恋のカフカ

ひらか

第一章 青く燃える春

第1話 何の可不可

 高校生活とは本来楽しいものなのである。事実、高校一年間はそれなりに平穏で凡そ高校生としての生活を満喫出来ていた。

 

 2年の春は始まっている。


 校門までの数メートルはピンク色をしていた。そんな生徒が歩く流れに少し抗うようにこの俺、鳴海春斗は立っていた。


「あれ?春斗どうしたの、こんなところで」

 驚いたショートヘアの女の子、虎落 杏子(もがり あんず)は自分のポケットを叩き、「今日は忘れ物無いよ! …多分」と笑った。


「弁当ある? 」

「あるに決まってんじゃん!おべんとだけは忘れないよ! …ほらここに。これだよ? 」


 虎落 杏子は黄色に水玉の可愛らしい風呂敷に包まれた手のひら大の箱を差し出すように俺に見せてきた。

「それ、中見てみなよ 」

  杏子は風呂敷の中の小さな箱を開けた。そこに入っていたのは――


「これ…カリカリじゃん!猫のじゃん! 」

 勢いよくツッコミを入れる。

「さらに言うと、うちペットいないじゃん! 」


 俺が家を出る時、一本の連絡が入った。杏子の母親からだ。曰く

「杏子の弁当と親戚から預かる予定の猫のキャットフードの入れ物を間違えて包んで渡してしまった」と。

 朝の練習に行ってから高校に迎う杏子を待ち、弁当を渡してくれと言うことだ。あのおっちょこちょいは母親譲りなのだと幼少期から含めて70回は思っている。説明し、弁当を差し出すと


「うち猫飼うの?やったぜ」

 能天気なもんだ。こういう時は必ず他にも何かある。長年の経験ゆえの勘というやつだ。

「もう忘れ物ない?」

 俺の言葉に反応するように頭をぐるぐるとさせて顔を暗くした。

「大丈夫 …あれ、今日数学宿題あったっけ? 」

「あるよ」

 絶望の叫びが上がる。文字なんかじゃ表せない擬音の集合体だった。登校する生徒達がこちらを向き、恥ずかしそうに下を向いた。オドオドと顔をこちらに向け口を開いた。

「ミセテ、ノート。ウツサセテ…」

 杏子が人でなくなるのも無理はない。数学教師の文野はやけに厳しい。


「いいけど、ほんとやっていけるのかよそんなんで」

 

「大丈夫!美少女はミスをしても美少女なのだからな! 」

 ころっと表情を変える杏子を見て自分で言うのかよと心の中だけでつぶやく。杏子はすぐにちょっと顔が赤くなった。そんなんになるなら言うなよ。あー、もう朝会が始まってしまう。


 

 静かな教室に黒板とチョークの当たる音が響く。時計の針は9時45分を指していた。

「あー、今日はここで終わりにしとくわ。じゃ自習で、お疲れ様」

 教室を出る先生を皆、目で追い廊下を歩く音が消えるまで待った。静まり返った教室を1つの間伸びした声が通る。

「だぁーあ、終わったー。また宿題か〜、だるいねー春斗」


 パーマのかかった髪に着崩した制服の男はこちらを向き同意を求めてきた。鮎原薫、今年初めて同じクラスになり先週の席替えで前後になった。


「文野先生、授業短いけど宿題あるし、詰め込むからな」

「それよ、休み時間長くなるからいいけどさ」

 俺の机にもたれかかるように椅子を倒して乗り出してきた。

「そういえばさ、虎落さんとはどういう関係なの? 」

 興味深そうにこちらと杏子の席を交互に見ていた。

「どうって? 」

「今朝、前のとこで喋ってなかった? 付き合ってんの? 」


 ああ、これか。


「違うって、強いて言えば…補佐役? 」

 薫はキョトンとした顔を浮かべる。彼としてはそのまま恋バナにでも発展させたかったんだろう。


「あんなに仲良さそうなのにか、付き合っちゃえばいいのに 」


「ちっちゃい頃からいるだけだよ」

「幼馴染ならなおさらじゃん」


 どう説明すればいいものやら。

 

 チャイムが鳴った。早く終わった授業の恩恵もあり、ここから休み時間。前後のクラスから机の引く音があり足音が廊下に響く。


 足音を聞きながら言葉を考えているとぱたぱたと一際軽い足音がこちらに向かっているのがわかった。

「春斗ぉ…今回のブツです… 」

 芝居がかった杏子が背筋を曲げて一枚の紙を差し出した。

「春斗、お前…そんなものに手ェ出して…。変わっちまったな」

 こちらも目を大きくして驚き、静かに落胆するふりをしていた。


「勝手にヤク中にすんな、あとこれ数学の小テストだから」

 あしらいながら杏子の渡してきた紙を開く。虎落杏子と書かれた横に、48という赤文字。そのまた横にはでかでかと「可」の文字。


「点、上がってる」

「何々?お、可じゃん! やったね虎落さん 」

 数学教師の文野は赤点以上のテストに可とつけるのが癖だった。自身の苗字も相まって国語教師じゃねぇのかよと愚痴の対象となることも多い。杏子は腰に手を当て得意げにこちらを見た。


「このもんどころが目に入らぬかぁ! 」

 俺の手にしていたテスト用紙を偉そうに指さした。


 無言で自分のテストを見せる。俺は数学が得意ではない。それでもこいつよりかはできている自負はあった。

「ぐはぁ! 紋所返しとはおぬし、中々やりおる…」

 腹を抑えて苦しみだす杏子を見て薫は耳打ちをしてきた。

「やっぱ良い子じゃん虎落さん、何が不満なのさ? 」


 杏子に不満はない。というかなんで今まで仲良くやってくれているのか疑問に思うほどだ。そう目の前で笑う杏子を見て思った。


 誰にでも得意不得意はある。杏子は勉強ができないが吹奏楽部では活躍中だし、薫は…悔しいけど何でもできる。

 クラスの中にいる誰もが自分の苦手をテストの点で理解する。だけど一科目だけ、彼らは赤点をとらなかった。何気なく過ごす日常の中で勉強し理解し。俺は恋愛という科目がとても苦手だ。


 街中でのカップルの往来には人並みに興味を覚えた。自分にもと妄想したこともあったはずだ。だけど自分がそこにいることが気持ち悪くて仕方なかった。誰かの横にいることが、恋愛をしている自分が醜くて嫌だった。


 何に対してもネガティブになるわけじゃない。それなりに明るくポジティブにふるまえている自信すらあるほどだ。ただ、恋愛という科目のみ俺に不可を突き付けてくるのだ。それは誰かに理解されにくいことも理解している。


 彼らはみんな気にしてすらいない、恋の可不可に俺はずっと苦しめられる。


「どうしちゃったのさ、春斗? 浮かない顔して 」

 目の前の杏子は笑いの余韻を残したまま心配をこちらに向けていた。


 俺は恋が嫌いだ。恋という名前でも概念でもない。


 恋はいつも厄介事を引き連れてやってくる。そう、多分今年の春も。

 


 


 



 


 

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