第9話 掟

「お前たち、ここで何をしている?」


 威候いこうが長剣を構えたままで、再度尋ねる。


「か、狩を……」

「お前たち、ここがきりの国の狩場だと知っているのだろう? 霧の国の民以外は入れない掟だと。ましてやくまの国の民ならばそれを知らないはずがない。そして、その掟を破ればどうなるかもな」


 威侯は長剣を構えたままで尚も問い詰める。男たちの顔は血の気が完全に失せているようで、それでも必死な様子で弁明を試みる。


「ま、待ってくれ。もちろん俺たち熊の国の民が入れないことは知っている。その掟を破ればどうなってしまうかも。俺たちが悪かった。許してくれ。今年、俺たちの国は不作続きなんだ。それでどうしようもなくて……」


「だから、どうした? そんなことは俺たち霧の国には関係ない話だ」


 男の言葉を遮って威侯は冷然と言い放った。


「だ、だけど毎日の食べる物にも事欠く有様で……」

「関係ないと言っている」


 威侯は上段で構えていた長剣を水平にすると、その切っ先を男の喉元に向けた。


 危険はないと判断して華仙かせんげんと共に威侯の背後に移動する。彼らの言い分は分からなくもない。だが、父親の威侯が言うように、可哀想だとは思うが、霧の国には関係のない話だった。


 この狩場を熊の国に荒らされてしまえば、今度は霧の国の食糧事情が苦しくなるかもしれないのだ。可哀想だからといって、熊の国を助けられるほどの余力などは霧の国にもなかった。


「霧の国の領地で狩を行ったんだ。その罪は償ってもらう」


 威侯の長剣を握る手に力が入るのが見てとれた。確かに同情はするが、同時に仕方がないことなのだと華仙は思っていた。


 もちろん、彼ら二人がこの狩場で多少の獲物を捕らえたからといって、霧の国の食糧事情がすぐに悪化するわけではない。しかし、一度でもそのような者を認めてしまうとどうなるだろうか。きっと、その後は次から次へと熊の民が獲物を求めて東の狩場へとやってくることになるのだろう。


 そうなった時には、それらの行為が霧の国の食糧事情に多大な影響を与えてしまうことは間違いなかった。自分たちが優先すべきは霧の国の民なのだ。


「ま、まってくれ。本当に悪かった。もうここには来ない。だから、今回だけは見逃してくれ!」

「本当だ。ここには二度と来ない。約束する。それに獲物だってまだ捕らえていないんだ!」


 彼らは互いに必死で弁明をしていた。


「駄目だな。それが掟だ」


 無慈悲に言い放つ威侯を見て彼らは絶望的な表情を浮かべる。


 その時だった。玄が威侯の前に立ちはだかった。


「この二人を殺すことは許さないよ」


 玄はいつもとら変わらない静かな口調でそう言った。ただ視線だけは鋭く、濃い茶色の瞳を威候へ真っ直ぐに向けていた。その言葉を聞いて威侯は彼らに向けていた長剣を下ろしたものの、無言で鋭い視線を玄に返した。その視線を玄は飄々とした様子で受け流している。


「玄様、この者たちを許すと?」


 その言葉に玄が黙って頷くと威侯は尚も言葉を続けた。


「この者たちを逃せば、明日には更に人数が増えた熊の国の者たちが、この狩場に来ることになるかもしれませんぞ?」

「そ、そんなことはしない。俺たちは二度とここには来ないし、このことは誰にも話さない。本当だ!」


 彼らの一人が即座に反論した。その彼に玄は濃い茶色の瞳を向けた。


「本当にここにはもう来ないかい。それに、このことを誰にも話したりはしないかい?」


 反論した者だけではなく、隣の若い男も二度三度と頷く。それを見て玄は不意に華仙に視線を向けた。


「この者たちはこう言っている。華仙はどう思うかな?」


 正直、華仙は玄の言葉に同意できなかった。この者たちは霧の国の物である東の狩場を荒らしたのだ。それは今日だけの話ではないはずだった。


 獲物をまだ捕らえていないようなことを言っていたが、それをそのまま信じることは難しいだろう。今日たまたまこうして捕らえられるまで、何日も何回も彼らがこの狩場で狩を行なっていたことは容易に想像できた。

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