第3話 国道
ヒトラーは1939年11月のフランス侵攻開始を主張していたが、悪天候が重なり電撃戦に必須となる空軍を動かす事が出来ず。
結局開戦後8ヶ月の間陸戦が皆無な状態が続いていた西部戦線だったが、1940年5月10日、遂に国防軍はベネルクス三国への進撃を開始した。オランダでは落下傘部隊による要塞占領や首都ロッテルダムへの戦略爆撃が行われ、14日には早々に降伏。
一足早く"ヴェーザー演習作戦"が発動されていた北欧ではデンマーク、及び英仏軍の救援を受けたノルウェーでも連合国の劣勢が続く。
ドイツ軍が4月9日にコペンハーゲンに上陸したデンマークではまともに組織的な抵抗が出来ず、同日中に国王クリスチャン10世と政府が降伏。
ノルウェーでもフィヨルド沿岸部での攻防戦を経てドイツ軍の上陸を許すと、イギリス、フランス、カナダ、ポーランドの連合国派遣軍はデンマークから兵を引いた。
これにより大勢が決し、6月9日に国王ホーコン7世は全軍の降伏を宣言した。
戦略的要衝と見做されるベルギーにはドイツB軍集団が襲来。陽動の為発動された"黄色作戦"に引っかかった英仏連合軍の精鋭がベルギーへ救援に向かったが、これがマンシュタインの仕掛けた罠だった。
ドイツA軍集団は黄色作戦に次ぐ作戦第二段階として密かにアルデンヌの森を走破。2500輌の戦車軍団が突如としてフランス国内に出現した形となった。
軍内で誤報が相次いで流れる等大混乱に陥ったフランス軍は各地で敗北を重ね、ベルギー国境沿いを流れるマース川の戦線が崩壊。加えてフランス側の航空戦力も機能しておらず、防弾性能が低いドイツ軍の急降下爆撃機、Ju 87シュトゥーカが自由にフランス上空を飛び回る有様であった。20日にA軍集団が英仏海峡に達し、英仏軍左翼の包囲に成功する。28日にはベルギーが降伏する中、フランス北端に位置するダンケルクでは英軍決死の撤退作戦が行われようとしていた。
イギリス海軍中将バートラム・ラムゼーにより計画された"ダイナモ作戦"である。同作戦にはロイヤルネイビーのみならず様々な貨物船や漁船、遊覧船が投入され、英軍の本国撤退を図っていた。
当初、ドイツ側では空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングが航空機のみで英仏軍を撃破出来ると主張し、ヒトラーも装甲師団の消耗を嫌った事もあり、英仏海峡に達したA軍集団は進撃を停止させていた。しかし、前線で装甲軍団を率いていたグデーリアンやエルヴィン・ロンメルはダイナモ作戦の動きを察知するとダンケルク追討を強く主張。特に大将階級にあるグデーリアンがロンメルの追討案に賛成した事が大きく、ヒトラーもこれを承認。
結果的にこの決断は、イギリスに破滅的な打撃を与えてしまう事となる。
エルヴィン・ロンメル。天才的な戦術眼を有するこの男は、ウィンストン・チャーチルをして「ナポレオン以来の戦術家」とまで評せしめ、後に"砂漠の狐"の異名を世界に轟かせる事となる。
ロンメル率いる第七装甲師団、それを護衛する第五装甲師団を中心としたドイツ軍は24日にダンケルクを強襲。脱出を試みていた英仏軍合わせて50万もの将兵が捕虜となり、英軍はフランスに持ち込んでいた大半の銃火器や車両を失った。加えてドイツ空軍による激しい爆撃によりイギリス海軍の駆逐艦12隻、フランス海軍の駆逐艦3隻を始めとした連合国側の船舶300隻以上が海の藻屑と化した。ドイツ空軍との航空戦を繰り広げたイギリス空軍は132機を撃墜したが、474機の損失を受ける完敗であった。
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ダンケルクのグダっぷりは流石になんとかしたかった…笑。
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