第12話  烏森双樹の目と右手

ああ、もう疲れた。あの時は、中学のあの頃は軽かった足に力が入らないのを痛感する。無様に走る姿をバックを持った生徒たちの視線に晒す。ただただ恥ずかしかった。


 階段の下まで来た時にはもう上がった息と内側から聞こえる心音が他の音を遮るほどだった。


千種ちぐさちゃん、もう辞めなって、年上好きなのはわかってるけどさ。バスケ部はやめとこうよ」

「うっさい、わかってるわよ。けどねあの女に夜長よなが先輩を取られたの!男で負った傷は男で塞ぐのよ! 」


 うっすらと上の階から女子生徒の声が聞こえる。聞いた事のない声だった。そもそも僕なんかに女の子と喋る機会なんて…アイツ以外にはないけど。


「あれは勝てない試合だよ、だって黄金の組み合わせだもん。野球部エースとマネージャーだよ?こんなとこに割り込めるなんて強者だね」

「あんた、そんなに辛辣だっけ。だけどその通りよ、あの時の私はミスを犯していた。しかーし!今回は違う。今回はバスケ部部長、古川日岳ひがく、先週マネージャーに告って振られてるのを確認済みよ! 」


「せっこいよ千種ちゃん。てかもういいじゃん彼氏なんてさ」

「失恋した人間は男も女もチャンスなのよ。成功率が高くなるこのチャンスを私がみすみす逃すと思う?いいや逃さないわ」

高々と宣言するその声は自分を信じて疑わない自信の塊のようなものだった。誰かも知らないその声に勝手に、憧れてしまっていた。その声らが小さくなり聞き取ることのできない喧噪の中に消えた時。

 

 ――ガシャン!

 

 と何かを蹴飛ばしたような音がする。誰かが躓いたか、八つ当たりでもしたのかと思った。でも多分違う、あいつだ。あの足でどこかを蹴った音だ。


蹴るもの、何かに怒りをぶつけているのか、蹴る必要があったのか。もしくは、そのどちらでもあるか。


「屋上のドアか」

 屋上への扉は元々閉鎖されてはいたが老朽化によって立ち入る生徒も少なくなっていた。それに加えて誰かが歪んでいる扉を強引に閉めた際に強引にその枠にはまってしまって動かなくなってしまった。そうして誰も立ち寄らないただの薄暗い行き止まりと化していたのだった。


 だけど僕は行かなくてはならなかった。雨も降っているし授業の鐘はたぶんあと数分で鳴るだろう。こんな状況下で屋上に出向くなどという不良的行為をあろう事かこの僕がやるのだからそれ相応の対価が欲しい。


 屋上への階段を登っていく。まるで晴れていることしか想定していないように踊り場は薄暗く、3回目の出会いを迎える頃には生徒の声など聞こえなくなっていた。すぐ上に屋上扉が待ち構えていた。


 ドアノブに手をかける。空虚に回り手応えもなく金属のガチャガチャとした音だけを機械的に発している。


 段々とむかついてくる。目の前の扉をこじ開けることも出来ずただ形式的にドアノブを回すその姿に。


「出来るわけ……ないじゃん」

 ドアノブを回す手が震え乱雑に回し始める。音だけが大きくなりそれがまた心の中の焦燥を大きくさせる。


「高校入ってなんもしてないんだ。配信ばっか垂れ流して 」


「ビビって逃げて!項垂れて?僕は何をした? なぁ! 」

 思いっきりたたきつけるが扉はびくともせず指の付け根が赤く腫れる。


「痛って……あーあ」


「僕は誰かがお前を幸せにすればいいんだよ、僕ができないことをできるやつがいくらでもいるんだから……だからチケットも買ったんだ。僕にはどうしようもないから」


「ごめん悪かったよ、けど謝れよ。ごめん、だけどさ僕に謝れよ! 」

開かないドアに体をぶつける。自分でもわからない何かが口から飛び出し軋むドアにぶつかるが未だ開く気配はなかった。両手をついたままもたれかかる。静かに降る雨の音が聞こえる。


 僕は何がしたかったんだ。憧れた阿知和に、憧れた時のままの阿知和を強く望んだ。それだけだと思っていた。阿知和がだとは微塵も思わなかったんだ。それがすべての原因だったのに。


 今あいつは演じている。誰かが望んだように振舞っている。じゃあそれは誰だ?


 その答えを探して少し詰まった。答えがすぐに出てこない。フードの女の事も、なにもわからない。


 違う。今の阿知和は演じてなんかいない。誰の望んだ姿にもなっていない。寧ろフードの女の方だ、何故か僕が望んでしまった姿になっていたのはあの白いフードに身をまとっていた、阿知和の顔をしたあの女だ。その時、一つの考えが頭に浮かぶ。僕だけがまだ見ていない。|。


 突拍子もなさすぎるよくわからない考えだった。だがそれを早く確かめたかった。目の前の扉を蹴っ飛ばしてあいつを見ればわかる事だった。早く、早くこれを。


「僕は、もうなんでもいい。あいつがあいつとして生きていけるならなんだって! 」

 感情のままに右手を振り下ろす。今まで開かなかったその扉に無謀にも果敢に挑んでしまった。その拳が届く。


 ――訳ではなかった。


 衝撃音とともに視界に光が入ってくる。全身の体重を預けて放った右手は空を切るように扉の枠の中を突っ切る。体勢を崩して倒れる最中に視界の隅に室内用の上履きが見えた。


 水たまりに飛び込んでしまった。腕は既に中のシャツまで濡れ、追い打ちをかけるように頭を卯の花腐しが突く。


 前を向いた。その長雨の中佇んでるはずの人影を探す。憧れて、追いかけて追い詰めたその姿を探す。


「多分、多分だけど僕は君の姿を見てはないから核心を突くようなことをいうなんてできない。けど可笑しいと思ったんだ。今の阿知和は誰の望みで演じている?って。今は僕も鳴海も、鮎原だって望んでなんかない。じゃあ誰なんだよって。でも君は――白いフードを被っていた君は僕が望んだ、望んでしまった阿知和にそっくりだった。いや違うな、望みより遥かに望んでいた姿だった」


 立ち上がって袖口を少し絞る。雨はずっと髪を濡らし、滲みこんでいく。


「だから惹かれたんだ。熱中しちゃってた。だからこそ阿知和は演じるなんてできなかった。だって、阿知和は既に演じていたから。演じていた自分が自分から離れていったから。演じていたけど演じてなどいなかったんだ。乖離した阿知和が君なんだ」


「ねえそうでしょ?虜路すみれ」

 その影がずれたような気がした。遠くて見えないのにあの笑顔を見せたような気がした。


 雨音が何かに当たる音がする。上を見ると曇り空が透明なビニールで覆われていた。雨はもう当たらなかった。


「風邪ひくよ?烏森君」

「まじでずっと気づいてなかったのか?扉蹴ったのに」


背後を見ると鳴海春斗と虎落杏子が傘を差しだして立っていた。あの時の扉は鳴海が蹴ったものだった。


「鳴海?虎落さんも」


「あいつとお前に」「烏森君となこちゃんに! 」


『傘をさしに来た/傘をさしに来たの!』

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