第15節 〝人にはそれぞれ触れられたくない過去があるものです〟
──僕は人から愛されたことがない。
政治家の父と某有名企業の社長令嬢であった母の元で生まれたのが僕と言う存在だった。
純然たる政略結婚。
父は政治家として大成するために、母は実家の命令で半ば無理やりに。
その結果として二人の関係が冷え切ってしまうのはある種の必然であった。
それでも最初は二人も世間体を気にして、仲のいい夫婦のふりをしようとしたのだ。
僕を儲けたのも、そんな夫婦ゴッコの一環だ。
子供がいて、その子供を愛する仲睦まじい夫婦を演じていれば、世間の目も二人は本当に仲のいい夫婦だと思うことだろう。
世間体を気にする二人らしく、最初こそそう振舞っていたが、しかしそれも長年続ければ無理も出てくる。
二人がかぶっていた仮面にひびが入り、それが大きな亀裂となったとき、気づけば実母は家に帰ってくることはなくなっていた。
もともと女がてら実業家として世界を飛び回っていたような人だ。
仕事に注力する、という言い訳をすれば簡単に家へと寄り付かなくなる。
父も父で、そんな母を「今の時代にふさわしい立派な女性だ」と口では褒め称えてながら、その実一欠けらも愛していないのは、母と疎遠になって半ば別居状態になった後、養子として『
表向き血の繋がらない遠縁の子供、という扱いの、しかし父とよく目元が似た義兄。
そんな義兄について、住み込みで雇われたという名目で連れてこれた『お手伝いさん』も、どことなく義兄と容姿が似ていたが、僕はそれに気づかないふりをした。
別に虐待とか育児放棄をされたりとかしたわけではない。
むしろ『お手伝いさん』は義兄と共々愛してくれようとしたようだが、しかし僕は、そんな彼女が僕へと向ける優しさが義兄のそれとは違うと気づいていた。
不思議なもので、僕には教えられずとも物事を理解するという不思議な能力があった。
言葉として理解するというよりは直感的なものではあるが、目で見ただけで、おおよその物事を見て取る能力、とでもお言うか。
それによって見た『お手伝いさん』の感情は常に父と義兄に向いていた。
僕へと向ける愛情も、すべては父へと媚びを売るための所作、義兄に向ける〝本物の〟の愛情とは似ても似つかないものだ。
それをひしひしと感じていながらも、しかし僕は見ないふりをして。
毎日、父と僕、義兄とそしてお手伝いさんの全員で食卓を囲み、食事をするのになぜかいつも僕だけが他人の家にいるような、そんな疎外感を覚えたが僕は笑顔の中にそれを押し込む。
そうしておけば、とりあえず〝家族〟の間に不和は起こらないから。
でも、それでもいたたまれないから僕は三人の中によりつかなくなった。
部屋にこもり、そうして暇を持て余した僕は漫画やラノベというものにのめり込む。
父は、そういった漫画やラノベを低俗なものとして嫌っていたが、元から僕への感心がなかったからか、僕がそれにのめり込もうと何も言うことはなく。
お小遣いだけは普通よりも多くもらっていたから、毎月何十冊と買って、物語の世界に没頭し続けるのが、いつしか僕の日常になっていた。
もちろん、それはある程度勉学に励んでいたからこそのお目こぼしだ。
幸いにして、僕は頭もいいらしく、教科書を少し読んだだけで、だいたいの内容は教えられずとも理解できたから毎回テストは満点だったし、運動神経もいいからなにかのスポーツをすれば常に活躍できた。
だからと言って父がその満点のテストを褒めてくれたこともないし、スポーツで活躍して見せても、父はおろか『お手伝いさん』も『義兄』も見に来てはくれなかったが。
ただ、勘違いしないでほしいんだけど、僕はそれを恨んだことはない。
先にも言ったように僕には誰に教えられずとも物事の本質を見る、と言う能力があったから、彼らの感情がどういうものか、誰に教えられずとも理解したし、だからこそ僕は彼らになにも期待することはなかった。
もちろんだからと言って羨ましくないわけではない。
入学式に、始業式、終業式や体育祭、学園祭、そして授業参観。
いつもそこで親達がきっちり我が子を見に現れる中、僕だけがそんな人がいない、という事実に胸がチクリとする想いを抱いたことは何度もある。
でも、我が家でそういうのは望めない、と知っているからこそ、僕はそれを心の奥にしまって見なかったふりをし、代わりにますます物語の世界へ没入していった。
ああ、そういう意味ではマリアさんのお腹に新たな生命がいる、と気づいて助けてしまったのも、そこらへんが影響しているのか。
親から愛されなかった僕が、愛されて生まれてくるかもしれない子供を見捨てるのは、どこか冒涜的な感じがしたから。
僕は一度死んでいる。
そんな僕が愛されて生まれてくる子供を見捨ててしまえば、それこそ一度死んで生きかえった身である僕は落ちるところまで落ちてしまうのでは、という恐れを内心に抱いたのだ。
たとえ【魔導書】となったとはいえ、僕は人間だ。
人間でありたいと願うからこそ僕は彼らを見捨ててはならない。
だから、僕は彼らを助けたのだと、いまならわかる。
◇◇◇
「ほらぁ~、生まれましたよ~。元気な女の子の赤ちゃんです」
迷宮都市の助産所で大きな産声を上げて、その子は生まれてきた。
「う、うわぁ~」
命がある! 目の前に生まれたばかりの命が!
