1章(2)『正念場』

「はぁ…はぁ…はぁ。…セラピア!」

肩を上下に動かし、治癒魔術を唱えるアイト。鈍い光が、アイトの体を包み、瞬く間にかすり傷が塞がっていく。

アイトは、頬を流れる汗を手の甲で拭う。それに伴い頬に赤黒い液体が付く。

赤黒液体は、アイトのボロボロの服の至る所に付いていた。

特にアイトが持った、右手の刃こぼれした剣、そして左手の柄が折れて短くなった槍には、赤黒い液体が滴ほど付いている。

アイトの周囲には、赤黒い液体がべっとりとついた瓦礫や武具、そして、大蛇の見た目をした魔獣ピソンの無残な骸が、無数に散らばる光景が広がっていた。

「アイト、後ろから二匹来ておるぞ」

アイトの背後から、鏡の中にいるレプレが危険を伝える。

咄嗟に、後ろを振り向くアイト。背後から飛び掛かって来る、2匹のピソンを槍で薙ぎ払おうとする。

ドッ!と、振るう槍に一瞬重さが伝わるとともに、1匹のピソンが槍で薙ぎ払われた。

しかし、もう1匹は槍の薙ぎ払いの後から飛び掛かり、槍の持った左手に噛みつく。ピソンは、太く長い体を素早く動かし腕に巻き付き締め上げる。

ゴキゴキ、ミシミシミ、という骨と肉がすれる音と同時に、左腕が千切れるような激痛がアイトを襲った。

「ぐあぁぁぁ—‼」と、苦悶の叫びを上げるアイト。

獲物を仕留めるため、どんどん締め付けを強くするピソン。

カシャンと音を鳴らし左手の槍が床に落ちた。

左腕が徐々に潰され千切れる、そんな恐怖がアイトの全身から冷たい汗が噴き出させた。

その時、脳裏に母との稽古の日々がフラッシュバックした。

ガッと、アイトは目を見開く。そして、右手に持った剣を握り締め振り上げた。

「こんな痛み!母さんのコブラツイストに比べれば、マシなんだよ‼」

巻き付くピソンを剣で激しく叩くアイト。ピソンの肉と血が飛び散り、アイトの頬や額にへばりつく。

ぼっと。と、ピソンがアイトの左腕から落ちる。

左手にできた拳ほどの大きさの歯形からは、血がダラダラと流れる。左腕には、ジンジンとした熱のある痛みが残った。

「セラピア‼」

左の手先から腕がほんの少し光る。手の出血が止まる。しかし、腕の痛みは残ったままだった。

左腕を庇うように、剣を持った右手を当て眉間にしわを寄せ険しい表情をするアイト。

「完治できるほどの魔力はもう残っておらんようじゃなあ。ふむ、頃合いかのう」と、レプレは独り言を言って、アイトに指示を出す。

「アイト、大きく空気を吸い込むのじゃ」

アイトは、言われた通り息を吸った。すると、アイトは不思議な表情をして胸の下の辺りに手を当てた。

「なんだか、みぞおち辺りが少し熱くなるような…」

「それは、空気中の魔力が体内の魔臓まぞうに一度に多く吸収されると起こる現象じゃ」

「つまり、魔力を吸収したってことですか?」

「さよう。次は、吸収した魔力を思いっきり吐き出すのじゃ。あと、右斜め後ろ下から1匹来るぞ」

アイトは、言われた通り息を吐き出しながら右斜め後ろ下を見た。

すると、薄っすらと赤く光る太く長い線が、瓦礫の中から向かって来る。

「この赤い光の線は⁈」

「それは、ピソンの体内の魔力の光じゃ」

アイトは、赤い光る線に向かって剣を振り落した。

赤い光る線から赤黒い液体が飛び散る。同時にアイトは、瓦礫に擬態した血まみれのピソンの輪郭を確認する。数秒後、ピソンから赤い光が消えた。

「よい、対応じゃったぞアイト。これは、魔力視認と言うものじゃ」と、レプレが言った。

