序章(8)『廃墟の中で』
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石造りのゴシック祭壇に、背をもたれて座るアイトの目が開く。
眼前に広がる、薄暗い廃墟の中の風景。
至る所に焦げて黒ずんだ瓦礫と朽ちかけの鎧や剣、槍が散らかっている。
「…ここは、……どこかで見た事のあるような?」
少し動くようになった手を、祭壇に乗せて立ち上がって周囲を見渡そうとする。
「痛っ―!」動いた振動で来る激痛に足元がもつれ、祭壇の石壁に手を付ける。
石壁には溝があり、少し離れ全体を見渡すとそれは文字になった。
確かめるように指でなぞると、脳裏に文字の意味が流れる。
「ここに眠るは、魔王軍戦士と魔術師の王国戦士。 安らかな眠りを我は願う ナベリウス… なんで読めるんだ…? それにこれって…悪夢の⁉」
悪夢の魔術師の王と魔王の戦争が脳裏によぎる。
動揺で自然と体が祭壇から離れ、腰に硬いものが当たる。床に突き刺さった剣の柄だ。
何気なく剣の柄を取ると、剣先に目がいく。そこには、人型の焦げ跡が。
驚いて剣を抜くと、廃墟の奥から“ドシッドシッ”と大きな音が迫ってくる。
「ここは、無名戦士どもの眠る地! 立ち去れー! 立ち去れー!」
ボロボロの西洋甲冑を身につけ、折れた角のある大男が、棍棒を持ってアイトの眼前に突進してくる。
「うわぁぁぁ!」動転し、剣を構えようとするアイト。次の瞬間、剣は砕けアイトの体は瓦礫に叩きつけられた。大男の剛腕がアイトをなぎ払ったのだ。
「ぐはぁ‼」赤い血が口から吐き出される。
追い打ちとばかりに大男は近くにあった槍をアイトに投げつける。避ける間もなくアイトの右の太ももに槍が突き刺さる。
激痛と共にもだえ苦しむ、目を開けているはずなのに目の前が真っ暗になる。
意識が飛ぶ瞬間、母の別れの声が聞こえる。
「いきて、アイト…」
その声とともに、これまでの思い出がフラッシュバックする。
10年間積み重ねた母との稽古の日々、そして別れ間際の口惜しそうな母。
「……まだだ」
アイトは足掻いた、母の厚意をすべて無駄にしないために。
「僕が、悪夢の… 厄災の王子なら使えるはずだ… あの魔術が…!」
歯を食いしばり懸命に、悪夢を思い出そうとするアイト。
脳裏に、ポッと音が響き、悪夢を語る幼女の姿が現れた。しかも、いつものぼんやりとした姿とは違い、鮮明にその容姿を見て取ることができた。
艶のある長い黒髪に綺麗な装飾の入った厚手のドレス、そして幼いながらも強い意志を感じる瞳。その容姿に、アイトはどこか懐かしさを感じる。
幼女は微笑み、口ずさむと脳裏から消え去った。
「ウォォォォォ‼」
雄叫びを上げながら大男が、棍棒を高々と振り上げる。
アイトは叫び声を上げ、極度の緊張と吐き気を押さえつけると、渾身の力で一気に槍を引き抜く。
アイトの血が勢いよく飛び散る。お構いなしに棍棒をアイトの頭上に振り下ろす大男。
アイトは唱えた、幼女が口ずさんだ言葉を。
「セラピア‼」
アイトの体が光り輝き、閃光となって大男の目を潰す。
棍棒が、走りだすアイトの真横に叩きつけられる。
「ハァァァァァ‼‼」。
槍は甲冑を砕き大男の胴を貫く。
地面を強く踏みしめ、立つアイト。右太ももにあったはずの深手はふさがり、薄いピンクのあざだけが残っていた。
「ナベリウス…様…」と大男は呟き、瞬く間に塵となる。
驚くアイト。確かにあった大男の重さと槍の感触が一瞬で無くなっている。
塵の中から
それはどんどん上に昇っていき、静かに消えた。
●
「素晴らしい!まさか、ここまでやるとはなあ~」
突然の声に、アイトは首を振り辺りを見渡すが誰もいない。
「違うぞ。ここだ、ここ。お主の後ろの鏡じゃ」
振り向くとそこには、ヒビの入った欠けた鏡が。
「もっと近くに寄れ。もっともっとじゃ」
アイトが鏡に顔を近づけていくと。
「ばぁっ‼‼」と大きな声で服を着た黒ウサギが鏡の中に現れた。
「ウサギ⁈」いきなりの出来事に驚き、少しのけぞるアイト。その姿を見た黒ウサギの眉間にしわが寄る。
「リアクションが薄い‼ やり直しぃー‼ もっと『うぇぇぇなんで鏡からウサギがぁぁぁ、しかも喋ってるぅぅぅ‼‼』とか言って、目玉飛び出して後転10回くらいせんか‼」熱のこもったリアクションの説教に、圧倒されるアイト。
「すっ、すいません。今度はそうします」と訳も分からず謝罪してしまう。
「なんじゃ。お主、他の奴らに比べて聞き分けがよいではないか。面白い!」
他の奴ってこの黒ウサギ、他の人たちにもこんなことをしているのか、と若干引くアイト。
「まぁ疲労しているのは、わからんでもないが、せめて腰くらいぬかしてもらえると、迎えに来たこちらとしても嬉しいのじゃが~」
「迎えって、…あなたが、“父さんの使いの者”…?」
「我のほかに誰が来ていると言うのだ? 厄災の王子、アイト」
「えっ――‼」と驚愕し、目と口を大きく開くアイト。
