第13話  乖離する演者

「ねぇ、そうでしょ?虜路すみれ? 」


 目の前に倒れ込んだ烏森はそう問いかける。雨に濡れ、制服は肌に張り付いている。

 

 傘に当たる雨音は儚く小さい。それを聞いて口をついた。「傘をさしに来た」と。


 烏森は阿知和に問いかけている、が、恋敵の存在をはっきりと認識した時、多分だが阿知和は恋敵、もとい虜路すみれに成り代わる。それを阿知和が求められていると感じてしまう。


 だからこそこの"交渉"は恋敵と行わなければならない。簡単に言えば『阿知和にばれないまま恋敵を阿知和の中に戻す』のだ。


「烏森、阿知和にあいつを見せないでくれ。多分めんどくさいことになる」

「――分かったよ。任せて」


 傘の中の烏森は濡れたままの髪をかき上げ、眼鏡を掛けなおした。


 「春斗?私は何すればいいの? 」

 杏子が首をかしげる。


 あの時、烏森が走り出した後、少し間をおいて後をつけた。しかし、窓の外に雨が降っていたのを見て屋上へ行くのを一度見送った。昇降口の傘立ての中を探していた時、少し遅れて登校してきた杏子と出会った。


 そのまま、傘を持って屋上に来たわけだが、杏子に何も説明していない以上やれることは限られている。


「杏子もさ、そばにいてやってよ」

「ん?わかった! 」

 杏子は一瞬疑問に思ったのかこちらをじっと見たが、すぐに笑顔を見せた。


「春斗は何するの?」

 声を発した後、一瞬頭の中で考えて浮かんだだけの言葉を付け足した。

「ああー、交渉。――できるかはわかんないけど」


 あの裏にいるはずの影と。できるかも分からない交渉をこの屋上にて。


 二人、正確には状況がわかってる一人と分からない一人が阿知和の元へと向かう。


「さてと…どうするか」


 阿知和への接触を避けたいのは向こうも同じ。恋敵からしてみれば付け入る隙を見つける前に彼女の心を閉ざしてしまう恐れがあるから。そんなニコイチの賭けに出るような奴はこんな回りくどくこんな事件を起こしたりしない。


 そう考えながら片手を伸ばし、胸骨の隙間を広げる。あの恋敵との邂逅は恋敵に備わった性格を利用すれば楽にできる。出会うだけだが。


「いい加減諦めろよ、化け物」

 今までの会話から探る。あの恋敵がこの場に姿を現す一言を。たった一言で良かった、言うだけだ。

 

「貴方に何が分かると言うのでしょう?似たもの同士でしょう、私たち」


 もう流石にビビんなくなった。訳の分からなさに頭が回らなくなることもなくなった。


「同じじゃないよ恋敵。比較も出来ないね」


「未だ化け物呼ばわりですか、一体何しに来たんです?そろそろ応援してくれる頃だとは思っているのですが。それに鮎原薫は教室ですか? 何故でしょうね」

 背後に立った恋敵は余裕そうに軽口を叩く。


「薫は来れないし来ないよ。それに応援?何言ってんだ、俺はお前に理由を与えに来た」

「ふむ、理由ですか?何の、何に対しての理由です? 」

 

 向きを変え、恋敵の方へと目を向ける。この雨の中濡れている気配の無い白い髪とパーカー。奇妙なまでに青く深い瞳孔。そんな異質ともいえる身体要素にも関わらず俺の目が、脳がこれを阿知和寧子として認識してしまう。

  

「お前が阿知和に戻る為の理由だよ」

 数秒だけ傘に当たる雨の音を聞いていた。

 

「ふふっ、そんなものあると思いですか?無い、無い。そして微塵も必要無いですよ」

 背後を確認しないまま後方に高く跳躍し、校舎の縁の上へ着地する。何かスイッチが入ったように空を見上げ辺りもしない雨粒に微笑みかける。


「復唱でもします?せーの! 」

 両手を広げ指揮棒を振るかのように大きく腕を振るう。目は大きく開き、口は歪んだように大きく吊り上がる。


「私は恋しています私は恋しているのです私は恋焦がれて思い悩んで、私は恋しているのです私は恋してるのです私は恋しているのです私は恋してます私は彼に恋しているのです私は私は私は私は」


「恋をしているのですよ」

 狂気的で不気味なその告白は既に阿知和のモノとはかけ離れていた。最早、交渉は困難になってきたか。その事実に拳に力が入る。

 

「それなのにそれを止める理由がありますか?諦める理由がありますか?あの子のために、恋のために全てを捧げる事を放棄する程の理由が貴方に提示できるというのですか?本当にそう思うのですか? 」


「狂ってるな」


「ええ、狂うでしょうよ。あの子も私も狂わないわけがないでしょう?あの子は自分が見えなくなるほどに、そして私を作り出すほどに狂ったのですから」


 前と同じ不気味な笑みを浮かべこちらを見る。

「それに本当にそれで解決すると思いですか? 」

「どういうことだ? 何が言いたい」


「私を止める事があの子のためだと思うんですか? 」


「そもそも私を辿って行くと何処につくのでしょうね。あの子かしら? 」


 意味不明なことを淡々と言う目の前の恋敵に放つ言葉が見つからない。理解できない。その事を頭が理解している。どうすれば、どうすれば阿知和を?


「ん?んんん?なこちゃん…じゃないねぇ」

 振り向くと顔を傾げた杏子が立っていた。


「髪も長いし白くてきれーだ。だけど不思議となこちゃんって感じ。なんでだろね? 」


「杏子?なんでここに? 」

 杏子は気恥ずかしそうに笑った。

「うーんとね、あの二人見てたら私必要無いかもなーって」


「あなた、何か思いつめてるところもなこちゃんそっくりだよ。切羽みっちり詰まってる」


「虎落杏子…あなたに私たちの何がわかるのです」


 一歩前に出て傘を差し出す。その笑みは恋敵とは対照的なものだった。

「わかんないから聞くんだよ。あなたのことを教えて?何に悩んで何を望んでるのか。あなたのお話を聞くことそれが私の仕事だから。最初から途中挟んで最後まで、あなたの話を私に聞かせて? 」

 

 恋敵が怯む。その様子を見てどうしようもなかったこの状況がなぜか好転した気がした。恋敵の治し方は排除なんかでは到底できなかった。共存、それだけが唯一の道であったと意表を突かれたような気分だった。


 これで、阿知和を助けられる。共存を受け入れさせれば、恋敵は、阿知和はもうあんなことをしなくても済む。


 そんな希望をもって振り向いた。烏森次第でどうとでもなるところまで来たのだ。


 だが、頭を横切るのはどうやるかの懸念だけではない。叫び声、素早く通り過ぎるような叫び声。


「うるさいっ!! どっかいけよ! 」


 阿知和の声が鋭く入ってくる。地面に倒れた烏森は疑問を顔いっぱいに浮かべて呟き続ける。

 

「どうして、なんで?なんで僕が」

「アタシに話しかけるな!話したくない!見たくも、聞きたくもない! 」

 

 何かはわからない。傘は転がり、乾き始めたシャツにまた雨粒が当たる。阿知和がこちらの方を向く。じっと、静かにこちらを見ていた。


「なんで僕が見えてないんだ。阿知和」


 その眼には光はない。振り向けば恋敵が笑みを浮かべているようで顔を阿知和から離すことができない。始業のチャイムが鳴る。


 

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