々にソフィアの体が大きくなっていく。

「え!ソフィアお姉ちゃんが、大きくなってる!?」

「違うわよ。アンタが小さくなっているのよ」

 パッチンと、ソフィアが指を鳴らす。一瞬にしてアイトの眼前に姿見が現れる。

 アイトは、目を丸くした。

「これって……」と、鏡に小さな手を当てるアイト。「厄災の王子……!」

 アイトの姿は、悪夢と呼んでいた夢魔術にでてくる厄災の王子の姿になっている。姿の変化に気づくと姿見は一瞬にして消えた。

「これで話しやすくなったわね」と、言ってアイトの前に歩み寄るソフィア。

「何を話すんですか……こんな状況で」と言ってアイトは顔を俯かせる。「今更、10年前の話でもするんですか?」

「そんなわけないじゃない。馬鹿なの?10年前より馬鹿になったの?」

 否定の後の罵倒に『そ、そこまで言いう……!?』と、少し気落ちするアイト。

 そんなアイトの口から、自然と返しの言葉が出る。

「ごめんなさい。考え足らずな僕に教えてください、ソフィアお姉ちゃん」

「よろしい」と、ソフィアは威張った顔でアイトを指差し言う。「アンタの、これからについて話すのよ!」

 見下すようなソフィアの青い瞳。アイトは、その自分と同じ色の瞳に、懐かしさと心強さを感じるのだった。

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