第4話 コンピエーニュの雪辱

ダンケルク包囲戦でイギリス軍を殲滅したドイツ軍の次なる矛先。それは当然フランスの首都、パリである。


一連のダンケルク追討戦までを第一フェーズ、"黄色作戦"とし、パリを狙いソンム川以南へと攻め下る第二フェーズ、"赤色作戦"が発動されたのだ。


フランス北部ピカルディに位置するソンムでは、かつて一次大戦中最大の激戦、ソンム会戦が行われた事は有名だろう。しかし今回は少し、いやかなり独仏の激闘が繰り広げられた13年前とは勝手が違っていた。


6月5日から始まった赤色作戦でもドイツ装甲師団が猛威を振るった。当時陣地突破用重戦車はまだヘンシェル社やポルシェ等による試作段階にあったが、主力を担うI号戦車、II号戦車は縦横無尽にフランスの大地を進撃。当時フランスはドイツ軍の主力対戦車砲でも撃ち抜けない程の装甲を誇るルノーB1重戦車を開発していたが、いかんせん配備数が少なすぎたのだ。加えて指揮系統の混乱により、まともな補給を受けられないまま出撃したフランス機甲師団の戦車が各個撃破されるケースも目立った。


結果として最速40km/hでの走行を可能とするドイツ戦車は電撃戦において効力を発揮。更に英仏にとっての不幸は続く。フランスの圧倒的劣勢を見たファシスト党のベニート・ムッソリーニ率いるイタリア王国が、6月10日に英仏に宣戦を布告したのだ。


ドイツ軍の快進撃を前にパリでは無防備都市宣言が出され、6月14日にはドイツ軍がパリに無血入城。6月16日にポール・レノー内閣は総辞職し、後継のフィリップ・ペタン元帥はドイツへ休戦を申し入れた。


そしてドイツが指定した両代表による条約調印の場は、あの忌々しき一次大戦の休戦条約が結ばれたピカルディ地域圏に属する森、コンピエーニュの森であった。

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