第25話「深海の死闘」

 ウモンは息を飲んだ。

 そして、呼吸を忘れた。

 目の前に今、ゆらゆらと見慣れた少女が漂っている。

 ナユタがズームしてくれたそれは、マオだった。


「あんのバカ! くそっ、ちょっと行ってくる!」

「いけません、ウモン! 今ハッチを開けば、コクピットも浸水してしまいます!」

「……打つ手なし、かよ……ん?」


 マオは泳げない。

 マオには、できないことの方が多いのだ。生来持って生まれた膨大な魔力と、天才的な召喚術のセンス。それ以外はなにも持っていない少女なのだ。

 そのマオが、突如として輝き出した。

 そして、薄い被膜のようなものが膨らみ、彼女をすっぽり覆ってしまう。

 ゆらゆらとゆらめく羽衣はごろものようなそれは、よく見ればゼロロだった。


「ゼロロッ! でかした!」

「マスターの生命反応、健在です。よかった……しかし、ウモン」

「ん? なんだ?」

「あのスライムはいったい……少しこの時代のことを勉強しましたが、本来スライムは最低ランクのモンスターだと」

「そ、そうだぜ? ゼロロだってEランクだし。それより、敵が来るっ!」


 影の女王、スカサハ。

 その巨大な鎧を纏った謎のモンスターが、機敏な動きで急旋回する。

 そして、不意に首無しの人型から異形が浮かび上がった。


「あ、あれは……ハサミ? かにかよっ!」

「ウモン、あれはなんという生物ですか? 蟹とは」

「ヤドカリだ! くそっ、よりにもよってあんなものをマイホームにしやがって!」


 そう、巨大なハサミを持つ甲殻類こうかくるいだった。

 その目が今、爛々らんらんと輝いている。

 口元に泡を連ねつつ、スカサハヤドカリは水圧攻撃を繰り出してくる。咄嗟とっさにウモンは、ゼルガードの手を伸ばした。マオごとゼロロを回収して、攻撃を回避する。

 ギリギリで避けたが、肩口を僅かに水のブレスが擦過さっかした。


「げっ、ゼルガードの装甲が削られたぞ! オリハルコンなんだよな、これ!」

「そうです! 量産型とはいえ、耐圧耐衝撃構造なんですけど……凄い、これが大自然の力」

「感心してる場合か! 銃を使う!」

「了解、粒圧りゅうあつチェック……いけます!」


 ウモンはオートでゼルガードにライフルを装備させる。銃身は短くてコンパクトだが、光の弾丸を高速で連射する強力な武器だ。

 だが、一斉射を浴びせて……やはりかとくちびるを噛む羽目になる。

 水中ではフォトンが拡散してしまって、スカサハヤドカリにダメージが通らない。その上、弱体化した弾丸を無敵の装甲は難なく弾いた。あちらもまた、旧世紀の文明が未知の敵と戦うため、惑星規模の星槍せいそうを放つために建造された兵器なのだから。


「やはりスカサハ……ウモン、光学兵装では無理です。実弾兵装を選んでください」

「なにかあるのか!」

「両腰にハンドグレネードが三つずつ、左右で六つあります。あと、頭部にバルカンが」

「よくわからん!」

「手投げ弾と機関砲、ようするに滅茶苦茶連射できる鉄砲です! 質量弾の!」


 周囲の景色の中に、突然四角い窓のよなものが浮かぶ。そこに武器の解説が高速で流れていた。以前にゼロロが忍び込んだからか、ウモンにも読める文字だった。

 すかさずライフルを元の位置に戻して、ゼルガードの首を巡らす。

 片手でマオを守りつつ、照準が目の前に浮かぶ中で視線を押し込んだ。眼差しで見詰めるだけで、ゼルガードは自動調節して発射タイミングを渡してくる。


「よしっ、バルカンっての! 御見舞おみまいしてやるっ!」


 ヴヴヴ、と軽い振動が操縦席に伝わってくる。

 ゼルガードの頭部から、なまりつぶてが連続で発射された。

 だが、やはり水中では威力が減退する上に、スカサハの装甲を撃ち抜けない。

 ならばと、腰のハンドグレネードに手を伸ばした、その時だった。

 激しい衝撃と共に、ウモンは座席を放り出されそうになる。ハーネスが身体に食い込んで、攻撃を受けたことを警告音が教えてくれた。

 のけぞりながらウモンは、後頭部をナユタの股間に突っ込ませる。


「っ、ウモン! こんな時に何を!」

「違う! 違うんだって! くそ、どうしてこういう配置に座席を並べてあるんだ!」

「知りません! 造った人類に聞いてください!」

「それより、ダメージは? まだやれるか!」

「やられました……完全に肉薄、密着されました。攻撃オプションの大半が封じられた形です」


 スカサハヤドカリは、高速で接近し、身を浴びせてきた。左右の巨大なハサミで、がっちりと挟み込まれ、無数の脚で締め上げ得られている。

 ウモンがはっと息を飲めば、以心伝心でナユタが拡大映像を回してくれた。

 視界の片隅に、ゼルガードの手に守られたマオが映る。

 ホッとしたのも束の間、ギシギシと不気味な音がゼルガードをきしませた。


「馬鹿な……ゼルガードの装甲を、自然界の動物が」

「そんなことより、ナユタ! あいつの鎧、スカサハには弱点はないのか!」

「ありません!」

「即答するなって。せめてこう、少し考えてから言ってくれ」

「……ええと、ええ、はい……ありません」

「もう遅いっての!」

「アリマセン!」

「早口で言えって意味じゃないからね!」


 なんだか最近、ナユタとの対話もこなれてきたイメージがある。最初は無表情に無感情、ナユタはまるで人形のような少女だった。だが、今は違う。わかりづらいが無表情なりに表情の機微きびがあり、マオと話してる時などごく普通の女の子に見えることもある。

