第10話  徒労の吐露と電子の灯篭

 重苦しく扉が開く。深夜に入りかけた時間、近所を気にした故の開閉であった。

「おー、いらっしゃい。まあ、入れよ」

「悪いな、遅くなっちゃって」


「どうしたんだよ?制服のままだし、家帰って無いのか」

「色々あってな」

 正直に言うのかは悩んでいた。だからこそ時間が欲しかったし、何か後ろめたさまで感じた。


 部屋までの廊下は暗く、間取りもわからないため長く感じた。部屋のドアを開けると暗く読書灯がともっている。ベッドには無造作に畳まれた掛布団、小さな机にはノートパソコンに動画が流れていた。その光は壁のスチールラックに飾られたいくつかのフィギアを照らしていた。


「体調はどうだ?よくなった? 」

「だいぶ良くなった。すみころの配信見るくらいには、ね」

 ノートパソコンの前に胡坐を組むように座り俺を見上げた。


「そっか、よかった」

 烏森は買ってきたゼリーを大事そうに掬って口に入れた。透明のゼリーの中に入っている蜜柑をスプーンで半分に切る。それをおいしそうに食べてはこちらを見てきた。


「白いフードの女の事?だよね、何かわかった? 」

 落ち着いた様子で尋ねる。目はまだ力が入っていなく、弱弱しそうに猫背のまま手を動かしていた。

 

「白いフードの女、薫から連絡があってさ。阿知和の顔をしているって」

 烏森は不思議と何も言わずベッド枠にもたれかかり灯っていない天井を見上げた。

「ああ、そっか。どうしような」

 

「その白いフードの女は阿知和とは別人だった。それは確認済みだよ」

「そっか」

 烏森は上を見上げ、部屋の暗さのせいもあって表情は読み取れなかった。

 

「鳴海、どんくらい知ってる?阿知和のこと」

「全然だよ。つい最近あったばっかだし」

 

「じゃあ、中学の頃理科の実験で騒ぐ男子の手を掴んでアルコールランプの上で騒がないって誓わせたことは?」

 少しだけいつもの調子が戻ったのか声が大きくなる。

 

「知らないよな、そうだよな。へへ」

 俺の表情を見ると自身の中で噛み締めるように笑う。

「前も話したっけ、あいつさ高校に入ってちょっとしたときにさ。変わったんだよ、雰囲気がさ」


「僕が陸上を辞めてアニメとかVppleの配信にのめり込んでる間にさ、変わっちゃったんだ。変だと思ってた、みんな気づかなくて普通みたいにしてて。でもさ違ったんだよ、僕が知らなかった」


「あいつの鮎原を見る目が僕のと違うんだ。知らないけどさ、こういうのってさ……そういう事じゃん 」

 

 沈黙を作るかのようにパソコンのファンが音を下げた

「わかんないからさ、手助けするしかねぇんだ。何したらいいかもわかんなかったけどさ」


「だからあの時、俺らに声かけたんだな」

 初めて烏森が恋敵に出会うあの日から一週間ほど前、烏森は教室で座っている俺たちに話しかけてきた。席も遠く、それほど関わりも無くお互い顔を知っている程度だったので困惑しながらもその特有の明るさに引き込まれていった。


「ごめん、ほんとに」

「いいよそんなの。でもなんで、恋敵、いや白いフードの女が阿知和だって気づいた? 」


「……笑わない? 」

「話題による」

 

「脚……の形」

「え? 」


「違う、歩く時の動きとか脚の形とか覚えてただけ……いや待て、十分キモいな僕」

 

「まぁ、あいつ俺ら陸上部のヒーローみたいな存在だったから。走り方も歩き方も息の吸い方まで全部目に焼き付けてた。ああなりたかったんだよあの時は」


「あいつは高校に入って変わった。……やっぱ違うな。今考えれば、僕らの思い描いた通りになってたんだ。『足の速い強い人間である阿知和寧子』っていう思い描いてたイメージ通りに。あれ?今まで僕の違和感はあいつがただ単に変わったからじゃ無かった?変化が思い通り過ぎるから… あいつが演じてたが変わろうとしてたから」


「変化か。あいつも言ってたな『解放の邪魔だ』って」

「多分、僕らのせいだ。僕には今起こってるのが何なのかわからないけど、あの時の阿知和に憧れっていう枷をはめたのは確かにあの時の僕らだった」


「中学の時の烏森たちの阿知和へのある種のヒーロー視が変化しようとした阿知和を強引に引き留めたってことか? 」

「僕にはそういうのはわからないよ。なんで白いフードの女があいつの形をしているのかなんて。鳴海の方が知ってそうだよ」

 恋をしようとした阿知和はから既に抜け出せなくなっていた。その原因は烏森たちの強固な憧れと自分で自分を演じる彼女自身の素質の賜物でもあった。


 「でもさ……あいつ良い奴なんだよ。頼もしいし、強いしかっこいいんだ。いつも僕の目の前を走って、背中を追っかける対象ができてた僕は楽だった。心地よかったんだ、追っかけるだけって」

 空の容器をノートパソコンの前に置き、ついていた動画のタブを消した。静かになった部屋の中で吐き出すように言葉を暗闇の中に放り込む。

 

「だからこそ、あいつが鮎原のこと好きなんだと何となくわかった時はどうにかしなきゃって思ってたんだ。それこそ僕が二人の仲を取り持ってやろうって位には張り切ってた。二人に取り入ってまで鮎原とのつながりを作ろうとしたんだ」

 少し誇らしげに、やや申し訳なさそうに。表情豊かに、悪く言えば情緒不安定に話を続ける。

 

「僕はダメな人間だよ。変わっただなんて、変わらせなかっただけなのに。変わってほしくなかったくせに。ああ、僕は結局、あいつのことが」

 パソコンの画面に映る残り四つのタブをすべて消した。ホーム画面には笑顔を浮かべた虜路の絵が背景となっていた。カチカチとクリックする音に隠すようにぽつりと思いを落とした。

 

「ああ、嫌だな。鳴海、聞かなかったことにしてくれないかな」

「……分かった」

 鼻の下を擦り、そのまますする。テッシュケースを探して立ち上がり顔をふいた後また元の位置に座る。赤い目元を隠すようにベットに頭を置いた。

 

「ほんとにいい奴なんだ。っつ、んぐずっ。あの二人さ多分お似合いだよ、絶対さ」


「言われないと気づけないんだよ人って。って言われないとわかんないんだよ。……そういえばあのフードの女、なんで阿知和の姿をしていたんだ? 」


「それは、あのフードの女、恋敵って呼んでるけど。そいつが原理は不明だけど今の阿知和から本来変わらなかったはずの阿知和が分離したから……」


「違うと思う。あれは阿知和寧子っていう人間から分離していない。だってあのフードの女、僕の理想だったんだ。全部が詰まってた」

 烏森はノートパソコンを閉じた。



 

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