1章(8)『魔石列車の義弟と義姉』
ゴトゴトゴトゴト
軽快な音を立て砂漠の中を
魔石列車は、砕けた魔石を乗せた5台の貨物車と3台の
その客車の車窓から茜色に染まる砂漠を見つめるアイト。
ボックスシートに座るアイトの右斜め正面にはゼナが座っていた。
アイトたちの他に車内はフタポーディに襲われた数名の負傷者と衛兵がいるだけで閑散とした静かな空気が流れている。
「はぁ……」と深いため息がアイトの口からもれる。
「大丈夫?」とアイトの顔を覗き込みながらゼナが心配そうに言う。「ジョンから貰ったルドくん、特性疲労回復魔力補給ドリンクまだ余っているから1本いや2本飲んでおく?」
ゼナが、コートのポケットから2本の茶色の小瓶を取り出した途端、アイトの眉は大きく歪む。
「もういりません!大丈夫です!」と、首を振りながら言うアイト。「あの舌がヒリヒリと痛む辛味と吐き出したくなる酷い苦味はもう……」
「うんうん、癖になる味だよね」
「なりませんよ!一生飲みたくないですよ!」
再びため息を一つ付いたアイトは、視線を車窓に移すとゼナに胸中を打ち明ける。
「レプレさんのウーラニアーの
「ああ、列車に乗る前の話ね」
数時間ほど前。
日が傾きかけた砂漠で、アイトとジョン、ゼナ、ナベリウス、そしてジョンの持つ手鏡にいるレプレは、これからの行動について話していた。
「むっ、またか……」
ジョンの持つ手鏡の中にいるレプレが眉間にしわを寄せぼやく。
「どうかなされましたか、レプレ殿?」と、ナベリウスが問う。
「見えんのじゃ……。未来が」
「それって、ウーラニアーの眼が使えないってことですか?」とジョンが聞くとレプレは首を横に振り頭を抱えて言う。
「アイトが酷い目に合う未来が見えんのじゃ!」
「えっ!それどういうことですか…⁉」と、驚きこわばった表情をするアイト。
「アイトよ。これはわずかな時間でお主を成長させるために必要なのじゃ」といぶかし気に言うレプレ。「例えば、廃墟での戦いは魔力干渉を、さっきの負傷者救助は、身体強化魔術を扱えるようになるためにうってつけじゃった」
「レプレ殿は
「確かに、実践のほうが稽古よりも能力を身につけるには効率的ですね……」と、ブツブツ呟いたアイトは、眉根を寄せて真剣な顔で問う。「レプレさんどうして僕がひどい目に合う未来が見えないんですか? 僕は、もっと強くなれますよね?」
「フハハハ。案ずることはないアイト、お主は強くなる。魔王であった我を倒したクリミナルの実子じゃぞ」と、言ったレプレは少し眉をひそめる。「お主が、酷い目にあう未来が予知できないのは“同一未来現象”が起こっておるからじゃ」
「同一未来現象?」首を傾げるアイト。
「何をやっても同じ未来になる予知しかできんのじゃ」
「それで、見えている未来で僕は成長できていないという事ですか?」
「うむそうじゃ。ゼナと模擬戦、ジョンの魔装で訓練、ナベリウスの新兵訓練、女浴場に突撃させて激高した女たちに追いかけ回される修羅場、どれもお主は平然とやり過ごし運よく道に落ちた色欲の根源魔装を手に入れる」
「何やっても探していた色欲の根源魔装が手に入るのなら、結果オーライじゃないんですか?」と肩をすくめるジョン。
「それが問題なのじゃ」と言って瞳を細め、いかめしい表情になるレプレ。「以前“同一未来現象”が起こったのは、ソフィアがレヴィアタンに乗っ取られた、色欲の魔術師の譲渡式の日じゃったんじゃよ」
「えっ⁉」
レプレ以外の全員が絶句する。
「譲渡式の日、我がウーラニアーの眼で予知したのは、何をやっても、ヒュアキントスで三日三晩続く盛大な
「でも、ソフィアお姉ちゃんはレヴィアタンに乗っ取られた。つまり同一未来現象で見た予知は外れたってことですよね」とゼナ。
