第16話 大東亜共栄圏②

そしてアジアで展開されたもう1つの戦線は、日本が英米蘭の植民地攻略を目指した東南アジア戦線だ。


日本海軍南方部隊は真珠湾攻撃と同時にマレー半島コタバルやバンドンなど5方面に別れて上陸。

各上陸地点でイギリス軍を破り、英領シンガポールへの大規模空襲が成果を上げるなどマレー方面の航空作戦も円滑に進行していた。

また、ヴィシー政府副相フランソワ・ダルランからの許可を取り付け、コーチシナへの進駐も行った。


そんな中、大きな動きがあったのは12月10日の事である。

シンガポールのセレター軍港から出撃したイギリス東洋艦隊を日本海軍の潜水艦伊65が捉えたのだ。


蘭印攻略の為現れた日本の大船団を狙ってコタバル・シンゴラ方面へ進出して来た同艦隊に対して、松永貞市少将が指揮を執る日本海軍航空部隊が攻撃を開始。


欧米機と同等の性能を誇る九十六式陸攻隊はまず巡洋戦艦レパルスを沈めると、当時世界最強と目されていた新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズをも撃沈した。


これは作戦行動中の戦艦を航空機の攻撃のみで撃沈した世界初の事例であり、英米は日本側の航空戦力の評価見直しを余儀無くされる事となったのだ。


その後も銀輪部隊に代表される日本軍は迅速にマレー半島を北上。翌41年2月15日にはシンガポールのイギリス軍が降伏し、マレー作戦は完遂された。


一方1月から始まっていた蘭印作戦も順調に進行し、2月3日にはジャワ島に対して日本の航空部隊が攻撃を開始。14日に空挺部隊がスマトラ島パレンバンの製油工場を占領する。


連合国はシンガポール、及びオランダ領東インド防衛の為にアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリアによる連合艦隊、通称ABDA艦隊を設置していたが、ジャワ沖海戦、バリ島沖海戦と相次いで敗北。


2月27日には日本のジャワ島攻略輸送船団護衛艦隊とスラバヤ沖で激突するも、巡洋艦2隻と駆逐艦5隻を失い完敗。総司令官カレル・ドールマン少将も戦死し同艦隊は壊滅した。


そして3月8日にバンドン要塞の守備隊及びバンドン東方の英豪軍が降伏し、戦死者850人と僅かな損害で蘭印作戦を完遂した。


また、12月8日から始まっていたフィリピン作戦も終始日本優勢のまま戦況が進み、4月11日にバターン半島の米比軍が降伏。日本軍は想定の倍に上る7万もの捕虜を得た。

5月10日にはミンダナオ島攻略作戦も完遂し、6月9日までにほぼ全ての米軍部隊が降伏した。


連合国にとっての誤算は日本側の航空機の性能やパイロットの質が想定を大きく上回っていた事であり、アジア人を格下と舐めていた楽観姿勢は航空支援を行わずに敗れたマレー沖海戦で顕著に現れている。


対して南方作戦を成功させた日本は、死活問題と言える石油や天然ゴムと言った豊富な資源問題の解決へ向け大きく前進する事となった。

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