第9話 恋が乙女を分つとき
「恋難きって言ったのか?阿知和のことを」
「ええ、そうですよ。あの子は恋をする為に私を解放したがってた。それを邪魔したのは……誰だったか。ああ、あの子らだ。双樹」
「そこでなんで烏森が出てくる? 」
「私がこの姿であの子から分離した時、初めてその違和感に気づいたのが彼だからですよ」
頭がこんがらがる。一年の時の話か?
1つわかることは――阿知和は薫の事が好きなのだろう。この
それをもう――多分薫も知っている。
知らないのは阿知和、か。
「まぁ、なんにせよ薫を拉致するってのは看過できんだろ。その目的もなんにもわかってないのに」
「あの子には自覚がないのですよ。私が生まれた自覚、自分の好意に向き合う自覚が」
「それで薫を?そんなうまくいくかよ」
「いきますよ。彼女は私ですもの、分離した恋する私を演じることしかできないあの子は慌てふためき自分の思いを自覚するでしょう?そうすれば」
「あの子は
静かな笑顔でこちらを捉えて離そうとしない。背筋がぞっとした。
「狂ってんな。阿知和はそれを望んでんのかよ?今のままでもできるだろ」
「なんにもわかってないですね。私が生まれた理由を、双樹とかいう男と陸上部の有象無象があの子に演じる事を強要したのに」
「あの子、もとい私は普通でよかったのに」
「もういいよそんくらいで」
「何ですか?薫さん、覚悟でもできましたか」
「違うよ」
薫はスマートフォンの画面を見せた。発信中の画面には阿知和寧子と表示されていた。
「その口ぶりからすると阿知和さんは君のことを知らないでしょ。それにまだ理解できないけど君が阿知和さんと分離した人ってんなら分離したことがばれたら君は危ういんじゃない?認知されたときに君の身に何が起こるかはわからないけど阿知和さんが君に何をするか、想像できるよね? 」
阿知和の心の中を空にしてそこに入り込むという方法をとる恋敵にとって阿知和はまだ中身の入った器であり母体なのだ。その母体が片割れを認知したときに拒絶反応をしてしまえば恋敵は入り込む余地が一切なくなる。
だがそれは阿知和にとっての解決にはなっていない。彼女の悩みを拒絶させることで解決しようとするのはここにいる誰にもできなかった。だからこそ薫はスマートフォンの画面を見せて脅すしかしなかった。そう、正確に言うとできなかったのだ。
「そういうこともなさるのですね。まぁいいでしょう。私は薫さんのこと諦めませんから」
「ひとつ、アドバイスを致しましょうか」
平然を装っているようには見えなかった。確実に勝つことが決まっているチェス選手のような限りなく無に近い笑顔をしていた。
「私はあの子から生まれたわけではありませんよ。あの子の願望から生まれたんです。その違いがあなた達に分かりますか? 」
そう言うと静かに消える。婉曲的に言われるのは好きじゃない。含みをたっぷりと持ったままあいつは消えた。待合室の椅子に倒れるように座り込む。天井を見上げるとポケットから振動が伝わってきた。
「……もしもし?鳴海?何かあった?あれ、うちに来るって言ってなかったっけ。寝ぼけてる? 」
「いや、ごめん。色々あって、今からなんか持ってくよ」
「……おう。わかったすみころの配信見ながら待ってるよ」
「薫はどうする?見舞い、行く? 」
「いや、いいよ。色々ありすぎて頭が追いつかない。春斗、すごいよ。なんでそんなに冷静でいられるのさ」
「冷静じゃない、全然。だけど俺は1回経験してるから、こういう変な状況に」
「そっか、それじゃあまた明日学校でね」
そう微笑む薫の目には何か霞のような光が辛うじて灯っていた。
コンビニでいくつかのゼリーを買って烏森の家へと向かう。次々と明らかになる人間関係と事実はただ俺の脳の処理を鈍らせる。烏森は何故恋敵の事に気づいたのか、恋敵の言う「演じることしかできない」という阿知和。深夜11時を回る少し前にインターフォンを鳴らした。
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