第5話  昼飯と来客

「阿知和さん、一緒にお昼どう? 」

 4限が終わり、教室は休息の場となる。まだ涼しい風が窓を通り、40かそこらの匂いをかっさらっていく。今はそう、気兼ねなく話すことのできる時間。そんな中で隣のクラスからの来客を何故か杏子が担当した。


「あ、いやえーっと」

 何か用があってきたはずの阿知和はその純粋な明るさに当てられて本来の用事を忘れていたようだった。空いている机を使い弁当箱を開けていた。


「なぁ春斗ー、またいこうよ」

「嫌だね、あんなのだとは思わなかった。不審者とかそんなもんじゃないだろあれ」

 昨夜の記憶は鮮明で、あの武器持ち物騒女は会ってはじめてわかる異常さであった。生きている感覚がしないといえばいいのか、打ちっぱなしのコンクリートの部屋に服を着せられたマネキンと対峙させられているような不気味さだった。


「でもさー、昨日は顔見られなかったでしょ?ってことは見るしかないじゃん」

「どういう思考回路してんだ、あいつ人間かどうかも怪しいのに」

突然現れて、消える。そんな現代人の格好をした何か。


「そういえば、薫は聞こえたのかよ?あいつが橋の上で言ってた」

「あの子のためにってやつ?恋のできないあの子のためにって」

 勝手に決めつけるのはよくないとは分かってはいるがあの幽霊は、非常に残念なことに恋と関係があった。電話越しにも聞こえた「恋の味方」。あの幽霊自身のモノか、”あの子”のモノかはわからないが恋に関わっているというのが難点だ。最悪の場合、本当に厄介だが”恋患い”の可能性が出てきてしまう。

 

 ”恋患い”とは名坂高校に起こる怪奇現象の総称。一か月前、思い慕うという感情が物を燃やす現象”恋焦がれ”がいくつかの生徒を襲った。


 あの時は、いくつかの証言から名坂高校でのみ発症すると結論付けたのだが今回のあの女は屋外に居たし、高校からは距離があった。これは俺の考えが間違っていたのか、それともかだ。


どちらにせよ、最悪の可能性は考えたくもない。考えなくていいのであれば後の二年間、平穏に暮らしていきたいのだ。ないのであればそれに越したことはない。


「ん、でもあの子ってのは男なのか女なのかは気になるでしょ?だったら」

 

「その箸の先の卵焼きはあと何分そこにいるつもりなんだ? 」


 黙々と食べる薫を前に同じく菓子パンを頬張った。教室を見渡すと阿知和が杏子と風紀委員である苗札千代と楽しそうにしゃべりながら弁当を囲んでいた。


「虎落…さんは何部だ?グラウンドでは見かけたことないから卓球とか? 」

「杏子でいいよ。残念、吹奏楽部でした!寧子ちゃんは陸上部でしょ?こないだの表彰の時いたよね!いやー速く走れるってのはいいですなー!私、全力で走ろうもんなら体がぶっ壊れちまうのだよ」

他の2人が頬張っている間、畳み掛けるように話す。

 

「てか…杏子、それ"こふぇねこ”のダージリンべんがるじゃねえか。…っか! 」

「えへへ、可愛いでしょ? ガチャガチャしたら出てくれたんだよ」

 こふぇねこ…coffeeと猫の組み合わせのキャラクター。他にもエスプレッソまんだれい、お抹茶和ねこ等カップに入った飲み物に猫が浸かっているものである。どちらかと言うとそこまでメジャーではなく、知る人ぞ知るガチャガチャフィギュアである。


 そんなマイナーフィギュア話を数分、若干ヒートアップしたように語り尽くした後の事だった。


「着けたりしないの?筆箱とかにさ」

「アタシがそういうの着けてんのどうよ?笑えてくるだろ? 」

作ったように笑う阿知和を見て杏子は食い気味に答えた。


「そんな事無いよ。寧子ちゃんは可愛いよ?可笑しくなんて無い」

「そ、そうですよ!誰が何を好きかなんて自由です、誰が何と言おうと自由なんです! 」

 苗札もそれに続いた。苗札は思うところがあったのか少し強く主張した。そんな二人に気圧されてか阿知和はほんの少しだけ何かを開いた、吐露するための窓のようなモノ。

 

「アタシがそれを望まれてないんだ」

 一瞬、声色が変わった。その即席の食卓は静まり返り、三人は沈黙に身を任せる。少し騒がしい昼の教室の三人だけの沈黙、一見矛盾しそうなこの表現は間違っているようで合っている。そしてその沈黙を破るのも阿知和ではあった。


「いや、ちげぇよ?元からアタシはこんな感じだったから。陸上部のヤツらだって阿知和寧子という女はこういうやつだと信じきってんだ」

時計をちらっと見てふりかけのかかった白米を口にする。


「”可愛いもの好きのアタシ”と”陸上部の阿知和寧子”は併存しねえんだ。少なくともここでは、な」

この名坂高校での阿知和寧子はまるで演じている誰かのように語る。言葉がそれ以上出てこず、おもむろに箸を閉じたり開けたりして考え込んだ。

 

「そういうことだ」

 

阿知和がそう言った直後に目の前の薫が食べ終わり、こちらを凝視する。まだ一口かじりついてしかない菓子パンを見てにやにやとし始めた。


「春斗…その右手にあるパンはいつになったら入場できるんだろうね。夏休みの遊園地みたいだ」

 言い返せないので黙ってパンを頬張っていた。


「なあ春斗、今日さ双樹ふたぎ休みじゃん? 」

 烏森は昨日の夜の出来事で熱を出して休んでいた。メッセージで連絡を受けていたので気にもしなかったが薫は何かが引っかかるようだった。

「なんで阿知和さん、うちの教室来たんだろう?虎落さんに会いに来た感じじゃないけど」

そう言われると少し謎が残る。教室の前で誰かを探しているのを杏子が話しかけて昼ご飯に誘った成り行きで今三人で食べているとすると彼女は本来誰に会いに来た?烏森がいないこの教室で何を目的に訪れた?


 だがそんなのは些細な謎にすぎない。午後には忘れてしまうような稚拙な謎の一つ。


 俺にはこの手のパンを食べきる必要があるのだから。そんなものに比べたら本当に。


「鳴海、放課後時間あるか? ちょっと付き合えよ 」

 は?


 そんなあからさまな感情が顔に出ていたのかは分からないが。

「安心しろ、杏子も一緒だ」


 この女は何故か笑ってそう言った。

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