 それはウモンにも嬉しいことだし、なによりマオが喜んでる。

 だから、また二人が手を取り合って会えるように、現状を打開するしかない。


「それにしても……流石さすがはスカサハですね。星槍ゲイボルグ発動用の機体ですが、インフィニアとの戦争で大破、喪失したとデータにはあります。恐らく頭部がないのは」

「なるほどな! ちなみに、星槍ゲイボルグそのものは」

「予備機のクー・フーリンによる運用を続け、最後には太陽系を出て外宇宙炎征艦隊がいうちゅうえんせいかんたいに加わった……スルトのくれたデータにはそう記録されています」

「なるほど! 物騒な星槍がもうこの星にないってわかっただけでもラッキーだ!」

「前向きです! ポジティブ!」

「でなきゃ、やって、られるか、よおおおお!」


 全パワーを解放して、ゼルガードはスカサハヤドカリの拘束を解こうとする。

 だが、僅かに隙間が生まれるだけで、締め付けから逃れる術はなかった。

 しかも、徐々に敵のパワーは上がって、じわじわとゼルガードは海の底に圧縮されてゆく。先程から操縦席では、警報が鳴りっぱなしだった。

 そんな時、ふとナユタが身を乗り出す。

 背後から前傾姿勢で何かを見詰める、そんな彼女の胸がたゆゆんとウモンの頭にのしかかった。


「お、おいっ! ナユタ!」

「待ってください、ウモン。マスターがなにか言ってます。身振り手振りで」

「うん? お、おう。これ、拡大してくれよ」

「了解」


 視界の隅でじたばたしてたマオが、大写しになる。透明なゼロロを身にまとってて、まるで初めて会った時のナユタみたいな密封状態だ。

 そして、彼女は必死になにかを訴えてくる。

 その意味が、兄であるウモンには以心伝心で伝わった。

 さらに、ナユタがなにかの操作を繰り返した結果、声が響く。


『お兄ちゃんっ! 片腕だけでも出せない? アタシをこいつの上に出して!』

「こ、声が? これって」

「ゼロロがマスターの声を電気信号に変換して、飛ばしてきてるんです。……あのスライム、やはりなにか……そ、それより、ウモン!」

「わかってる! うおお、マオに全部っ、賭けてみる!」


 最後の力を振り絞るように、ゼルガードの顔に光が走る。鋭い眼光と共に、フルパワーで拘束の中から右腕を振り上げた。その手を開けば、マオが魔力を集中させる。

 ゴボゴボと、まるで沸騰したように海水が騒ぎ始めた。

 そして、開いたゼルガードの手に魔法陣が浮かぶ。


『コール! サモンッ! なんか出ろっ、お兄ちゃんとナユタを……助けるんだからっ!』


 ゼルガードが巨大な人型兵器とはいえ、その手は人が一人立てる程度のスペースしかない。必定、大きな魔法陣の展開は無理だった。

 だが、忘れてはならない……マオは常識の通じぬ天才召喚師だということを。

 ぬるりと何かが飛び出た。

 ずるずると連なり出てくる、それは触手だ。

 狭く小さな魔法陣を、ミチミチと内側から押し広げるように異形が膨れ上がる。それは、太古の超兵器を纏ったヤドカリよりもおぞましい、海の魔王とさえ言える存在だった。


『さあ、クラーケン! 目には目を、海産物には海産物よ! ドッちめちゃって!』


 そこからはもう、南海怪獣大決戦だった。

 呼び出された巨大蛸きょだいたこ、クラーケンから身の毛もよだつ叫びが放たれる。スカサハヤドカリは、ゼルガードを放すや逃げ出そうとした。

 だが、そこへ触手が無数に絡みつく。

 八本の脚を使って、クラーケンが今度はスカサハヤドカリを完全に束縛してしまった。

 苦し紛れに放たれる水圧の刃も、ぬめるクラーケンの表面を傷つける事はできない。


「うげ、なんてもんを召喚するんだ……けど、今がチャンスだ!」

「あっ、見てくださいウモン! あの蟹みたいなのが」


 形勢は完全に逆転していた。

 それを悟ったのか、スカサハヤドカリは徐々にその身を震わせ、身にまとっていた鎧を脱ぎ捨てる。かつて星をも穿うがつらぬいた絶槍ぜっそうの担い手は、ばらばらになって海底に沈んでいった。

 我が家をかなぐりすてたことで、その宿主はどうにかクラーケンの魔の手を逃れる。

 必死で逃げてゆくその姿を、ウモンは追わなかった。


『お兄ちゃん、敵が逃げるっ!』

「いいんだ、マオ。敵じゃない……ただのこの海の生き物でさ」

『ウェスカー村の人たちが困ってるって』

「追い払えたんだ、もう十分だよ。それにほら、目的の物も回収できた」


 そう、影の女王の名を関する超古代文明のオーパーツ……星槍ゲイボルグで世界を震撼させた巨躯が、眼下の海底にばらばらに散らばっているのだった。

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