序章(2) 『アイトと母』
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遠くの山々から日が昇る。
市街の中心にある小山に、建てられた電波塔。そこから数羽の鳩が飛び去る。
飛ぶ鳩の下には、新聞配達の初老男性がバイクでせわしなく市外の住宅地を回っている。
バイクが止まる。
初老男性が新聞を持って行く先には、2階建ての古民家と小さな道場が建っていた。
道場から硬い音が聞こえる。ダッン! ドッ! ドッ! カッン‼
「今日も
外からのバイクのエンジン音が響く道場の中。
道着を着たアイトは、180㎝ほどの棒で相手の棒を受け止めていた。
相手は、長髪を後ろで縛り道着に袴を着た女性で、アイトの正面の棒に向かって強く棒を打ち付けていた。
バイクが勢いよくエンジンをふかし、
女性は距離を取り次の一撃を放つ体制をとろうとする。
受け止めていた棒が離れた一瞬、すかさずアイトの足が女性の方に伸びる。
バサッ!ザッ‼とお互いの足さばきによる、道着がすれる音と共にアイトの突きが女性に向かう。
パン‼と棒どうしが強く打ち付けられる。アイトの突きを女性は棒を縦にして受け止めた。
「日々の稽古の成果がわかる、良い突きですね…」
息を荒くした汗だくのアイトに、余裕のある微笑みを見せながらアイトに語り掛ける女性。
「師範として、母として。アイトの成長を嬉しく思いますよ」
母は構えていた棒を下ろす。
「早いですが今日の稽古はここまでにしましょう」
「えっ⁉そんなどうして?まだ30分もたってないのに!」
驚き理由を問うアイトに、母は冷静に指摘する。
「寝不足で、足元もおぼつかない様な人に、これ以上稽古を付けても怪我をするだけですからね」
「これくらい平気っ!」とアイトが反発しようとしたとき、母の手がアイトの肩を軽く押す。
バタと後ろに倒れるアイトを見て、淡々と問いかける母。
「平気でないようですが、何か弁解はありますか?」
「…あっ、ありません…」
「少し休みましょうか」
母は、棒を壁に立てかけるとアイトに膝枕をする。
「えっちょっ…母さんこれは…⁉」
母のほのかに甘い香りがアイトを包む。
30代後半と言っているがどう見ても20代後半にしか見えない容姿。
護身術道場の師範をしているだけあり、凛とした雰囲気を身にまとっている。
それに合った引き締まった綺麗な体つきをしているとともに、女性らしい膨らみはシルエットとして描けるほど。
総じて、アイトは酷い動機に襲われていた。ほのかに甘い母の香りと視線を奪う胸のふくらみ。さらに母が優しく撫でてくる手の感触が、こそばゆさを掻き立て、顔が熱くなっていく。
結果、勃起してしまう。とっさにアイトは少し膝を立てた。
母の不思議そうな顔が、胸元からアイトをのぞき込む。すかさずアイトは視線を母から横にそらした。
「どうかしましたか?」
「いや、驚いてつい、アハハハ…」
下腹部の膨らみを誤魔化すため、話を続けるアイト。
「母さんこれ…恥ずかしいのですが…」
「どうして?昔はよくやっていたでしょ?」
「いや、それは子供の頃の話で…」
そう、昔はよくしてもらった。こちらから甘えるようなこともあった。ただ今は、話が違う!
「私にとってアイトはいくつになっても子供ですよ」
アイトのドギマギとした気持ちは一蹴され、下腹部の膨らみはしぼんだ。
その反動か、モヤモヤとした親に対する反骨心が湧きあがる。
この心情を抑えるためにも、この状況から抜け出そうと考える。
しかし、母の手はアイトの頭と胸の辺りにあり、下手に動いても無理やり元の態勢に戻されるのがオチだった。
アイトにとってこの状況は、美人の皮をかぶった虎に撫でられているのも同じだ。
「まったく目にクマばかり作って…」
「っ…」
母の小言に小さく反応するアイト。
「また、あの悪夢を見たのでしょ?」
心配そうに話しかける母。
アイトは、少し申し訳なさそうな顔で、視線を斜めにして天井を眺めながら語り始めた。
「最近悪夢を見た後で、頭の中に言葉が浮かんでくるんだ…」
「言葉?」
「虚構を現実と見なした時、事実に基づく認識は消える…」
母はその言葉を聞くと撫でる手を止めた。アイトはそのことに気が付きつつも話をつづける。
「神託を信じた民衆は王子を、厄災の王子と呼んで恐れて、王子は民衆に殺される」
悪夢のストーリーを振り返る。
「虚構を現実と見なした時、事実に基づく認識は消える…その言葉はまるで悪夢の本質を語っているようで…」
その時はじめて、自身の今の気持ちが口からこぼれる。
「不意に思うんだ、今この時が僕の頭が作った虚構で、何もかもが一瞬で無くなる日が来るんじゃないかって…」
