第10話 鏡鬼
鏡がある。
その中にわたしがいるのがわかる。
しかしそれは現実のわたしとは別人のように、正反対の姿が投影されている。鏡面で上げている右手は、実はわたしの左手になる。セットした髪型もまるで違う。
自分の姿を正しく認識したのは、児童園のお遊戯会で踊る自分を、母親のスマホで見たのが最初だと思う。
それはまるで別人のようだし、声ももっと澄んで高い声だった。
「これ、あたし? ふみかなの?」とママに尋ねたことを憶えている。
それほど疑うまでに別人に見えた。
しかし第三者的には、まさしくわたしの姿だった。
わたしのそっくりさんがいるという。
山間にある国立大学のキャンパスで話題になっていて、友人から教えられた。
松本市の女鳥羽川沿いに広がるそのキャンパスは、山脈に挟まれた手狭な都市には贅沢なほどの広大さであるけど。
この街は、同時に二人が存在できるような、広い世間ではないはずだと思う。
遠くから敷地内の球場で試合をしている声がする。金属音とともに大きく打球が飛んだらしく歓声があがる。
「昨日は史華は私と旭会館の学食にいたよね。3限目の後」
わたしは同学の友人たちと、木立の中のテラスで、紙コップの生ジュースを飲んでいた。
「ええ、だってその時間帯はウチと珈琲美学でパフェ食べてたよ。休講になったからって、映えネタを探しに行ったのよね」
ほらあ、って差し出された多英のスマホには、わたしの笑顔とモカパフェの2ショットが残っている。
けれどもわたしが覚えているのは、学食で英文論文の全訳プリントを美晴から受け取ったことで、その実物はアパートに中にある。
「この写真って、本当に昨日のことなの?」
撮影データを読ませてもらったけど、確かに時間と場所も正確に残っている。ところがキャンパスから、この喫茶店まではかなり遠い。松本城を越えて駅前まで行くので、自転車でも20分はかかる。そしてその道を疾走して往復した覚えはない。
「この写真の服って、昨日着てたのと同じよね。学食で見てかわいいと思ったから」
「ありがとう。古着屋さんで見つけたの。昭和の頃のよ」
「
「骨董というほどの価値はないけどね」
そう。わたしは
松本市に受験で訪れた時に、大学の下見よりも先に開智学校を見学に行ったくらい、明治期の洋風木造建築には興味がつきなかった。
明治9年に棟梁の立石清重が設計した、東洋と西洋が渾然となった学舎で、国宝に指定されて即座に耐震工事に入る予定だったのだ。
卒業が近くなる頃まで工事期間中で、休館になる最後の機会なので受験よりもその空気感を楽しむことが優先だった。再び訪問できるのは就活中の多忙を縫ってのことだろう。
「最近の御宝は何か見つかったの」
「そうね。手鏡かしらね」とスマホで画像を探す。
メルカリで落札したもので、鏡面の端の方に曇りがあるので格安、訳ありという記述があった。表は黒地に市松模様が
「多分、戦争前のものらしいわ、これ」
「歴史教科書じゃん」
「これ鏡なの」
「そうね」と
そう。この鏡を入手した頃から、わたしのそっくりさんを見かけたという噂が出始めた。
「まさかね、鏡の中の自分が歩いていたりして」と私は半信半疑で言って、周囲はわっと湧いたけど、自然とは笑えなかった。
そのひとは闇の中から現れた。
透き通るような白い肌に、手入れの良い黒髪が背中を覆っていた。
細面の表情は暗がりの中に沈み、唇だけが血の色をして艶やかだった。
彼女は住宅街のLED街頭の光の中に姿を見せて、淑やかに笑顔を見せた。灰青い光量は逆にあるけれど、前髪の影でさらに目元が隠れてしまった。
「北川史華さんですよね」
名前を呼ばれ、どこかで知り合った人かもしれないと、訝しく思いながらその人の顔を盗み見ようとした。
「鳴神六花です。突然にごめんなさいね。本当は仲介者を通して、最初の訪問をするのだけど。怖がらないでね。お母様からの緊急のご依頼なの」
そうして彼女はわたしの母の住所と名前をすらすらと語った。それを聴きながらLINEの履歴を確認してみたら、確かに母からのMessageが来ていた。
「どういうことでしょうか?」
「あの手鏡なの。貴女も予感はお持ちでしょう? あれは人を複製する鏡なの」
「複製?」
「そしてね。見かけはそっくりだけど、性格は真反対になることが多いわ。そうなるともっと早くに発覚するのだけどね」
彼女はわたしにすっと接近してきた。
もう秋口なのに真夏のような薄手のワンピースを着ている。飾り気のない生成りの布地。それがとても彼女に似合ってると思った。
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