それを見て、僕が感動のままに震えていると、その赤ん坊を抱くマリアさんが僕へとその子を差し出してきて。
「ほら、ユリウス。挨拶してあげて」
ユリウス、とは二人が僕に与えてくれた名前だ。
いつまでも名前がないのは不便だから、という理由でユリウスと言う名前をくれた二人とはあの【無限迷宮】31層で出会ってから11か月間、ずっと一緒にいた。
てっきり、そのまま孤児院的な場所に預けられると思っていたのに、なんだかんだとそうはならず、そのままこの赤ん坊──ユリアが生まれるまで一緒の家で暮らしてきた。
正直に言って、楽しかった。
前世の僕が家族から愛されないからこそ、その家族ゴッコはたとえ仮初のこととはいえ、僕の心を満たしてくれるに十分だった。
そうして11か月間続けた家族ゴッコの果てに彼女は生まれたのである。
「わ、わっ」
手を差し伸ばすと、そんな僕の指を生まれたばかりの赤ん坊であるユリアはその小さな手で、しかし力強く握ってくれる。
これがある種の生理的な反射であるとは知識として知っているが、それでも僕は感動して、そして言葉にならない声を吐いていると、
「~~~ッ! よ~くやってくれた、マリア‼ ありがとうっ!」
そう叫んで僕ごと巻き込むような形でジークさんが僕とユリアとマリさんを抱きしめる。
いきなりのことに僕が目を白黒させていると、ぎゅぅ~と抱きしめてきたジークさんは、そうして感動のままに叫び声をあげた。
「本当に、本当にありがとう……! マリア。ああ、可愛いなあ、俺達の子供なんだぜ、この子は! お前が生んでくれた、俺達の……!」
「ふふ。もう、大袈裟よ、ジーク。赤ちゃんがつぶれたらどうするの」
そう言われてジークさんも離れざるを得ないのか、素早い動作で彼は僕達から離れ、そして苦笑いで頭を掻く。
「あ、ああ。すまない」
そんなジークさんの態度に、ユリアさんはクスクスと笑って、
「ほら、あなたもこの子のお父さんなんだから、抱いてあげて」
言ってジークさんにユリアを渡すマリアさん。
ジークさんは、しかし慣れない動作でユリアを抱きしめ、慌てた表情をする。
「お、おおっ⁉ こ、これでいいのか、マリア⁉」
「ええ、それでいいわよ。そうやって首のところを支えてあげて、そう、そんな感じ」
苦笑しながら、そう赤ん坊の抱き方を指導するマリアさんは、ふと僕の方を見やってこう告げてくる。
「ユリウスも、今後はお兄ちゃんとして、よろしくね?」
その言葉に、しかし僕は思わず言葉に詰まるような思いを抱いた。
そんな僕に気づかず、ユリアを抱いたままジークさんも僕を見て、
「おう! そうだぞ、ユリウス。お前も今日からユリアのお兄ちゃんになるんだからな!」
ニカッと笑ってそう告げる彼らに、僕はしかし何と言ったらいいかわからない表情をして。
その上で顔を俯かせながら、かろうじてこういう言葉だけを告げた。
「……はい、そうですね……」
そろそろ、潮時かもしれないな、と僕はそう思った。
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