第17節 幕間【二人の想い】
それはジーク・フリードとマリア・フリードがある少年を保護してから数日後の出来事だ。
「………」
「ん? どうしたんだ、マリア?」
風呂上りの体で部屋に戻ってきたジークが、食卓の前に立ったまま動かないマリアを見て、そんな問いかけをすると、マリアはそんなジークへと振り向いて一つ苦笑を浮かべた。
「ああ。お風呂を上がったの。あの子は?」
「おう、部屋に連れて行って寝台に押し込んどいた。もう眠ってる頃だろ」
ジークの言葉に、マリアは、そう、と短く頷いた。
あの子、とは彼らが数日前【無限迷宮】の30層で保護した少年のことだ。
まだ五歳ぐらいの見た目をした白髪赤眼の少年。
名前は知らないし、本人も名前はないと言っていた。
あの、世界でも最も危険と言われる【無限迷宮】にいるのはどう考えても適さない少年が、どうして【迷宮】の中にいたのかはわからないが、それでも二人は彼を保護し、そしてこの数日ほど一緒に過ごしてきたわけである。
そんな少年と食事を囲んでいた食卓を見やって、マリアは、ふとこんなつぶやきを漏らす。
「ねえ、ジーク」
「ん? なんだ、マリア」
首をかしげて妻を見るジークに、マリアは無言で食卓を指さし、
「こっちが、あなたが食事をした席ね」
言われてそちらをジークが見やると、そこにはやたらと食べカスがこぼれ落ちている見るも無残な机があって、思わずジークは無言になってしまう。
そんなジークがしかしなにかを言う前に、今度は別の席をマリアは指さし、
「そして、こっちがあの子が座っていた席」
マリアが指さす席は、しかしジークのそれとは打って変わって食べカス一つなく、そんなきれいに食事が行われたことがうかがわれるそこを指さしてマリアはしかし顔を曇らせる。
「見てわかるでしょう? あの子の席はこんなに綺麗なの。あの年齢の子供が、よ?」
告げるとマリアは、はあ、と嘆息を漏らしてジークへと振り返ると、このことがどれほど異常なことなのかを語りだす。
「いい、ジーク。いくら貴族の子供でも、あのぐらいの年齢だったら食べカスの一つや二つは落ちているものよ。それなのにあの子はそれが一切ない」
まさに自分自身が王侯貴族の類だからこそマリアにはわかる。
これほどまでにきれいな食べ方をあの五歳ぐらいだろう年齢の子供がする異常さを。
「それだけじゃないの。あの子が口を汚して、それを拭いてあげようとしたらね、あの子の表情が強張るのよ。それも手巾を出したときじゃなくて、あら、って私が声を出した瞬間に」
それはつまり一つ礼儀作法を間違えただけ、彼は厳しく叱られてきたことを意味する。
ほんの一言、彼女が発しただけで怯えるほどに。
その点についてはジークもなんとなく察していた。
あの少年は常に大人に対して怯えている。
ふとした時に、こちらを見る伺うような目や、行動の一つ一つに走る緊張。
そう言ったものを見ていれば、彼がどういう環境で育ったのかはジークにもなんとなく察せられて、だからこそ彼は無言で自身の妻を見やった。
「きっと、あの子の親か、あるいは教育係とでもいうべき人は、あの子にすごく厳しかったのね。それこそあの子の表情にも気づいてあげられないくらいに」
だからこそ、怒りを感じる、というようにマリアは呟き、そんなマリアにしかしジークはこう問いかける。
「……マリアは、あいつが貴族か何かの子供だと思っているのか?」
「その可能性が高いと踏んでいるわ。だって、明らかに高度な教育を受けた形跡があるのだもの。でも、その境遇が良かったわけじゃないみたいだけど」
憤りもあらわにそう告げるマリアに、だろうな、とジークも同意して、
「あの髪色と目の色だ。きっと元の場所ではそうとう迫害されていたに違いない。そうじゃなくともあいつすっごく軽かったんだよ。抱き上げた時に、思わず落としそうになるぐらい」
見た目に反して体重があまりにも軽い。
それだけじゃなくて、あの少年はここに来てから、食も細かった。
