第15話 大東亜共栄圏①

ドイツ・イタリアがギリシャへの侵攻を開始した頃、アジアに目を向けると主に2つの戦線が開かれていた。


1つは日ソと中国が大規模な地上戦を展開した中国戦線である。


一時は日本の傀儡国・満州国とソ連の衛星国・モンゴルとの間に国境紛争が頻発する等日ソ間の緊張は高まっていたが、四国同盟の成立以降は雪解けに転じていた。ノモンハン事件において赤軍の圧倒的な砲火力を見せつけられた陸軍内部では南進論が主流となっていたのも大きいと言える。


1937年7月の盧溝橋事件を契機として始まった北支事変は、8月に発生した第二次上海事変により支那事変へと拡大した。当時のドイツは中国へアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン中将を軍事顧問として派遣しており、積極的な対日攻勢を主張するファルケンハウゼンの下訓練された中国軍が上海の日本軍へ攻撃を開始したのだ。


早々に上海から中国軍を撤退させた日本軍は首都南京や徐州、武漢、広東を相次いで攻略。しかし兵力や物資の不足もあって都市と鉄道以外の大部分を抑えられず、対支一撃論の思惑に反して戦争は長期化の兆候を見せた。


上海の陥落を見たドイツ本国は権益の保護を目的として在華ドイツ大使オスカー・トラウトマンを介し、日中の講和斡旋へ動いていたが、対日強硬派の蒋介石はこれを強く拒絶した。


それでも1940年7月には北方のソ連からの圧を受けたイギリスがビルマからの援蒋ルートを放棄。対ソ国境に張り付けていた戦力も日中戦争に投入出来るようになり、戦局はソ連の増援が無くともより日本優位に傾いていく…筈だった。

8月20日、第二次国共合作により蒋介石と結んだ中国共産党の八路軍が山西から河北にかけての鉄道・通信網や日本軍の拠点を攻撃(百団大戦)。

これ以降日本軍は一般民衆も含んだ共産党ゲリラの本格的な掃討に追われる事となってしまった。


より一層泥沼の消耗戦としての様相が色濃くなる中、11月24日、日本第11軍は臨時首都重慶の東に位置する湖北省の中部・漢水の中国軍へ攻撃を開始。

そして遂に、"漢水作戦"に呼応する形でソ連が動き始めたのだ。


スターリンは本格参戦の前に毛沢東へ中華統一戦線からの離脱を促していたが、南方を捨てた中華ソビエトの樹立ではなく統一国家中国に固執していた毛はこれを拒否。

漢水作戦発動よりも一足先にハバロフスクを発った極東戦線のソ連軍は兵86万、戦車1700輌、航空機2800機の戦力をもって進撃を開始した。

黒竜江、内蒙古を経由して甘粛省へ侵入したソ連軍は重慶へ向けて南下。

対日戦で手一杯の中国軍には機械化された赤軍に対抗する力は無く、四川における絶対防衛線を巡る戦いでも惨敗を喫してしまった。


日本軍も山西や河南の各地で中国軍を各個撃破しつつ、陸路での進出は困難としていた重慶へ向けて西進を開始。


1938年12月に始まり、40年9月まで続いた日本陸軍飛行隊による爆撃で大打撃を受けていた重慶は脆かった。


日本軍は大陸の奥地まで伸び切った兵站の維持に苦慮しながらも1月末には重慶に到達。

蒋介石は雲南から英領ビルマへと逃れ、国民政府の組織的な抵抗は終わりを迎えた。


その後青海やチベットの中国軍残党も主にソ連軍により一掃されたものの、ソ連が占領下に置いた黒龍江、吉林、内蒙古、甘粛と言った北部、日本が占領下に置いた中央部共に共産党によるゲリラ的な抵抗が続き、ソ連軍や主力を撤兵させた関東軍の悩みの種となってゆく。

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