第8話  味方の見方

 構内アナウンスが響く。

「番号札68の方小児科待合室までお願いします」


 右手に握りしめた小さな紙を見る事もなく柱の影に隠れる。


 影の中の青い目はなにかを探し、フードからはみ出るように伸びる白い髪はこの世のものとは思えない程透き通っていて、廊下の蛍光灯の光を乱反射しているかのように見えた。


「あーあ、これじゃあ先生に怒られちゃうな」

 スマートフォンは耳に当てたまま、通話を繋いだまま、鮎原薫は気だるそうにため息と一緒にいくつかの感情を吐いた。


「薫、大丈夫か?それに本当にそこにいるのかよ? 」


「うん、そうだね春斗。あれは間違えない。目の色と髪の毛以外は確実に阿知和さんだろうね、双子とかじゃなければだけど」

「切るよ春斗。俺が何処にいるかなんて知ってんでしょ?電話しちゃあいけねぇんだよね。じゃ」


 そういって電話を切った。同時刻、鳴海春斗は行き交う買い物客の喧騒も無視してただ呆然とスマホを耳に当てていた。阿知和の笑う姿と耳に残る薫の声が不安を掻き立てた。


「どうしたの?春斗。怖い顔して、なんかあった?」

「いや、ちょっと用事を思い出した」


 そう言って夜の始まる前の街へ歩いた。


 予想が外れた。こんなまだ夜の狭間にあいつが現れるとは思っていなかった。甘かった、たった2回の遭遇で勝手に″深夜に現れる″ものだと思ってしまっていた。


 それに薫は確かに言った。

「阿知和さんの顔をしている」と。


 人の顔をその人たらしめる部位は目や鼻、頬骨や口が挙げられる、阿知和寧子を彼女として認識するのにはあの白い髪と青い瞳は必要なかったのだろう。だが普通に考えればそんな考え自体が必要ないものなものだ。人と同じ顔、この場合顔と言っていいのかも分からないが同じ特徴を持つ者が2人いるなんて双子かドッペルゲンガーのどちらかなのである。


 自動ドアが開く。建物は白く無機質な壁が出迎える。中には受付といくつもの椅子がある。


 時計を見ると8時を回ったところだった。診察を待つ者は居らず、受付にも誰もいない。鮎原薫の文字を画面上から探し出し、受話器のボタンを押した。


 コールが鳴る。無機質で少し薄暗くだだっ広いその待合室にコールが響いたような気がしていた。コールとコールの間にあるズレに違和感を覚える。

 

「こんな時に電話鳴らすなんて感心しないなぁ春斗」

 やけに呑気な声が影の中から聞こえた。振り向くとスマートフォンを揺らしこちらに笑みを浮かべる薫がいた。


「隠れてるってのに電話鳴らすなんてあの子にばらすようなもんだよ」

「それは悪かった。急いでたから」

「虎落さんと阿知和さんは? 」


「帰った…と思う」

「なにそれ、何も言わずに来たの?」


 考え込むと周りの状況が把握できないのはいつもの癖だ。既に榲桲に指摘されたというのに、辟易する。


「まあいいや、最悪阿知和さんが来なければいいよ」

「結局何だったんだ、その例の不審者が阿知和に似たやつだったってことか? 」

「違うって、阿知和さん自身だった。っていえばわかるかな? 」


「双子だったとしても生活が全く同じなわけじゃないし環境だってちょっと違うだろ?そういうのってわかるんだよ。ちょっとした違和感がどこかにあるんだ。だけど、あれはその逆だよ」


「逆? 」

「髪の長さも色も違うのに、違和感が全くないんだ。感覚的に目の前の人物が阿知和さんであることがわかってしまうような、そんな感じ」


「まあ、今はそんなことはとりあえずいいんだ。今は『何故恋の味方はお前を襲うことにしたのか』だ」

「わかんないね、そんなのがわかってるんなら俺は逃げてないよ」

 その自信は薫自身の経験によるものが大きいだろう。文字通りなんでもできる、だがそれは普通の生活の中に置いての話だった。初めて、いや片手で数えるほど少ない困難の一つになっていた。


「さっさとあの化け物の対策を立てないと、薫今あいつは」


「化け物だなんて。私だって年頃の女ですのに、それに名乗りましたよね。恋の味方だって」

 突然、目の前に現れる。目を離した訳じゃない、警戒してなかった訳でもない。だがそこにいた。背筋をそっと撫でられるようなそんな恐怖がそこにはあった。

 

