第1話 初夏と仮想
夏がはじまった。
と言っても蝉が鳴き入道雲が見下ろすような季節ではない。4月の頃より暑くなりじめじめとしたまとわりつく様な湿気が出始める。そう、暦の上ではこの5月中旬も立派な夏である。
そんな夏もどきに俺たちは体育館で立ったまま壇上に上がる生徒を見ていた。少し日に焼けた肌に真っ白な夏服が少しアンバランスな女。階段を登っても髪は揺れぬ、だが確かに揺れるそれに男子は息を飲んでいた様子だった。
「
「はいっ! 」
静かな体育館に
「あんな子いたっけ? 」
目の前の男が振り返ってこちらに質問する。
「知らない、薫が知らないなら相当だろ」
「春斗…俺だってそんなに知らないよ。あの子に告られてないし」
そういう覚え方をしていたのかと驚く。成績優秀、容姿端麗と人間を褒め称える四字熟語は殆どこの
あの煩わしい″恋焦がれ″から約1ヶ月、特に変わった事は無かった。
特筆すべき箇所があるとするならあの風紀委員長が
それともう1つ。
「昨日のVple特集見た?鳴海」
全校集会が終わり教室に帰える途中、後ろから肩を叩かれる。振り向くと眼鏡をかけた少し猫背の男が話しかけていた。
「まだ見てない、そのブイプルだっけ?深夜にやってんだろ?見られないだろ」
「オタクってのはそんなの気にしねぇんだよ。全ての基準は推しと公式なんだ」
「はぁ、オタクって難しいんだな。俺にはなれそうにないよ」
オタクが会話に入ってくるようになった。
「俺は知ってるぞ。そのブイップルってやつ、ニット帽かなんかのコラボやってたよな」
薫が知っている範囲で答えた。
「ブイップルじゃねぇよ鮎原、Vpleだ。カップルみたいでそう呼んだオタクはみな死んだ…気をつけろ。ニット…あれはクオリティ高かった。値段も高かったけど」
出会って1週間程だが指摘がオタクらしくて安心するようになってきた。
Vple…バーチャル ピープルの略称。主にネット上にて2Dイラストを自分の顔として活動している配信者の事。略して呼ぶのが通例との事、成程これは少しばかりダサい。
「兎に角、お前らも見ろよ?
「トリコロスミレ…ねぇ。今日配信する?」
「お、鳴海。やっと見る気になってくれたか!運がいいぞ、今夜は大人気企画、『三色テーマ雑談』だっ! 」
『三色テーマ雑談』…虜路の配信内での人気コンテンツ、青白赤の三テーマで視聴者からの質問や相談にこたえる配信。三色にはそれぞれ、自由、貴方と私の話、恋の話とカテゴライズされて特に人気なのが赤、恋の話である。独特の切り口と相談者に真摯に寄り添う姿が人気に火をつけるきっかけとなった...らしい。
圧倒的な熱量と早口で正確な説明をしてくる姿に少し気圧されてしまった。
「ま、まあ気が向いたら見てみるよ。結構遅い時間に始めるんだなこの人。毎回10時くらいからって」
実際、動画サイト上では2時間ほどの動画が大半を占めていた。10時から始めたとしても12時、相当ハードである...彼女も視聴者も。
時計は午後11時を回っていた。布団に入りさえすれば眠れそうな状態で配信のことを思い出した。スマートフォンを机から取り出し検索をする。『虜路すみれ』まだ配信中であった。鮮やかに彩られたその画面をタップする。
「次はこのお悩み...」
白く長い髪に青い眼、優しくこちらに語りかける静かな声。襟にレースの付いた白と水色の衣装、画面に表示された悩みにこたえる姿は慈愛に満ち溢れていた。
「スノーナさんのお悩み、後輩の女の子から告白されたがスノーナさんも女の子なのでどうすればいいかわからない。この気持ちが恋なのかもわからない、とのことですね」
ついていた頬杖の支えが崩れた。そのあとで何度かスマートフォンを確認してしまう。なんか該当する人がいるような気がするが気のせいだろう。
「それは恋ですね。私が言うんだからそうです、ハイ。スノーナさん、私に続けて復唱してくださいね。私は恋してます、はい! 」
さっきと変わらない慈愛に満ちた声で楽しそうに話す。誇らしげに、嬉しそうに。
「これで万が一恋じゃなかったとしても今恋になりました。辻褄が合えばいいのです、ツジとツマの大きなカステラです」
強引な解決方法だが流れるコメントを見るとこれでいいのだろう。まああの人だったら納得しないような気もするが。もし仮にあの人なら、だが。
その後、4つ程の悩みを解決し最後のまとめに入っていた。時刻は12時前。
「では、ここら辺で。来ていただいた皆さんありがとうございました。また会いましょうトリコロバーイ!」
流れるコメント、配信は切り替わり彼女の姿は見えなくなった。
スマートフォンを閉じ洗面台へと向かう。歯を磨き自分の部屋のベッドに腰かけた。時刻は12時15分を過ぎた頃、心地よい眠気が襲い欠伸が一つ。部屋の電気を消しベッドに横たわった。恋の相談ではあったがあの声のおかげで不思議とすんなりと聞けた。
軽快な音が鳴る。
スマートフォンの着信音、画面に表示されていたのは烏森双樹であった。
「もしもし?」
「もしもし、鳴海?早く、早く! 」
烏森の声は焦燥と足音、荒い呼吸によって聞き取りづらかった。
「落ち着け、どうした」
「はあ、まって。はぁクソ、あれなんだよ。バットか鉄パイプか」
「は?何言ってのかわかんないぞ。落ち着いて話せ」
何かが体の中でうごめくような感覚だった。
「フード被った長い髪の女が襲ってきたんだ。長い、棒みたいなもんもって。コンビニ行きたかっただけなんだよ配信終わったから」
恐怖と焦りによって時系列がぐちゃぐちゃになっているようだった。
「俺じゃないって」
「え? 」
「あいつ、”あの人”じゃないって言ったんだよ」
足音が通話越しに聞こえる。
「お、おい!お前何者だよ!ここまで追ってきたのか…? 」
「どうした烏森、そこにいるのか…? 」
「来るな、来るな来るな! 」
まただ。
「私は彼女の″恋の味方″」
いっつもそうだ。恋は厄介事を連れてくる。
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