「魔力視認……」と、アイトは確認するように呟いた。

「先ほど、お主が吐き出した魔力がピソンに当たり。ピソンの魔力がお主の魔力を反射したことで、ピソンの魔力を見ることが出来るようになったのじゃ」

「それじゃあこれで…擬態したピソンを見つけやすくなって、先手を打てますね…」

と、アイトは疲労を顔に浮かべながら言う。

「フハハハ。そんなに戦いたいかアイト。じゃが、一匹ずつ倒していては、お主の体力が残り時間まで持たん」

「じゃ、どうやって戦うんですか?」

「ピソンの魔力に干渉するのじゃ」

「魔力に干渉?」

「フハハハ。なんだ、とぼけて。さっきからやっておるではないか」

「もしかして、セラピアのことですか⁉」

「うむ。正確には、相手に治癒魔術を使う場合じゃ。そのとき、自分の微量な魔力で相手の魔力に干渉する必要がある。それを魔力干渉という。子どものときお主が、もっとも得意としていたことだと、聞いたぞ。全ての魔力に触れているようだったと」

その話を聞いてアイトは、母が語った言葉を思い出した。

“この世界に来る前のあなたは、ありとあらゆるモノの魔力に触れられ、その力で負傷し疲弊した人々を癒し励ました”

「コツは、視認した魔力を触れるイメージをすればよい。正面、来ておるぞ」

アイトは、息を吐いた。

おびただしいほどの、赤い魔力の光が浮び上がる。

「まだこんなに!?」と、迫りくるピソンの群れに唖然とするアイト。

「臆することはないぞ」と、レプレがアイトの背を押す様に語り掛ける。「お主の前に迫るのは、無数の魔力波にしか過ぎん。大きく手で撫でればよいのじゃ」

アイトは、手に持った剣を横に振り払うようにして投げ捨てた。

そして、迫りくる魔力を、撫でるように手を動かす。

「なんだ、このじっとりとした感触⁉」

アイトが、驚くと同時に赤い魔力が揺れた。その揺れは空気中の魔力も揺らし、赤い魔力の周囲に白い光の波紋を生んだ。

一斉に赤い魔力の波が、その場で止まりもつれ合い、真っ暗な廃墟の奥に引いて行った。

「フハハハハ! ここまでの魔力干渉を行うとは、上出来じゃアイト!ピソンども、魔力干渉されてビビって逃げ帰ったわ」

「そんなに効き目があるんですかこれ?」

「うむ。魔力で身体機能を維持している魔獣にとって魔力干渉をされるのは、人で例えれば、血の巡りを逆流させられたのと同じじゃ」

「それって、即死級のことじゃないですか⁉ どうしてもっと早く教えてくれな——!?」

アイトの体が右から押されたように倒れた。左肩が、硬く冷たい石の床に勢いよく落ちる。

「うっ———‼」と、アイトは小さなうめき声を上げる。

「これは体に大きな負荷がかかる。ある程度ピソンたちの数を減らしておかねば、動けなくなった瞬間、魔力干渉されなかったピソンたちの餌食になっておったのじゃ」

「な、なるほど…。どおりで体に力が入らないんですね。それで……あの、レプレさん……」

「なんじゃ?」

「ピソンが逃げて行った奥の方から、デカイ何かがやって来るんですけど……」

「おお。もう迎えが来たか? 男か?女か?」

「いや……。人には見えないような……。ていうか、誰かが迎えにくるんですか?」

「うむ。お主が、この正念場を乗り越えるには、魔力干渉しかなかった。じゃから、動けなくなったお主を、地上に連れ出すための迎えを呼んでおいたのじゃ。でなければ、ピュートーンに喰われるからのう」

