第16節 〝父として、子として〟

 ──頭上に夜空が広がる。


 きらびやかな、星々の輝きにも似たそれは、しかし実際には本物の星々ではない、とこの街で十一か月間も過ごした僕は知っていた。


 迷宮都市、と呼ばれるそこは、しかしWEB小説でよくみられるような【迷宮】の上に広がる都市を指すのではない。


 むしろその対極。


【迷宮】の〝中に〟広がるのが、この迷宮都市と呼ばれる都市の特徴である。


 そのため頭上の星々に似た輝きも、実際には天蓋に広がっている水晶がそういう光を反射させて見せているものだとか。


 ツラツラ、とそんな風なことを考えていながら僕は迷宮都市の一角に広がる建物──ジークさんとマリアさんの自宅の屋上で、膝を抱えて座り込んでいた。


「……はあ、これからどうしようかなあ」


《疑問:普通に、あのジーク・フリードとマリア・フリードの二人の元にいればよいのでは?》


「そんなわけにもいかねえんだよ、


 かつてはカンコンと呼んでいた、管理人工魂魄へと新たに付けたソフィアと言う名前を呼びながら、僕はそう返す。


 カンコン呼びは断固として拒否する、なんて言っていたから紆余曲折を経て現在の呼び名で呼ぶこととなったわけである。


 ちなみに僕が提案した最有力候補はポチやタマ、あるいは少し変化球でファイドあたりなんてどうだ、と言ってみたのだが《指摘:全部犬猫の名前じゃねえか⁉》という言葉で却下されたてしまったので、最終的に本人が納得した叡智を意味するソフィアの名と相成った。


 まったく我儘な奴だ、と僕がその時のことを思い出しながら苦笑していると、


《指摘:それほど悩むほどのことでしょうか? あの二人が、というのならば、それに頷いても問題はないのでは?》


「……うん。まあ、そうなんだけど……」


 そう、僕が悩んでいるのは、ジークさんとマリアさんの二人が僕を自分達の子供として迎えたい、と言ってきたことにある。


 それ自体は僕にユリウスと言う名前をくれた時からの話だったのだが、僕は曖昧な態度を取り続けてなんだかんだと先延ばしにし続けてきた。


 理由は、まあいろいろある。


 まず僕自身が人間ではなく【魔導書】である、ということ。


 僕の自覚としては、自分自身は人間である、と思っているが自覚と実体は違う。


 もし彼らに僕が本当の意味で人間ではない、とバレた時、彼ら自身の態度がどうなるか、そうじゃなくても周囲がどう思うかは僕にもわからない。


 少なくとも彼らの迷惑になることだけはしたくない以上、彼らには僕が【魔導書】である、という事実は隠さなければならなかった。


 だが、そうすると今度は彼らに嘘をつくことなる。


 いや、僕が【魔導書】である、と言う事実だけでなく、実は別の世界で生まれ育った転生者だ、という事実も隠しているのだから、彼らにはいくつも嘘をついているわけだ。


 そんな僕が何食わぬ顔で、彼らの愛情を貰っていいのか、とそう思ってしまった。


 ましてや、彼らには実子となる新たな子供が生まれたのだから。


 あのユリアという小さな命が受け取るべき愛情を奪ってまで彼らの元にいることは、僕自身が嘘をついていることもあって、罪悪感からどうしてもできない。


 だから、そろそろ潮時だな、とは思っている。


 折を見て彼らの前から辞さねばならないが、ではその折とはいつか。


 そう考えて動き出せない自分に、僕は嘆息を漏らした。


「はあ。んなのいますぐ動けばどうにでもなるだろうに」


 じゃあ、動けよと思うのだが、それができないのだから自分は本当甘ったれている。


 そんな風に僕が思っていると、


「ユリウス」


 ふと、そんな声が響いた。


 驚いて振り向くと、そこにはジークさんの姿が。


 なぜいきなり、と僕が驚いているとジークさんはその手に毛布を掲げ持って、


「迷宮都市の内部は温かいとは言っても夜は冷える。あまり長居するもんじゃないぜ」


 どうやら屋上でずっと夜空を見ていた僕を心配して毛布を持ってきてくれたらしい。


 こういう優しさに胸を突く痛みを感じるが、僕はそれを無視して無理やりに笑みを浮かべ、


「ありがとうございます、ジークさん」


「おう。そうやって感謝できるなんて、お前はいい子だな、ほんと」


 そうして笑ってジークさんは僕へと毛布を掛けると、なにを思ったのかそのまま僕の隣へと座るではないか。


 ドカリッと音を立てて、腰を下ろしたジークさんは僕と同じく迷宮内に広がる偽物の夜空を見上げながら、ポツリと一言。


「ジーク。お前、俺達の前からいなくなろうとしているだろ」


「───」


 まさかの図星を突かれて僕が言葉を失っていると、ジークさんは困ったような、しかし僕の考えも理解できると言うような、そんな表情を浮かべて、


「わかるよ。、血の繋がらない他人からいきなり好意を向けられるのは」


「え──」


 いきなりのジークさんの言葉に僕が驚いた表情を向けるとジークさんもこちらを振りむき、


「俺な、実を言うと孤児だったんだ」


 そう自分の身の上を語りだすジークさん。


「お前ぐらいの歳だったかな? 生まれた村は魔物の大群に襲われて壊滅した。俺はそこの数少ない生き残りで、親とか兄妹とか、まあその他家族って言えるものを全部失ったんだよ」


