第13話 大猿

「やかましい。くだらぬ理屈を言うな。ここがこれまできりの国のものであったことは明白だ。痛い目に合わない内に、さっさと自分たちの国に帰れ」

「ほう、痛い目だと? 脆弱な君主と噂のげん様が強気な口をきくものだ」

「うるさい。大猿の分際で人語を話すな。耳が腐る」


 それらの言葉を聞きながら、なかなかどうして玄も辛辣なことを言うものだと華仙かせんは思う。


「大猿だと!」


 怒り心頭といった感じで、周囲の兵士たちよりも一際大柄な男が柵の内側に姿を見せた。


「……あれ? 本当に大猿が出てきたね。華仙、あれは誰だい。あの大猿は。大きさで言えば威候いこうといい勝負だ」


 玄が隣の華仙に小声で感心したように訊いてきた。


「多分、あれはくまの国の将軍、厳韓げんかんじゃないかしら」


「そうか……」


 玄は大した感銘を受けた様子もなく呟いた。


「熊の国の将兵。その中で一番偉い人が出てきたということだね。それだけ熊の国は、この一件に本気ということなのだろうね」


 玄の言葉にどこか悲しげな響きがあるのは、気のせいなのだろうかと華仙はふと思った。


 厳韓。熊の国で最も有名な武人で、熊の国の兵を統率している将軍でもある。しかし、その将軍が率いている兵が三百名とは、流石に少なく感じる。ましてや、霧の国と事を荒立てて東の狩場を占拠しようとしているはずなのに。


「熊の国はこの狩場を占拠するのに三百人だけしか動かせないということさ。それだけ熊の国は追い詰められているのだろうね」


 華仙の疑問を浮かべた顔に玄も気がついたのだろう。玄はそんな説明をつけ加えた。


「珍しく人語を話す大猿と子分の子猿ども。人語を解すのであれば、今すぐここから立ち去れ。ここは我ら霧の国の物だ!」


 玄が言い放つ。


「貴様、我らを猿呼ばわりするか。腰抜け君主が生意気な!」


 厳韓が一言吠えると同時に柵の一部が開け放たれた。こちらは玄を含めて十人ほど。ましてや地理的にも、熊の国の兵たちは華仙たちよりも高所にいて有利であった。


 たちまち開け放たれた柵内から厳韓を先頭にして数十名の兵士が、華仙たちを目掛けて駆け降りてきた。皆、怒りのためか目が血走っているような気がする。


「よし、逃げるぞ!」


 玄はそう叫ぶと踵を返して走り始めた。他の兵士も事前に打ち合わせていた通りに玄のそれに倣う。


 ……逃げるって。

 確かにそうなのだが、他に言い方がないものかと華仙は思う。そんな言葉ばかりを平気で口にするから、先程のように他国の者から馬鹿にされてしまうのだ。


 そう思いながら華仙は飛来してくるかもしれない矢に注意を払いつつ、逃げ始めた玄たちの後を追った。


 悪態を吐けるだけ吐いて逃げ出した玄を追って、熊の国の兵たちは厳韓を先頭にして、数十名が追いかけてくる。


 確かに玄の悪態に厳韓たちが怒り心頭となっているという面はある。だがそれ以上に彼らの目の前にいるのは護衛が少ない状態にある敵方の君主なのだ。


 厳韓たちにすれば好機とばかりに深追いするのも無理はないかもしれない。大気を切り裂く音を立てながら飛来してきた矢を短剣で叩き落としながら、華仙はそんなことを考えていた。


 背の高い木々が立ち並ぶ林の中へ華仙たちは一目散に逃げ込んで行く。進む道は獣道だったが、少人数での逃走なので逃走自体が困難に陥ることはなかった。


 それに対して数十名で追ってきている厳韓たちは隊列を長くして獣道を進まざるを得ないようだった。

 長く伸びた隊列の最後尾が林の中にある獣道に入った時だった。獣道の左右から鬨の声が上がる。


 諮られたことを悟って足を止めた厳韓たちだったが、既に遅かった。彼らの頭上から矢の雨が降り注ぐ。


 混乱の極致にいる熊の国の兵たちを華仙たちは顧みることなく、そのまま獣道を進み林の奥へと進んで行く。やがて獣道の途中で仁王立ちとなっている威侯の姿が見えてきた。


 ここまで来れば安心だ。父親の姿を見て華仙は内心で胸を撫で下ろした。威侯は玄と華仙の無事な姿を見ると軽く頷いて、既に抜き払っている長剣を片手に前へと進み出た。

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