「ピュートーンって、もしかして目の前にいる、ピソンを倍の大きさにした感じの奴ですか……?」

「おお。もう来ておったか。アイトが倒れていて見えなかった。すまん」

アイトの眼前には、廃墟の天井に達するほど巨大な蛇の魔獣、ピュートーンがいた。

ピュートーンの体色は迷彩柄で、擬態色のピソンよりも視認しやすかった。そのため、ピュートーンの巨体は、アイトに本能的な威圧と恐怖を与えるのに十分だった。

蛇に睨まれた蛙になるアイト。

アイトはデジャブを感じた。アイトの頭ほどの大きさのピュートーンの蛇眼に。その鮮やかな赤い虹彩に縦に尖った瞳孔。

脳裏に、鋭く睨み掛かって来る蛇眼がよぎる。

濁った水色の虹彩に縦に尖った瞳孔。

「黒い…ドレスの……爆乳女!」と、アイトが憎悪をするように吐く。

その瞬間、ピュートーンの口が2メートルほど開き、真っすぐアイトに向かってくる。

喰われると、アイトが思った瞬間。

廃墟の天井が勢いよく砕け、石材の破片が廃墟の中に落ちてくる。

砕けた天井から、眩しい光と共に飛び蹴りのポーズをした人影が廃墟に飛び込み、勢いよくピュートーンの胴体に激突。

次の瞬間には、ピュートーンの胴体は貫かれていた。貫かれたピュートーンの血と肉がはじけ飛び、廃墟の壁や床にばらまかれた。

赤黒く染まる瓦礫と血が滴るピンクの肉の破片の中に、飛び蹴りをした人影が立っている。

人影が、胴体を貫かれ絶命したピュートーンに近づく。それとともに、天井の穴から差す光によって人影は正体を現した。

身長は160センチ前半。浅黒い肌に、巻き毛を橙色のターバンで巻いたアップヘアースタイル、そして、身にまとった白のフード付きロングコートからはっきりと分かる、女性らしい体を持った、少女が、人影の正体だった。

「びっくりした~。天井突き破ったら、まさかピュートーンがいるとは~。まあ、今日のご飯になるから大丈夫か。ところで、レプレ様とあの子はどこなのかな?」と、少女は周囲を見渡す。

[おおい—!ここじゃ—!早くアイトを引っ張っとくれんか—!」と、レプレの声。

「引っ張る?」と、言いながら、少女がレプレの方を振り向く。

少女の視線の先には、ヒビの入った欠けた鏡の中で懸命に飛び跳ねるレプレ。その前に、絶命したピュートーンが口先を床に付けている。

その口は半開きで、アイトの太ももから足先が口先から出ていた。

「ギャー‼大変—‼」

すぐさま、ピュートーンの口先にくわえられたアイトを引っ張り出した少女。

アイトの上半身が、ピュートーンの粘液まみれになっている。

「うぁぁぁ!どうしよう!もしかして、意識ない!? それとも、死んじゃった!? 私がもっと早く助けに来て上げられたら、こんなことには、ならなかったのに⁉ ソフィアお姉ちゃんに、なんて伝えたらいいの⁉」

頭を抱えながら、半泣きでパニックになる少女。

「フハハハ、お主の早合点は、相変わらずじゃなあ」と、愉快そうに言うレプレ。「案ずるな。アイトは気絶しておるだけじゃ。魔力視認でアイトの魔臓を確認してみよ」

そう言われ、確かにそうだと少女は言ってアイトに向かって軽く息を吐く。

「ホントだ、まだ魔臓がある!生きていますね、レプレ様‼ 良かった~‼」と、先ほどとは一変して満面の笑みを浮かべる少女。

安堵する少女の後ろから、“ドサ”というモノが落ちてくる音が鳴る。

音の主は、がっしりとした体つきで身長180センチほど、少女と同じ白のフード付きロングコートを着た、プラチナブロンドの髪をオールバックにした少年だった。

「なんだ、ここ。血生臭すぎるだろう……」と、鼻をつまみながらアイトたちに、近づく少年。

「もう—遅いよ!あとはお願いね。私、お昼の食材取って来るから!」と、少女は廃墟の薄暗い奥に向かって走って行く。

「はいはい。早めに帰って来いよ」

「はーい」と、弾ませた声で返事する少女。

少年は、まじまじとアイトを見て言う。

「レプレさん。コイツが厄災の王子ですか?」 

「そうじゃ。それでは、我は次の用事があるからここで。アイトのこと、お主たちに任せたぞ」

「普段より仕事熱心ですねレプレさん。状況は、そんなにひっ迫しているんですか?」

少年が真剣な眼差しで言うと、レプレは不敵な笑みを浮かべて言う。

「なあに。お主の言うところの“時は金なり”じゃよ」

レプレは、回れ右してから片手を上げた。

「そうそう。今晩は、アイトの魔術世界帰還パーティーじゃ。うまいタコ足期待しておるぞ」と、レプレは言って上げた手を軽く回す。すると、レプレの姿はヒビの入った欠けた鏡から消えた。

少年は思いふけった顔で、変哲もないヒビの入った欠けた鏡を見つめて言った。

「鏡の中で…どうやってタコ足食べるんだ?」

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