 そんでまあ、とジークさんは言って、


「いろいろとあって、剣術の道場に拾われてな。んで、俺には剣の才能があったらしくて、まあ頑張っていたらあれよあれよと強くなって、それで国の騎士にまで上り詰めたんだ」


「……そう、だったんですか」


「ああ。んで出会ったのがマリアな? やんごとなき身分のお嬢様だったマリアとまあ恋に落ちちまって、でも孤児である俺と本物の令嬢であるあいつとじゃあ身分差があるから、周囲も納得しないだろ? だからさ、二人で駆け落ちした」


 な、なかなかに波乱万丈な人生である。


 え? っていうか、マジでそう言うのあるの⁉


 身分差がある男女の駆け落ちって普通成功しないものじゃないの⁉


 という僕の驚きもジークさんは感じ取ったのだろう、苦笑しながら彼はこう言う。


「まあ、いろいろと運が良くてな。俺自身がまあ、それなりにやれる剣士だったし、マリアも魔術師としてはかなりの腕前だ。あとは多くの人に助けられたりして、そうしてやってきたのがここ迷宮都市ってわけだ」


 そこで一度言葉を切ると、ただな、と呟くジークさん。


「それでもやっぱりマリアにはきつかったんだろうなあ。あいつ日に日に笑顔が消えていってさ、正直に言うと何度かこいつを元の場所に戻した方がいいんじゃないかって思ったよ」


 苦笑してそう告げるジークさんだが、しかし彼はその後にこう告げる。


「でも、それもユリウス。お前が現れたことで変わった」


「僕が……?」


 どういう意味だろうか? と首をかしげる僕に、ジークさんは笑って、


「目に見えてマリアが笑顔になる日が増えたんだよ。もともとアイツは実家で幼い弟の世話とかをしていたしな、子供好きだったんだろう。お前の世話をしながら自分の子供が胎の中で大きくなっていくのを見るあいつは、本当に幸せそうでなあ」


 そんなマリアさんを見るのがまた幸せである、というように相好を崩すジークさん。


【あら、のろけね】


《肯定:のろけですね》


 こら、だまらっしゃい。


 脳内で余計な茶々が入ったが、僕はそれをしかし表情に出さず、ジークさんを見やって。


 それに答えるようにジークさんも頷きながら言った。


「だから、ユリウス。お前には俺も感謝しているし、マリアもそうだ。お前がいてくれたことで俺達は今日まで生き残れた──本当にありがとうな」


 言って深々と頭を下げるジークさん。


 その姿に僕はつい慌ててしまう。


「ちょっ、ジークさん。なにを頭下げて……⁉」


「それぐらい感謝しているんだよ」


 そう言いながら顔を上げたジークさんは、またニカッと笑って、


「お前がなにかいろいろと隠し事をしているのは知っている」


「───」


 まさに隠し事をしている僕がそう言葉を失う中、しかしジークさんはそれについて聞かず、代わりに僕の頭へとその手を乗せてきた。


 わしゃわしゃと撫でる手は乱暴で、僕の体まで振り回されてしまうほどだ。


 でもその手つきは優しくて、そういえばこうやって頭を撫でれるのはいつ以来だろうか、と僕はふと思った。


 前世の、元の世界においてはたぶんなかった。


 一度だけ父が周囲の目を気にして僕の頭を撫でてくれたことがあったけど、それは手で頭を押さえつけてくるような仕草で、ここまで優しくなかったように思う。


 そういう意味ではこういう風に優しく撫でられるのは僕にとって初めてかもしれない。


 そう思うと、言葉が出なくなって目じりになにかが詰まるような感覚がしてくるものだから、僕は顔を上げられずに俯いてしまって。


 たいしてジークさんは一度僕から手を放すと体ごと僕へと振り返って、


「でも、お前は俺達の息子だ。たとえお前がどんな奴でも、俺達はそういう風に受け入れるつもりだからさ」


 だから、


「ユリウス。俺達の息子になってくれ」


 そうしてもう一度深々と頭を下げるジークさんに、僕は奥歯を噛みしめながら顔を上げた。


「いいん、ですか?」


 僕の問いかけに、はたしてジークさんは頷きを返す。


「ああ、いいんだよ。ユリウス」


 暖かなその頷きに、僕は心が満たされる想いを抱いて。


 そうして僕は彼らの子供となった。

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