第2話 何患い


「春斗、平安時代って病気になったら祈って治してたんだってさ。すごいよね」

 

「急にどうしたの、もう陰陽師の出番? 」

 6限が終わり外は昼夜の境がほんのり赤くなっていた。クラスメイト達が鞄に教科書を詰めている中、何故か杏子は日本史の教科書を持って数席離れた俺の方へしゃべりにきた。


「おんみょうじ…?ちょい待て、それ見たよ。どれどれ…」

 栞代わりにした人差し指を外しなぞるように聞いた単語を探した。


「あった…って!取り憑かれて無いよ! 」

夕方にもかかわらずキレは変わらない。ここから部活あるよね?あなた。


「で、どうした?まだ平安時代やってないよ」

 今年から始まった日本史の授業は先生がゆったりと進めるのもあり、奈良時代に入ったばかりだった。

「暇だったからちょっと先を見てた。 陰陽師…いい! 」

「そんだけかよ。早く帰る準備しな」


「春斗は今日、すぐ帰るの? 」

「いや、委員会がある」


「そっかー、じゃ!頑張ってー」

「おう、杏子も練習だろ?ふぁいと」

 教室から散り散りに生徒が帰る頃には外はもう夕暮れ。委員会の仕事の為、図書室に向かった。


 廊下にはオレンジ色の斜線が通り、グラウンドからは準備運動の掛け声が聞こえる。図書室は相も変わらず赤いカーペットと夕陽の暖色コンボで俺を迎えていた。


「鳴海、今日だっけ? 担当」

「あれ、違うんすか? マルメロ先輩 」

 きっちりと着こなした制服に校則通りの様相、この人が図書委員長の榲桲 倫弥まるめろ りんや。クラスメイトからはマルメロやメロリンと可愛らしい名前で呼ばれてはいるが実際は可愛さとは無縁の真面目な男である。


「下の名前で呼べって…まあいいや。座んなよ」

当番は先輩と2人の事が多い。かれこれ半年以上の付き合いだった。他愛もない話をし、真面目だが知的なユーモアも交えて話すことのできる先輩はかなり楽しい人だ。

 

静かな時間が流れ、耐えかねた先輩が口を開いた。

「今年に入って変な事件が増えてるみたいなんだ。委員長会議で上がってて、風紀委員長が怒ってたな。やっぱあいつやべぇ」



「変な事件…ですか。そんな事ありましたっけ? 」

覚えも噂も無かった気がした。そもそもざっくりしすぎてて検討もつかない。

 

「それがな…先週」

 先輩が言いかけたその時。


 ジリリリリ――と耳をつん裂く様なベルの音が鳴り響いた。かん高い金属の当たる連続音。図書室内の数人は反射的に音の鳴る方へ振り向く。近くからは悲鳴と粗暴な足音が聞こえていた。ベルが鳴り続ける事数秒後、電気の通るジジッという音が鳴り


「火事です。家庭科室にて火災が発生しました。近くの教室にいる生徒は避難してください」


 機械的なアナウンスが流れる。人のいない図書室にはただ繰り返されるアナウンスと非常ベルの音が響いていた。


「火事…家庭科室って上の階じゃないか。逃げましょう先輩、そこの非常階段からが近いです」


「火事か…燃えてんだな。よし鳴海、この状況下逃げるか図書委員としての仕事を全うするかどっちがいい? 」


「は…?図書委員の仕事ってのはこの本の山達と心中する事なんですか?馬鹿も休み休みに言ってくださいよ」

「おう、馬鹿なら隣で休憩中だ。三圃式馬鹿だ」


 こんな非常時に小ボケをかませるメンタルには尊敬すら抱いてしまう。

「冗談だ、本題はこれだよ。…何ソワソワしてる」


「外燃えてんだよ。悠長にできないでしょう? 」

「よく考えろ、鳴海は人の事をよく見てる。感情に機敏なのも知ってる。だから何が起こっているのかなんて赤子の手を捻る様なもんだろ」

 頭を指で指す仕草をする。


 鳴り続けるベルの音は判断をかき乱す。だけどなんで先輩は逃げないのか。家庭科室が上の階にあるこの位置で何故?


「この廊下を通ってない…のか」

「正解。流石、この南棟は1階の廊下で教室棟と繋がっている。だから火事で家庭科室から逃げるルートの全てに図書室前の扉を通る必要がある。だから逃げないといけないような火事の場合は走る料理部員がこっから見えるって事だ」

勿論、そんなのはただの予測に過ぎない。それでもある程度の妥当性を帯びていたし、図書室に止まる理由くらいにはなっていた。

 

「さて、こっからが本題だ。この火災、何かあるぞ」

「何か… 」

 

「書庫の整理してたら偶然見つけてな。まあまさか在校中に火災が起こるとは正直考えていなかったが」

「…なんのことです? 」

「この高校の前身、名坂女学校で奇妙な火災事件が相次いでいた。突如として生徒たちの持ち物が発火して、警察出動までの大騒ぎ」

「発火…?」


「結局その発火原因はわからず都市伝説化したみたいだな」

「それが今回のと関係があるって?家庭科室ですよ、一番火事のリスクがある。ただのボヤだって可能性も」

「かもな、違うんならそれでいい。だがこの現象が本当に起こったのなら…相当厄介だ」


「あった。これだよ、この紙切れだ」

 裏の書庫に入っていった先輩が日に焼けた紙を持って出てきた。古いノートの罫線に沿って小さな文字が並んでいた。


”恋患い”

 

「恋患い…。それがこの現象の名前ですか? 」

「まあ、当時のことを書いた記録に挟まってだけだからな。そういうことにしておくか」


「でだ。鳴海、これの調査任せた」

「嫌ですけど。なんでそんな事しなくちゃなんないんですか」


 考えこむ先輩、窓に目をやって言葉を探していた。

「お前を思っての人選だ。それに…できるからだ」

「何訳分からん事言ってんですか。やりませんよ」


「ほう、やらないってならこっちにも考えがある。…風紀委員に持ってく」

 この学校では風紀委員というのは殆ど脅しのような言葉である。一言で言えばことを大きくする天才集団。規制の強化を今日も叫ぶめんどくさい集団である。


「うっ…分かりました。やります、やりますよ。毎日荷物検査されるよかましです」

 

 引き受けてしまったと後悔するがそれに続く様に校内放送がかかる。


「只今、消火が完了しました。危険ですので今日は校内に立ち入らないでください。繰り返します…」


 ほら、と言わんばかりにこちらに目配せをしてくる先輩をぶん殴りたくなったがそんな考えは非日常から日常へと強引に引き戻そうとするカノンの音色と階段を駆け上がる足音にかき消された。


「あ、春斗!なんで避難してないの!心配したんだよ?グラウンドのどこにもいないから…今日は全活動停止だってさ、帰ろ? 」


 切れる息と右手に持ったオーボエ、杏子は俺らより落ち着いていなかった。それでも出来るだけそれを悟られまいとする意識が、向けられた笑顔と差し出された左手に感じてしまった。


「あ、ちょっと待ってて。先輩に聞きたいことあったから」


 その手を一瞬躊躇う。逃げる様に先輩の方を向いた。

「どうした?彼女を待たせるなよ」

「いや違うんで、あの図書室で言ってた『先週の事件』ってなんだったんですか? 」

 先輩は神妙な面持ちになった。


 

「ああ、あれか。野球部マネと女子生徒の、男を巡ったガチ喧嘩だ」

 

 

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