リゲインズ 第1部 

明知宏治

序章(1) 『厄災の王子』

 ●

 暗闇の中


「アイト…、アイト…」


 小さな優しい呼び声。

 次第に暗闇の中からぼんやりと、幼女の姿が現れる。

 顔立ちは分からないが、長い黒髪で厚手のドレスを着ていることは見て取れる。

 幼女は淡々と語り始めた。


「むかし―むかし— ある世界で、魔術師の王国と魔王の軍勢の大きな戦争がありました」


 息苦しい熱気と共に、業火に焼かれる中世風の石造りの街並みが眼前に広がった。

 業火の中、2人の人物がにらみ合っている。

 一人は、険しい表情をした、王冠をかぶった長髪の魔術師の王。

 もう一人は、不敵な笑みを浮かべた、黒い鬼の姿をした魔王。

 2人の周囲を取り囲むように、ファンタジー小説に出てくる、魔術師たちと獣人やゴブリンたちが戦っている。

 至る所で、目がくらむような雷撃や火球が放たれ、激しい白兵戦が繰り広げられている。

 双方、次々と血を流し倒れていった。

 最後に残った、魔術師の王と魔王。

 魔術師の王は杖を高々と掲げ、巨大な光が杖から放たれる。

 それに吞み込まれた魔王は、下半身が吹き飛ばされ、残った上半身は徐々に塵となっていた。


「戦争は魔術師の王国が勝ちました。でも…」


 黒い魔王は笑いながら、まだ塵になっていない手を魔術師の王に向け、7つの黒い炎を浴びせた。


「魔王は消滅する寸前、王に屍のように眠り続ける呪いをかけました」


 風景が波打ち変わる。鮮やかなステンドガラスの窓とゴシック様式の装飾が入った壁の大広間。しかし、大広間の本来の美しさはそこにはなかった。

 所々にヒビや破損、破片が散乱し、戦火の惨状が残っていた。

 広間の奥にひっそりと置かれた王座。そこに腰をかける、衰弱しうつむく昏睡状態の魔術師の王。

 王座の前には厚手のローブを身にまとった人々がいる。

 幼女が現れ、王座のひじ掛けに置かれた、魔術師の王の手に小さな手を重ねる。

 幼女が語りだす。


「優秀な魔術師たちが王の呪いを解こうとする中…」


 語りのリズムに合わせて視界が移動する。大広間の窓に近づきその外へ。

 まぶしい夕日と、周囲を取り囲む山々。雄大な自然の中に不自然な光景が映る。


「王国内は戦争による惨状が痛々しく残ったままでした」


 山の中央をくりぬく大穴。ふもとには瓦礫が辺りを覆っていた。

 ゆっくりと視界が動くと、大きな川と小高い丘が見えてくる。

 小高い丘には、至る所に亀裂や破損がある、ボロボロな城が建っていた。

 小高い丘の周囲に広がっていただろう街並みは、瓦礫に変わり点々と硝煙(しょうえん)が立ち上っていた。瓦礫の中で帰る場所を無くした人々。その多くが悲痛の表情を浮かべ血を流している。


「悲惨な状況を何とかしようと、民衆を助ける者が現れました」


 瓦礫に背を凭れ(もたれ)座る血まみれの男。胸や手足、特に目に大きな傷を負っている。

 男の前に、明るく温かい光を帯びた小さな手が差し伸ばされる。するとあっという間に男の傷はふさがった。


「それは優れた魔力干渉能力と治癒魔術を扱う、魔術師の王国の幼い王子でした」


 民衆たちは幼い王子の行動に歓喜した。

 次第に幼い王子のもとには、怪我の治療を頼ってくるものの他に、一緒に治療をしてくれる協力者なども集まっていた。


「王国の復興が進むにつれ王子は民衆から称えられ人気者になっていきました。そんなある時、神ヘカテイアの崇拝者たちが神託を受けました」


 巨大な女神の石像の前で、神託に驚愕する崇拝者たち。

 崇拝者たちは、王国内の人々を集めて神託を言い広める。


「崇拝者は言いました。王子は近い将来、魔王を復活させし者になるであろうと」


 神託はすぐに噂となって王国内に拡散する。

 噂を聞いた者たちは、疑うことは一切なく。恐怖と憎悪に満ちた形相へ変わっていった。

 あろうことか王子に助けられた者、協力していた者も同様に、態度を豹変させた。


「噂を信じた民衆は王子を“厄災の王子”と呼び、忌み嫌うようになりました」


 幼い王子の周りに集まっていた、民衆が1人2人とどんどん去っていく。

 民衆から陰口をたたかれ、石を投げつけられるようになった幼い王子。

 復興した街並から追い払われた幼い王子、城の近くにある大きな屋敷に逃げ帰る。


「民衆の魔王復活への恐怖は日に日にまし、ついに民衆たちは行動を起こしました」


 大きな屋敷に乗り込む民衆。王子の前に倒れる血まみれの女。動揺する王子に迫る殺意に満ちた民衆。


「王子を守る従者を襲い、王子を捕らえた民衆たちは…」


 赤い月が夜の闇を照らす。

 暴徒化した民衆が、王国の外れの森で大きな十字架を取り囲んでいる。

 十字架から下にぽつぽつと赤い雫が落ちる。落ちてくる元をたどれば、黒く汚れた傷だらけの幼い足が、十字架に貼り付けられていた。

 恐怖と殺意に満ちた魔術による攻撃がとめどなく一斉に放たれる。雷撃や火球が十字に貼り付けられた幼い四肢を焼き、けたたましいうめき声が赤い夜の森に轟く。

 それをかき消すかのように、強烈な一撃が十字架ごと頭部を吹き飛ばす。

 幼女が淡々と話を締めくくる


「王子は処刑されてしまいましたとさっ…めでたし…、めでたし…」


 暗闇が、陰惨な光景と幼女の姿を消し去る。幼女の小さな優しい別れの挨拶が聞こえる。


「またね…アイト…」


 ドクッ‼


 大きな心臓の鼓動と共に目を覚ます黒髪短髪の少年、加灯かとうアイト。

 アイトの荒い息遣いが、4畳の部屋に小さく響く。

 仰向けの姿勢から上半身を起こし、荒くなった呼吸を整えようとする。すると深いクマのある目元にたまった涙がこぼれる。

 涙は寝間着の胸元を掴む、震えた手を濡らす。

 無性にやるせない、虚しく悔しい感情があふれていく。

「いつも、いつも…。何がめでたし、めでたし、だっ…」

 そう小さく愚痴をこぼすと、後頭部を壁に強く打ち付けたような痛みが走る。

 脳内に残像が浮かび上がる。次第にそれは明確な言葉としてアイトの脳裏に焼き付く。

 眉間にしわを寄せたアイトは、その言葉について考え込んだ。


 虚構を現実と 見なした時

 事実に基づく 認識は消える


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