アイトは立ち上がり母に背を向けながら、苦笑いで話を続ける。
「母さんと稽古をしている時はそのことを忘れられるんだ。だから、すみません。稽古を無理にしようとして」
一通り話したアイトがその場を後にしようとしたとき、背中に母が寄り添い、首裏に母の頭が寄りかかる。
「大丈夫」
母は目を閉じ穏やかな表情でアイトに優しく語る。
「こうしていると、アイトの体温、匂い、鼓動、全部感じることができます。これが、虚構なはずがないですよ」
子供をあやす声に少し安心するアイト。
「ありがとう…母さん、少し気が楽になっ―」と母に礼を言おうとした時。『むにっ』と柔らかな感触が背中から伝わる。
『ふぁ⁉』と思わず心の中で叫ぶ。
初めは不安や緊張感から感じなかったが、今になってわかる母の胸の感触。
再び酷い動機と興奮が、アイトを襲う。その異変にアイトの背に寄り添う母が気づかぬわけがなく。
「…うん? 先ほどから体温が上がっているような、それにすごい汗。もしかして発熱でもしましたか?」ジト目になってアイトを見つめる母。
この美人、思春期の息子の気持ち全然わかってないだろ!心の中で叫ぶアイト。
「へいき、平気です‼ けっ、稽古で体を動かしたから熱が上がっただけだよ!」
しどろもどろで適当な言い訳を叫びながら、心の中で『消えろ、煩悩‼消えろ、煩悩‼消えろ、煩悩‼消えろ、煩悩‼消えろ、煩悩‼消えろ、煩悩‼消えろ、煩悩‼消えろ、……』と連呼する。
胸に片手を当て、目を閉じるアイト。
おおお、落ち着け!さっきの膝枕と同じ、こんなスキンシップ昔からだろ!
相手は母さん!実の母親なんだ‼と心の中で言い聞かせ、強く太ももを
痛みと共に動機と興奮は落ち着き、この状況を脱出するために話を変えようとする。
「そっ、そうだ!そろそろ学校行く支度しないと…」
そう言いつつ、アイトは、苦笑いで母の方を振り返る。
「本当に大丈夫?」と心配そうにアイトを上目遣いで見つめる母。しかしその目線はアイトと合うことはなかった。
アイトの目には、大きく着崩れた道着から露出する、艶のある肌をした二つの大きく柔らかそうな乳房が。
ふと胸元の無数の汗の粒に目が行く。鎖骨から流れた汗が、深みのある胸の谷間へ沈み込んでいく生々しい光景に、目を奪われる。
そして先ほど感じたほのかな甘い香りとは、また違った濃い甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
だんだんと頭が真っ白になり、視界がゆらゆら揺れる不思議な感覚がアイトを襲う。
アイトの様子を見て、母が不安な面持ちで強く呼びかける。
「大丈夫ですか、アイト!」
「はぁっ‼」母に呼びかけられた瞬間、不思議な感覚がパッと消える。
アイトは、反射的に目をつぶり心の中で叫んだ。
『全然、大丈夫じゃないよ!大丈夫⁉って聞きたいのはこっちだよ!』
その後すぐに母の道着を掴むと、着崩れを勢いで直した。
アイトの行動に驚いた表情をする母。
「…母さん稽古の時は、着崩れるから肌着は着てきて下さい」とアイトに注意され、いつもの凛とした表情から一変、気恥ずかしそうに頬を赤らめる母。
「すいません…アイトと、二人きりの稽古なのでつい…」と小声で弁明する。
「ふぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」16歳の少年とは思えない、可愛らしい奇声がアイトの口から洩れる。もちろん赤面しながら。突然のことに母は、唖然とする。
激しい鼓動にアイトは悶えながら、道場の壁に駆け寄り肘を付ける。
熱い吐息を吐きながら、アイトは覚悟を決めた。自身の理性と倫理を守るために、先ほどの母との記憶を消すことを。
ドン‼ドン‼ドン‼ドン‼
道場の壁から鈍い音が何度も響く。目を血走らせたアイトが、額を壁に打ち続けている。
「うおおおおおおおおおー!!!うおおおおおおおおおー!!!」
「アっ、アイト!いきなり何をして⁉ やめなさい‼壁に穴が空きます‼」
早朝、市外の住宅地に少年の雄たけびと、女性の制止する声が響き渡った。
「今日も加灯さんの
初老男性にとって、いつも通りの平穏で平和な一日が始まっていた。それは、市外に住む人々にとっても同様のことだった。
もちろん、アイトにとっても…
不安や悩みはあれども、それは自分の中にとどめて置けるほどの些細なこと。
昨日と同じ平穏で平和な今日が始まっていることに変わりはない。
例え、悪夢にうなされ寝不足になり、母に対して湧きあがる
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