第11話 judge 暴虐
結論から言うと、阿知和寧子は激怒した。それはもう今にも親友を置いて走り出してしまいそうなほどに。その二枚の紙切れを握りつぶし、烏森へと投げつけ、その細く芯のある足で顔めがけて蹴りを入れるのを必死で抑えるように体を震わせる。それが引くに引けなくなった演技であるという事実が嘘であるかのように、自分の中の事実に怒髪は教室の天井を突くように阿知和はただ怒りに乱れた。
朝が来て、阿知和は着信があった事を不思議に思って聞きに来た。いつものように堂々と隣のクラスから、自然に。それがまた烏森を変な思考に陥れた。正しく言えばこの時すでに烏森は挙動不審だった。何度も時計を確認し、クリアファイルの中に手を入れたまま辺りを見回していた。
「なあ鮎原、電話かけてたの今気づいた。何かあったか?不在着信ってのはわかりづらいんだよな。わりぃ」
「気にしないで阿知和さん。ただ英語の宿題を聞きたかっただけなんだ」
薫は自然に嘘をついた。
「英語?お前の方が明らかにできるだろ。学年上位がわかんないのにアタシが分かるわけないだろ? 」
「そうかな、はは」
薫ははぐらかすように軽く笑う。空気は淀んでいた、もうすぐ梅雨が始まりじめじめとした湿気が肌を撫でるからではないことはこの場にいた誰もがわかっていた。
「昨日、何してたんだよお前」
「や、別に大したことはしてねえよ。鳴海が帰った後杏子としゃべりながら帰って、飯食って寝た」
烏森は自身の疑念を解消するための質問を練り続けていた。しかしそれと同時に何かを悟られまいとする行動がいくつか見えた。視線の動きは阿知和と薫を往復し彼らの視線の先を見ては到達した視線の跳ね返る方をまた見る。その繰り返しをしていた。そして中途半端に開かれたクリアファイルは机の下から取り出されすぐに仕舞われる。
「そういえば杏子は?鳴海、知らねえのかよ」
教室を大雑把に見回し、杏子がいないことを不思議に思って訪ねた。
「わからない。部活とかじゃないか 」
「杏子にも用事があったんだけどな」
「そっ、そういえばさ。こないだ親が水族館のペアチケット当たったんだけど、俺ちょうど予定入っちゃったから行けねぇんだよ。誰かいらない?もったいないからさ 」
あからさまなその震え声に烏森の魂胆が少し見えた。おまけに慣れていないウインクを添えて。どういうつもりだ?と声に出したい気持ちをぐっと堪える。
「鳴海は…どう?今週予定ある? 」
「いーじゃん春斗。虎落さんとでも行って来なよ」
烏森と薫はそれぞれ別の思いを目に浮かべこちらを見る。その視線を受け流し少し上を向きながら阿知和の様子を伺った。
座っている3人に対して立っていたため表情はその首筋で隠れて見えなかった。スカートのポケットに手を突っ込み、ただ直立していた。
「いや、俺はいいよ。特に何かあるってわけじゃ無いんだけど」
言い終わらないうちに烏森の顔が明るくなる。
「そ、それじゃあお前貰ってくれよ。ペアだから誰か誘わなきゃいけないけど 」
阿知和はゴミを押し付けられたかのような怪訝な顔をする。
「はぁ?なんでアタシになんだよ。烏森のもんだろお前が使えよ」
「そういうわけには行かないんだ、よ。僕だって忙しいんだ」
「オタクのお前が何の用事だよ」
ムッとした烏森は言い返した。
「そんなの今は関係無いことだろ?丁度暇そうなやつが揃ってるんだ。行けばいいじゃないか」
「揃ってるって誰だよ」
「そんなの――お前と鮎原だよ! 」
「はぁ?マジで何言ってんだ。なんで鮎原と? 」
「いやー前々から思ってたけどお前ら良い感じだよ。いいと思うんだけどなー」
被せるように言いながらチケットを阿知和に押し付ける。阿知和は多少驚きつつもその2枚を受け取る。一晩考えてこれかとは思ったが口には出さないでおく。
「まあ考えてやるよ。鮎原と行くかは鮎原次第って事だ、それにアタシは杏子と行くって手もあるしな」
「や、どうせなら鮎原と行って来いよ。なあ? 」
烏森は薫にパスを回すが当の本人はそこまで乗り気では無かった。昨日の疲れもあるからだろうがもうすでに気づいているのではないのかと思っている。
「まあどっちでもいいんじゃない?女の子同士行くのもいいじゃん」
二人の言葉は想定外だったのか少し慌てる烏森、挙動不審さはピークに達し顔は冷汗が伝う。
「それもいいけどさどうせなら二人で行きなよ、虎落さんだって練習があるだろ?吹奏楽部、土日は昼からだし行けるのはお前らしかいないんだよ」
烏森の必死さに疑問をもち、半分呆れたように首をかしげる。押し付けられたチケットを閉じた指から剥がしヒントを見るように眺めた。
「お前さ、なんでそんなに…」
阿知和はチケットの裏を見た。水族館の名前といくつかの事項が所狭しと書かれ、有効期限は年末だった。
「烏森……お前」
「ふざけてんのか?これ年末まであるじゃねえか。なんで期限短いみたいな言い方してんだ? 」
「僕はお前の為を思って。だってお前ら」
阿知和は何かを察した。烏森も自分の行動の意味に気づいた。それが引き起こす結果についても。、
「烏森、お前どこまで知ってる?アタシの、どこまで!」
握ったままの手を机に叩きつけ、烏森の方へと突きつける。
「アタシのため?違う!お前の為だ。お前が納得するためだ。アタシがいつそんな事してほしいって言った? 」
動揺した烏森は口をまごつかせながらも反抗して言い返した。
「あ、阿知和はこんなことで怒る奴じゃなかった。変わっちゃったのかよ」
「お前はいつまで昔の話してんだ。変わらないでほしかったのはお前の願望じゃないか、お前らが私に求めてたのはどの阿知和寧子だ?中学から変わらない奴の方がおかしいんだ、お前はいつまでそのままなんだよ。いつまでたっても変わらない奴が自分の変化の言い訳にアタシを使うんじゃねえ! 」
チケットを握る手が強くなる。
「ふざけんなよ、好きでこれやってんじゃねえんだ。これが一番良いからやってんだ! 」
阿知和は教室を飛び出した。右手には握りしめた2枚のチケット、短い髪はその表情を隠すことなく後ろに靡く。窓の外は菜種梅雨がしとしとと降り注ぎ陰鬱な気分を演出していた。しとしとと阿知和の感情を腐らせていくその雨は水槽にたまり魚たちが泳ぎだすような海水そのものだった。廊下に響く足音は数秒で消えた。それも雨の仕業だった。
茫然と座り込む烏森は何か言いたげであったが言葉に表せられるほどに正常ではなかった。口を開けたまま阿知和が出ていった教室の扉を眺めている。
「それでいいのか?烏森は」
咄嗟に口を突いた。
「え?」
「そのままでお前は満足なのか?」
前の席で薫は多分笑った。理由は単純だろう。俺らしくないからだ。もとはお前の問題でもあるんだが、まあその責任は最後にでも取ってもらうことになるだろう。
烏森は立ち上がる。そうだ、その後悔の原因と善意の否定へ怒れ、そして追いかけろあの暴虐を。
「走れフタギ」
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