第10話 解放そして急転

げん様、私は威候いこう将軍の意見に賛成です。彼らを見逃す理由が見当たりません」


 華仙かせんの言葉に玄は一瞬だけ表情を曇らせた。


「そうか。威侯と華仙の意見は分かった。だけども、この者たちを殺すことは僕が許さない」


 尚も頑なに言う玄に向かって威侯が口を開く。


「玄様の言われることは分かりました。それでは、そう言われる理由をお聞かせ願えますか」

「この者たちをここで殺せば、禍根を残すからね。ここで彼らの罪を問うたとする。そして、彼らを殺したとしよう。そうしてしまえば、殺された彼らに近しい者が恨みを抱くだろう。そして、恨みを抱いた彼らが、いつかはきりの国の民の誰かに害をなすことになる。今度はそれをまた恨みに思って……」


 玄はそこで言葉を切って一呼吸を置いた。


「霧の国とくまの国はそうして遥か昔から互いにに憎み合ってきた。憎しみの連鎖だね。そして、その連鎖の中でぼくの父も結果として熊の国に殺された。その恨みは正直、僕の中に今もある。だけども、僕はその連鎖を断ち切りたいと思っている」


 確かに玄の父親、先代の君主は熊の国との戦いで受けた傷が原因となって亡くなっている。そして、玄が言おうしていることは華仙にも分からないわけではなかった。だけれども、華仙の中にある感情が玄の理屈についていかない。


 華仙の周囲にも熊の国に親類などの近しい人を殺されてしまった者、殺されないまでも直接的な被害を受けた者が数多くいる。それらの何もかもを忘れてということはできそうにもなかった。


「……なる程、玄様のお考えは分かりました。私としては納得などできませんが、玄様がそう言われるのならば従う他にはないでしょうな」


 威侯は長剣を鞘に収めると、熊の国の二人に視線を向けた。父親の威候が大した反論をすることもなく剣を収めたことが、華仙にはいささか意外でもあった。


「よいか、二度とこの狩場に姿を見せるな。ここは霧の国の狩場なのだからな」


 そんな威侯の言葉と共に解放された彼らは安堵の表情と共に、玄たちの気が変わらない内にといった感じで即座にこの場を後にする。


「玄様、本当にこれでよかったのでしょうか?」


 一目散に逃げ出していく彼らの背中を見ながら華仙は口を開いた。


「どういう意味かな?」

「国として毅然とした態度を取らなくてもよかったのでしょうか?」

「毅然とした態度を取るために彼らを殺す。そして、恨みを生み出してその結果、僕たちの誰かが傷つき殺される。僕はその繰り返しを終わらせたいだけなんだよ」


 玄の言葉に単純に頷けない自分が華仙の中にいた。でも、玄の言葉が単純に間違っていると否定できないでもいる。


 華仙は父親の威侯に視線を向けた。威侯は厳しいと目つきで、逃げ出して行く彼らの背を見つめていた。


 その厳しい視線に華仙は何故か得体の知れない不安を覚えるのだった。





 東の狩場での出来事から僅か四日後のことだった。小さな霧の国に激震が走った。知らせを聞き華仙は父の威侯と共に玄の宮殿を訪れていた。


 謁見の間に座る玄の顔色は血の気が引いているように見え、玄が受けた衝撃の大きさを物語っていた。


「東の狩場を占拠している熊の国の兵は約三百。既に簡易的な柵を設置しているようです」


 威侯の言葉に玄は頷いて口を開いた。


「こちらの被害は?」

「当時狩場には三名がおり、その内の一人が即座に斬られたとのこと。他の二人はそれを見てすぐさま逃げ出したために無傷なようです。最初に斬られた者は生死不明ですが、生存は厳しいかと」


 玄の顔に苦悩の色が浮かぶ。


「斬られた者の名は?」

英田えいでんです」


 英田。華仙も見知った顔で四十歳を少し過ぎたばかりの狩人だった。代々狩人の家系で華仙たちと同年代でまだ二十歳前の息子もいる。その息子もまた狩人のはずだった。無傷で逃げてきたという者の中には、その息子もいたのかもしれない。


 となれば、目の前で父親が殺される姿を息子は見てしまったのだろうか。その気持ちを思うと、華仙の中で熊の国に対する怒りと憎しみとが湧き上がってくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る