第14話 黒い雲
「
矢の雨を受けて、それを防ごうと上空ばかりに気を取られていた熊の国の兵が次々と倒れていく。そこへ
すると、混乱の極みと化している熊の国の兵たちを掻き分けるようにして、同じく長剣を抜き払った
厳韓の両面は血走っていて極限まで見開かれていた。威侯と厳韓は敵対する国の将軍同士ではあるが、同時に昔からの顔見知りでもあったはずだった。
「威侯!」
厳韓が吠える。
「厳韓、馬鹿な真似を。何故に皆を止めなかった。東の狩場の占拠などと、何故にこのような暴挙に出た。貴様であれば、これがどれ程の暴挙であるか分かったはずであろう!」
しかし、威侯の言葉に厳韓が答えることはなかった。
華仙の父親が言う馬鹿な真似。やはりそれだけ熊の国が国として追い込まれているということなのだろうと華仙は思う。
厳韓の左肩には矢が深々と突き刺さっており、左腕に沿って鮮血が流れ落ちているのが見て取れた。だが、厳韓はそれを気にする素振りも見せずに片手で長剣を構える。そして、そのまま威侯の前に進み出た。
「威侯!」
厳韓は再度、ひと声吠えて片手で威侯に斬りかかった。上段から振り下ろされた厳韓の長剣を威侯は何なく弾き返すと、その流れで威侯は長剣を振り上げる。
一瞬、厳韓の顔にどこかほっとしたような穏やかな表情が浮かんだ気がした。それが目の錯覚だったのかを華仙が確かめる間もなく、厳韓は威侯によって斬り伏せられた。
厳韓が威侯によって討たれた後、熊の国は総崩れとなった。最早、戦意はなく生き残った者たちは武器や鎧を捨てて逃げ出すだけだった。
勢いそのままに霧の国の兵は熊の国が設置していた柵を薙ぎ倒して、その中に雪崩れ込んだ。柵内に残っていた熊の国の兵もろくに戦う意志は見せずに逃げ出す者が大半だった。
大勝利と言ってよいのだろう。霧の国の被害は軽微で、大地で動くことなく横たわっているのは誰もかれもが熊の国の兵たちだった。
それらを見ながら華仙の横で玄が呟くように口を開いた。
「酷い有様だね……」
確かに玄が言うように華仙も酷い光景だと思う。二度と動くことなく大地に横たわっている熊の国の兵士たち。彼ら個人個人には何の恨みはない。たが、先に手を出してきたのは彼らなのだ。
華仙たちにしてみれば当然、黙って東の狩場を取られるわけにはいかない。となれば、この結果も致し方なかったとしか言いようがないと華仙には思えるのだった。
「それにしても、玄が講じた策が見事に嵌まったわね。これも、いつも玄が読んでいる書物の兵法というものなの?」
重苦しい空気を取り除こうとして、華仙は他の話題を口にした。
「兵法にもなってないような初歩の初歩だよ。熊の国は集団戦というものが分かっていない。それは霧の国にも言えることだけどね」
玄は自重気味に笑う。
「この戦いで熊の国はまた霧の国に恨みを持つ。ここで命を失った者たちの親族がいつかは霧の国の民に害を及ぼすのだろうね。そうして、害を受けた霧の国の者が恨みを抱いて……遥か昔からその繰り返しだ。この繰り返しはいつ終わるのだろうね」
玄が言おうとしていること。今、玄が思い感じていることが華仙にも分からないわけではない。でも、ならば東の狩場を大人しく奪われればよかったのだろうか。
それもできないことは明白だった。だから、玄自身も兵を率いて戦ったのだから。
華仙はふと空を見上げた。空には禍々しい雰囲気を醸し出している黒い雲が広がりつつあった。ほどなく雨が降り出しそうな雲行きだった。
雨が降る前に、倒れた者たちを火葬しなければと華仙は思う。このまま死者を放置しておけば、疫病が流行るかもしれない。
雨が降るのならば明日の霧は一層濃くなるのだろう。圧倒的な勝利を得たというのに晴れることがない玄の横顔を見ながら、華仙はそう思うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます