第11話 全知全能

げん様……」


 威候いこうが重く響くような口調で口を開いた。


「玄様のお考えは素晴らしいと思います。君主とは民に対してどこまでも慈悲深くなくてはならない。私は常にそう思っておりますし、今までに玄様にお教えしてきたつもりでもおります。ですが、その慈悲を向けるのは自国の民に対してのみです。相手が他国の民や、他国の国自体となると話が違ってきます」

「威侯、こうなることが分かっていたと?」


 威侯は首を左右に振った。


「こうなる可能性はあるとは思っておりました」

「ならば、何故それを言わなかった?」


 玄の言葉に怒りの成分が多く含まれていることに華仙かせんは気がついた。玄が他者に対して怒りをあらわにすることは珍しいことだった。


「あの時、私がそれを言って玄様をお止めしたところで、玄様はそれを聞き入れなかったでしょうな」


 確かに威侯の言う通りだった。玄がそれを聞き入れることはなかっただろうと華仙も思う。しかし、だからといってそれを一言も言わないのは人が悪すぎるのではないだろうかとも思う。


 いや、違うのか。華仙は思い直した。もしもそうなっていたら、あの時に威侯が言ったのに玄が威候の言葉を聞き入れなかった。そういった話になっていたかもしれない。そうなれば威侯はともかくとして、他の配下の者で玄に不満を抱く者も出てくるかもしれない。


 威侯の言葉に苦汁の色を顔に浮かべて黙り込んだ玄に向かって、威侯は再び口を開く。


「どうされますか? このままでは東の狩場はくまの国に奪われるかと」


 どうするも何もないと華仙は思う。東の狩場を奪われてしまえば、今度はきりの国の食糧事情が一気に悪化してしまうことは明白だった。田畑の収穫にもよるが、下手をすれば今後は餓死者だって出るかもしれない。


「こちらも兵を出す。威候、今すぐに揃えられる兵はどれくらいだ」

「すぐにとなりますと、およそニ百かと」


 その言葉に大きく頷くと玄は立ち上がった。その顔には幼少の頃にあった泣き虫で気弱なものは少しも感じられない。


「行こうか」


 短く言い放った玄の言葉に威侯は大きく頷いたのだった。





 瞬く間に東の狩場を占拠して、簡易的とはいえ柵を設置する。一連の出来事は熊の国において予め計画されていたものと言ってよさそうだと華仙には感じられた。


 となれば、あの時に捕らえた熊の国の民も純粋な民ではなかったのかもしれない。東の狩場にあえて侵入して、それによる霧の国の反応を伺っていた可能性もある。


 狩場を荒らして捕らえられた熊の国の民を無条件で許した霧の国の君主。その行為を霧の国自体が弱腰となっていると判断し、それに乗じての熊の国による東の狩場占拠といってよさそうだった。


 玄の好意を無下に踏み躙ったとの怒りが華仙の中にないわけではない。しかし、そのようなことよりも自身の判断での国の民に被害を及ぼしてしまったこと。それを自分自身で責めている玄のことの方が華仙には心配だった。


 今、玄は華仙の隣で熊の国が設置した木の柵を無言で見つめていた。


「玄、大丈夫?」


 華仙は普段通りの砕けた言葉使いをする。近くに父親の威侯がいないので怒られる心配がないのだ。そして、それだけの言葉で華仙が何を言おうとしているのかが玄には分かったようだった。


「大丈夫だよ、華仙。何もかもが分かっているような顔をするのは僕の悪い癖だね。僕はまだまだ君主として学ばなければならないことが沢山あるのだから」


 その言葉を聞いて華仙は少しだけ胸を撫で下ろす気分だった。玄が行ったことは確かに結果として、霧の国の民が一人犠牲となり東の狩場も占拠されてしまった。


 でも、それはある意味では結果でしかなく、あの時点でこれらのことまで全て見通せというのは酷すぎるのではないだろうかと華仙は思わないでもなかった。いくら君主といっても全知全能であるはずがないのだ。

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