「うむ」とレプレは言って苦虫を噛んだ表情で「ソフィアが色欲の魔術を譲渡された瞬間にウーラニアーの眼が危険を察知して自動発動した。そのとき同一未来現象の予知は消えたのじゃ」
「もしかして、同一未来現象が消えない限り、次くる危険が予知できない状況ってことですか」とアイト。
「その可能性はおおいにある。恐らく次、ウーラニアーの眼が危険を察知して自動発動しなければ、同一未来現象はなくならんじゃろう。お主たちにはすまんが、所詮、我は魔王の記憶を持った黒ウサギということじゃ」と言ってレプレはナベリウスの方を見る。「どう転ぶか分からんが、手はずは変えん。後のことは任せたぞ、ナベリウス」
「はは」と覇気のある返事をするナベリウス。
レプレは、くるりと回り可愛らしい黒の尻尾を向け鏡の奥に歩みだす。
すると徐々にレプレの姿は薄く小さくなっていった。
「我は、原因を調べてくる。各々くれぐれも気を付けることじゃ」と言ったレプレの足が止まる。「あと、たこ焼きは取っておいてくれ」
「では、冷凍しておきましょう」とナベリウス。
「冷凍か……。できればチルドにしてくれんか?」
と、言い残して手鏡の中からレプレの姿は消えた。
「ゼナさんは不安にならないんですか?ウーラニアーの眼の予知なしに今後どうしたらいいかって…」
一通りのレプレの行動を思い出したゼナはおもむろにアイトの隣に座って言う。
「そんなに心配しなくても、どんなに狂暴な魔獣が相手でも私とジョンがいるんだよ。それに、アイトくんは治癒魔術が使えるし、フタポーディの炎から女の子を助けた時の魔力干渉なんて普通の人は出来ない凄い事なんだよ」
「そうなんですか…」
「そうだよ」と言いってゼナはアイトの後頭部に手を当て、アイトを胸元のほうに引き寄せる。
バニラのような甘い香りがしたかと思うとアイトはゼナの肩にもたれかかる体制になっていた。自然と眼前にはゼナの立体感のある胸の膨らみが写る。
途端に健全な少年であるアイトの胸の鼓動がドキリと跳ね上がった。
「ちょ、ゼナさん、これはいったい…!?」と、言いつつ抜け出そうと首を上にあげようとするアイト。しかし、後頭部を抑えるゼナの手に全く歯が立たない。
アイトの脳裏に“自分よりも小柄な体系のゼナのどこにこんな力が”と言葉がよぎった直後、ゼナがあの巨大ダコ、フタポーディを一人で倒した強者であることを思い出す。
アイトは“頭を抑える”とはまさにこのことだと、仕方なく体から力を抜く。
そんなアイトのことは
「きっと、ソフィアお姉ちゃんならこうしたから。少しは落ち着いたでしょ?」
落ち着くどころか、心臓に悪いです!と心の中で叫ぶアイト。
「そっ、その……。 いくら義弟でも、今日あったばかりなんですよ」
「まあ、確かにそうだけど。でもね……」と言ってゼナは目を細める。「養子になった頃、不安だった私をソフィアお姉ちゃんがこうしてくれたの。だから今度は私の番」
「あっ……」と、小さく吐き出したアイトは、高鳴った胸の鼓動が静かに鈍く重くなっていくのを感じた。
自分が感情的に何も考えず不安を口にしたことで、こうしてゼナに気を遣わせてしまった。そのことに対する、申し訳なく心苦しい罪悪感が
「……すいません、ゼナさん。……なんか心配をかけてしまったみたいで」
「謝られるよりも、感謝されたかったな」
ニッコリとえくぼを見せるゼナに、アイトはほころんだ口から礼を言う。
「どういたしまして」とゼナは言って「あっ、そうそう」と思い出したかのようにソフィアから聴いたアイトのことを話しだす。
その話の中でアイトはある一つの真実を知った。
「ソフィアさんが僕に夢魔術を掛けたんですか⁉」
「うん。自慢げに言っていたよ。虚構魔術で魔術世界の記憶を思い出せなくても、夢の中で魔術世界のことを私のことを知っているから大丈夫なんだって」
「私のこと?」
「ああ、えっとそれは、ソフィアお姉ちゃんのことで。えっと…なんて説明したらいいか…」と、目を閉じ、口をㇸの字にしたゼナが言う。「夢魔術を掛けた本人を夢の中に出現させるみたいな。あっ、でも夢魔術を掛けた時の姿なんだって。黒い髪の女の子、夢で見たことない?」
アイトの脳裏に、自身の名を呼び淡々と魔術師の王と魔王の戦争、厄災の王子の顛末を語る、厚手のドレスを着た長い黒髪の幼女の姿が浮かぶ。
「た、確かにいました……」
自身の酷い目のクマの元凶が、善意であったことに複雑な心境になるアイト。
更に、俗世界で母と平穏平和な暮らしに戻るということが望みである以上、魔術世界に帰って来るのを待っていたソフィアの思いに応えられないということが、アイトを物悲しい気分にさせた。
そんなアイトの心情を露知れず、ゼナは橙色の瞳を輝かせながら楽しそうに言う。
「ソフィアお姉ちゃんが言っていたの、アイトくんが戻ったら家族みんなでパーティーをするんだって。その頃は、私とジョンしかいなかったけど、今はルド君にチェンシーちゃん、ラウラちゃん、それにルクスちゃんたち従者の皆もいるから凄くにぎやかなパーティーになるよ」
「僕の為にそんなに人が?」
「みんな、アイトくんに会えるのを楽しみにしているんだよ!」とゼナは言って溌溂とした表情で「だからアイトくん、レヴィアタンからソフィアお姉ちゃんを助けて絶対にみんなでパーティーしようね」
その言葉に、胸中にあった不安感が薄れるのをアイトは感じた。
それは、ゼナの思い描く明るい未来像がアイトにとって一つの希望の道標になったからに他ならない。
「はい」と静かに同意するアイト。
するとゼナの手が、グイっと伸びアイトの脇のあたりを掴んで引き寄せ、横からゼナがアイトを強く抱き締めた。
「いやー本当にアイトくんはいいな!ルド君とは全然違う!なんて言うか、素直っていうか皮肉が無いっていうか!」
と、ゼナが、嬉しそうにアイトの頭を撫でながら言うのに対し、アイトは拳の中に手汗を滲ませ赤面しじっと歯を食いしばり自身の内から湧き上がる高鳴る鼓動を抑えようとした。
しかし、お互いの息が当たるほど密着させた半身から伝わる暖かく柔らかなゼナの感触が、鼓動を加速させていく。
気を紛らわすために、死ぬかと思ったピソンたちとの闘いを思い出すが、どんどん感覚は冴えていき、次第にゼナの胸の鼓動や息遣いを感じ取れるようになっていく。
アイトの下半身は意志とは関係なく健全な少年の反応を示した。
思わずゼナの肩を軽く手で叩く。
「も、もう!大丈夫です!」とアイトはゼナから離れようとする。
そのとき、ゴゴゴ、ギィィィィ!と、けたたましい音が鳴り車内が大きく揺れる。
密着させた二人の体も大きく揺れ動き反射的にゼナの腕がアイトの首元に伸びた。
ドン!
と、音が上げて停車した魔石列車の前方には、夕日に照らされてオレンジに輝く巨大な砂岩の城壁が。
「アステーリの門よ、開けゴマ!」
と、先頭車両の上で仁王立ちするナベリウスが声を張り上げ言う。
砂岩の壁の一角がみるみるうちにアーチ状の門に変形し、魔石列車はその門を潜り始める。
「揺れたねアイトくん、大丈夫だった?」
とゼナが、抱き寄せたアイトのほうを見る。
そこには、ゼナの腕でヘッドロックされ、意識をなくした白目のアイトが。
「うぁぁぁ!ごめん!アイトくん!」と慌てるゼナ。「そうだ!このルド君特性ドリンクを飲めば!」
その後、魔石列車にアイトの苦悶の叫び声が上がった。
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