いくら幼児でももう少しは食べてもおかしくないのに、彼は少しの食事で満足する。
「……そういう意味では、この【迷宮】に流れたのはよかったことなのかしらね?」
呟きつつも、しかし微妙な表情を浮かべるマリア。
「そうかもな。きっと、あいつは〝精霊の悪戯〟にでもあったんだろう。それで意図せずして【無限迷宮】に流れ着いたに違いない」
時折この世界で起こる現象の一つだ。
それまでいた場所とは遠く離れた場所に突然転移ししまう現象。
それを人界では〝精霊の悪戯〟と呼んでいた。
きっとあの少年も、それにあって、もともとの家から引き離されたのだろう。
あるいはあの少年に同情した精霊が、彼を逃がすためにそうしたのかもしれない。
その上で連れてこれたのが【無限迷宮】のそれも深層と呼ばれる領域だったのには、いろいろと思うところはあるが。
「本当によく生き残っていたなあ、あいつ」
「魔法が使えるって言ってたわ。実際に私達も治療して見せたことだし、それでなんとかしたんじゃないかしら? それこそ【冥府龍】も含めて」
ジークもマリアも、あの少年が言っていたように通りすがりの人間が【冥府龍】を倒した、なんてことはもう信じていない。
おそらくあの少年がなにかしらの魔法を使って倒したのだろう、と二人は察していて、その上でしかし彼の嘘を信じているのだ。
そうすることが、あの少年の信頼を勝ち取ることにつながるから。
「五歳で魔法、か……普通は魔法って10歳ぐらいから学ぶものだよな?」
「そうね……それなのに魔法が使えるってことは、あの子は何かの実験台だったんじゃ──」
顔をしかめてそう告げるマリアに、思わずジークは、おい、と声をかけてしまう。
「眠ったからと言って、俺達の話を聞いてるかもしれないんだぞ。滅多なことは言うな」
ジークの注意に、マリアも自分が言いすぎたことを察したのだろう。
申し訳なさそうな表情を浮かべながら彼女は少年が眠っているだろう部屋の方へと振り向きながら、ポツリ、とこう呟いた。
「ねえ、ジーク。私、あの子を親元に返したくないな」
二人があの少年を保護して、しかし孤児院に預けないのは、あの少年が明らかにどこかの王侯貴族とも思われる形跡があったからだ。
きっといるだろう親元に連絡すれば、彼を迎えにに来ることだろう、と思っていたからこそ保護していたのだが、しかし彼の様子を見るにそれが彼の幸せにつながるとは思えない。
「……だけどな、マリア。あいつがもし貴族の子供だったら、それはできない」
そう道理を語るジークにマリアは、そうよね、顔を俯かせるが、しかし彼は続けてこう言う。
「でも、俺達が保護した子供は、自分の名前を知らないそうだ。じゃあ貴族の子供だっていう保証もないわけだしな。別に俺達の子供にしてしまってもいいんじゃねえか?」
そんなジークの言葉にマリアはキョトンとした表情を浮かべたが、すぐに笑みをこぼし、
「ジーク。それ最高よ!」
そうして二人して笑いあった後、ポツリ、とマリアはこう告げた。
「そうね。だとすると、いつまでもあの子って呼ぶのはあれだし──ユリウスはどうかしら?」
「それって、お腹の中の子が男の子だったらつける予定の名前じゃなかったか?」
怪訝にそう告げるジークに、マリアはしかし彼と似たようなにやっとした笑みを浮かべ、
「大丈夫よ、お腹の子は女の子のような気がするから。私の勘がそう告げてる」
マリアの勘はよく当たる。
夫としてそれを知っているジークも笑い、彼もまたあの少年が眠る部屋の方へ向き。
「明日、あいつに──ユリウスに、その名前を教えてやらないとな」
そうして少年──ユリウスが彼らの子供となることが決まった。
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これにて1章完結です!
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