「のどちんこ、丸見えじゃないか‼フハハハハハ‼ やっとそれなりに良いリアクションを取ったな‼アハハハ‼ ゴブリンキングが二日酔いで吐いた時より酷いぞ!フハハハハハ‼傑作じゃ、傑作!こんなに笑ったのは何百年ぶりいや何時間ぶりだったかなあ!アハハハハ!ヒイー!ヒイー!」
爆笑する黒ウサギを見て、アイトはヒナタの笑った顔を思い出す。
ヒナタの安否、そしてもう果たすことができない、母さんと仲直りする約束。やるせなさから、俯く表情を手で覆う。
アイトの変化を察した黒ウサギが笑うのをやめ、茶化すように話しかける。
「なんだ~ その
その言葉に、黒ウサギの気づかいを感じ、目頭が熱くなるアイト。
「なんでこんな目に…! 僕が一体なにをしたって言うんだ…! どうして、僕のせいでヒナタが、母さんが、傷つかなきゃいけないんだ!」と震えのある声が、憤りのない思いをうったえる。
負の感情でいっぱいになっているのに、不思議とアイトの脳裏には母やヒナタたちとの良い思い出が溢れてくる。このまま続くのだと信じて疑わなかった、平穏で平和な日常の思い出が。
「戻りたい…、あの日常に、母さんのいるあの家に。……魔術なら、過去に戻ることくらい出来ないんですか…?」その言葉に不敵な笑みを浮かべる黒ウサギ。
「我も思ったよ。過去に戻れたらなと。だがそんなことが出来る代物はこの魔術世界にはなかった。作ろうともしたが全て失敗に終わった」
「……案外、万能じゃないんですね魔術って」
「何だ、皮肉か~言うではないか。まぁ不条理と言うのはそういうものだ。
多くの者がそれを怒り悲しむが、いつしかやらなくなる。そんなことを続けていたら、生命活動に支障をきたす。
だから本能的に次の2択のどちらかを取る。
一つは、過去にすがり、思い出に浸りながら今を生きること。
もう一つは、不条理を受け入れて明日を生きるための理由を見出し、今を生きること。
安易と言われ見下されたとしても、過去にすがることが心の安寧に繋がっているのは言うまでもない。誰もが、明日に生きる理由を見出せるわけではないのじゃから」
目を伏せる黒ウサギ。そしてゆっくりとアイトの方を見て問いかける。
「アイト、今のお主に生きる理由はあるか?」
思い返すように、アイトはその問いに答えた。
「僕はただ、母さんに“いきて”って言われて、それだけで… ちゃんとした生きる理由なんてないですよ…」グッと手を握る。
生きる意味すら失い、この先の自身に何があるのだと不安と絶望感が押し寄せたとき、
「フハハハハ! 何を言っているのだ、お主は!」
「えっ?」
「取り戻したいのだろう、失ったものを。十分価値のある生きる理由ではないか」
「できっこない! 物を買い替えるとかそういう簡単な話じゃないんですよ!」
「そう、熱くなるな。タイムマシーンは作れなかったが、未確定未来を見ることのできる魔術を作り出すことができたのじゃ! 名付けて、ウーラニアーの
「そんな、未来が見られたからって…」
「勘違いするなよ。ただ未来が見られるのではない。この魔術は、もしもの未確定な未来を見ることができる! 条件を満たせば、最も可能性の高い最悪の未来から、最も可能性の低い最善の未来、つまり都合のいい未来を引き寄せることができるんじゃ」
「それで本当に、取り戻せるんですか?」
「過去の状態、状況をそっくりそのまま取り戻すことなど不可能だ。それは、巻き戻しに過ぎないからのう。
この世界の
じゃが、それ以外はすべて失ったものは取り戻すことができる!もちろん、お主が欲する未来もなあ」
「それって、また母さんと元の世界に戻って暮らせるってこと? そんなの本当に?だって母さんはあの時…」
「嘘を言ってどうする? 我には見えるぞ、俗世界に異世界転移した我とアイト、そしてお主が、母と呼ぶヒュアキントスの女官の姿が」
「母さんが…生きているって、ことですか?」
「まぁそうなるな。じゃが、物凄ーく可能性の低い未来だぞ。あまたもの死線を乗り越えた先にある極小の輝きにすぎん」
不適な笑みを浮かべる黒ウサギ。
試されている、死を覚悟しろと。しかしそんな、死の恐怖を、気にとめる理由は、今のアイトにはなかった。
「力を貸してください! 僕はその未来が欲しい!お願いします!」
迷わず懇願した。それが死をともなう不確かな希望であっても。
今を生きるために。
「フハハ、いい目をするではないか、生者とはそうでなくてはなあ。うむ、それがお主の望みなら、力を貸そうではないか、アイト!!」
「あっありがとうございます! ……えっと」とアイトは黒ウサギの名前をまだ聞いていなかったことに気づく。
「そう言えばまだ名乗ってはなかったな」
黒ウサギは高らかと宣言した。
「我はレプレ。魔術師の王国ヒュアキントスの王、”クリミナル”の使いであり、クリミナルに敗北した、元魔王である‼」
「えっ…? ………元魔王⁉⁉⁉」
薄暗い廃墟の天井から柔らかな光が射し、驚愕の声と笑い声をあげる、1人と1匹を照らす。
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