「恋の味方、その鉄の棒をどっかにやってくれないか?話がしたい」

「それはできませんね。男の子2人と私1人、これくらいがちょうどよくないですか? 」

 不気味なほどに落ち着いていて怖いほどまでに自然な笑みを浮かべる。こいつから少しでも何か引き出さなきゃ何かが起こる。そんな恐怖があった。


「そもそも何が目的だ?お前。深夜徘徊したり薫を付け回して」

「目的って、聞いてなかったんですか?あの子の為だって言ってますでしょう」

「それがなんの関係があるんだって言ってんだ」

「貴方には関係ないことです。関係があるのは鮎原薫なのですから、黙っていてくださいよあなたも同類じゃないですか」

 はじめて薫が目的であると語った。1人のときを狙って襲った時点でそうだとは思っていたが。


「俺が目的?なら話してくれればいいじゃないか。阿知和さん、話なら聞くから」

「阿知和寧子の事ですか。ひとつ勘違いをなされてる気がしますわ 」

 薫も気付いていた。感覚とはまた別の正反対と言ってもいい、喋り方と考え方に本来の阿知和寧子との乖離を感じた。


「やっぱり違うかも春斗。阿知和さんとは少し違う。枝が分かれてるみたいなどこかで分岐した…言うなれば突然変異みたいな」


「そうですね。正確には今の彼女は私からの変異と言うのが適切でしょうけど」


「どうでもいい、さっきからこっちの話を聞いてないな。俺が聞きたいのは薫を襲う理由だ。お前がどういう位置づけかなんてもうどうだっていい。だってお前は」

 あの夜の日、見えなかった輪郭が少しだけだが見える。揺らめき、ぼやけ、ゆらゆらと後ろの景色を濁らせる。陽炎のように無機質な白を揺らしていた。


「恋患いだから」

 少しだけ、その言葉に瞳孔が開いた。持っていた鉄の棒を握り直し笑顔が消える。

「詳細は分からない。阿知和自身のものかどうかも怪しいし。だけど確実にお前はなにかの偽物だ」


 振り下ろされた棒が背もたれを破壊する。


「うるさい。私はあの子とは違う!あんな隠して秘めて閉ざす、あんな子とは!本来は私なのに」

 声を荒げ、指先に力が入るそれを見て一瞬だけ体を強ばらせた。偽物という言葉に怒り、そのままの感情をぶつけていた。こいつは阿知和を知っている。正確に言えば知りすぎている、感情の裏側に張り付いていたような言動だった。それが俺の中の推論を裏付けるものになった。

 

「だから鮎原薫を連れていく、私は恋の味方だから! 」


「あんたの事少しはわかった気がするよ。阿知和がどんな事を思っているのかも想像がつく。だけどお前は″あの子″、阿知和の恋の味方なんかじゃないだろ。どっちかと言うと」

「阿知和さんの? 」

 薫が何か言いたそうにこちらを見た。それを無視して前を見続ける。阿知和のことは阿知和がよく知っている。だからこそこいつは――。


だろ」

 名前を付ける必要性はないのだが、阿知和に思い人がいるかどうかは置いておいて阿知和の恋を味方面で邪魔する。もう1人の阿知和寧子、それがあいつだ。


「ふっふふ。ふはは」

 笑う。狂ったように笑う。瞳孔は開き、腕は広がる。それこそ敵であるかのように、それを望まれているからこそ敵になりきっているかのように。目の前の異常な現象に阿知和らしさを見出してしまった。

 

「何がおかしいんだよ」

「恋敵、恋敵ですか。ふふ、私は味方ですよ 」

 余裕そうに笑みを浮かべる、俺の発言が全く見当違いかのような余裕の笑みだった。その動揺を悟られているのかやはり歪んだ笑身を浮かべる。

 

恋難きこいがたきあの子の恋敵こいがたき、敵の敵は味方と言うでしょう?私は恋の味方なのですよ」


『恋敵』は淡々と諭すかのように話す。あの時とは違う、あの法則性のある感染症、”恋焦がれ”の時とは違う。感情が形作った阿知和寧子。意志を持った病、”恋敵”。余裕そうに笑うそいつの顔は夕暮れ時の阿知和とやはり似ていて、えも言われぬ恐怖がぬぐえないほどにこびりついていた。



 時刻は10時を過ぎた。画面中央の待機中の文字はまだ表示されたまま、開始予定から12分を過ぎていた。


「すみません!遅れてしまって、最近見落としが激しいんです。準備に時間かかっちゃいました」

 画面が切り替わり、画面に女性の姿が現れる。画面は三色のリボンに彩られる。おびただしい数のコメントで画面は溢れ彼女自身は動きを確認するかのように目を閉じたり首を傾げた。


「それじゃあ!今夜も始めていきましょう。虜路すみれの生放送!2時間たっぷりとお付き合いくださいませ! 」

 

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