第23話「神秘の海のナユタ」

 ウモンの日々は一変してしまった。

 新しい日常は騒がしくて、まるで違ってしまった。誰もが送還術そうかんじゅつを求めて押しかけてくるし、世間で有名な冒険者たちからパーティの誘いまであった。

 だが、ウモンはまずは、王立亜空学術院おうりつあくうがくじゅついんを卒業すると誓っている。

 さらには、スルトの言い残してくれた旧世紀の遺産を始末するつもりだった。


「ウモン、そろそろ目標地点です。……驚きましたね、こんな近くに」


 今、ウモンはゼルガードの操縦席でナユタと立体画面を凝視していた。基本、ナユタが接続されている操縦席は、内壁全てが外を映し出す不思議な鏡だ。そして、ナユタの座る座席にも、四角い小さな鏡が備え付けられている。

 そこに浮かび上がっているのは、ブリタニア王国の地図だ。

 そして、いくつもの光点があちこちで点滅している。

 それが全て、スルトの教えてくれた旧世紀の兵器群だった。

 ナユタを挟んで逆側から覗き込むマオも、真剣な表情だ。


「ナユタ、地図を縮小……この星全体を見ることってできる?」

「可能です、マスター」


 ナユタが指で触れると、立体地図はあっという間に球体へと変形した。それがこの世界の全景であり、名は地球と言うらしい。こんなもの、教会の人間が見たら卒倒ものである。

 そして、太古の大戦争の痕跡は惑星のあちこちに散らばっていた。

 現在地、ジャンプ飛行で移動するゼルガードから一番近いのは、王都より少し離れた漁村である。正確には、その集落の湾内ということだった。


「ほら見て、ナユタ。天気がいいから、今日はエウロパがよく見える」

「エウロパ……ヨーロッパですね」

「あっちがフランツ王国で、その隣が鉄血帝国」

「どうやら国境は、私が知っている時代のものと大差ないようですね」


 遠く海の彼方に、大陸が広がっているのがウモンにも見えた。

 ブリタニア王国は島国なので、その国土は意外と小さい。それでも、エウロパ方面は勿論もちろん、その向こうの世界へも遠征と交易を繰り返している。この世は戦争が絶えず、その中で様々な技術が発展してきた。

 それは人類の繰り返しなのだと、以前ナユタが教えてくれたことがある。

 その時の彼女の、いつもの無表情が少し寂しげだったのをウモンはよく覚えていた。


「マスター、目標地点を肉眼で確認。ウェスカー村です」


 ゆっくりゼルガードが制動をかける。

 奇妙な浮遊感と共に、巨人は村の広場へと舞い降りた。

 突然のことで、周囲の漁民たちが唖然とする気配が伝わる。分厚い装甲に包まれた操縦席にも、驚きの声が伝わってきた。

 すぐにウモンは扉を開けてもらって、操縦席の外へと首を出す。


「すみません、お騒がせします! 俺は王立亜空学術院の召喚師……送還師です!」


 ざわめきの中で、ゼルガードがゆっくりと片膝を突く。

 その時にはもう、わきをすり抜けてマオが飛び降りていた。

 ふわりと赤い髪をなびかせ、サイズの大きい白衣がマントのように舞い上がる。こうして見ると、天才召喚師は容姿端麗ようしたんれい、可憐で溌剌はつらつとして見えた。

 とても、その全身に刺青タトゥのような紋様を無数に刻んでいるとは思えない。白衣の下は学術院の制服だが、以前と違ってタイツを履いていた。


「みんな、ド邪魔するわっ! ああでも安心して、仕事の邪魔はしないから。アタシたち、ちょっと海の中を調査したいの。ついでに、なにかあったら何でも相談して頂戴!」


 よく通る声と共に、ズルズル白衣を引きずりながらそでをばたつかせるマオ。その愛くるしい姿に、自然と漁民たちの緊張感が弛緩しかんしてゆく。

 学術院では高嶺の花とされ、そのことを疎む者の方が多い。

 しかし、見知らぬ者たちにとってマオは、小さな大召喚師のオーラを感じさせる美少女だった。


「召喚師様、ええと……ワシらの村になにかあったんじゃろうか。もしや」

「もしや? えと、おじいさんがここの長老かしら?」

「ええ、ええ。こんな辺鄙へんぴな場所に、学術院の方が来るってことは」


 ちらりと長老が海を見て、小さくため息を吐くのがウモンにも見えた。それで、ナユタにケーブルを出してもらい、ゆっくりと地面に降りる。

 その時にはもう、豊かな実りを揺らしてマオが胸をドン! と叩いていた。

 なにやら嫌な予感がする……あの満面の笑みは、自信過剰の現れだ。


「なるほど、妙な魔物が海に出るのね……任せて、アタシたちが退治してあげる」

「お、おい、マオ!」

「あっ、お兄ちゃん! なんかね、漁場を荒らすモンスターが出るみたい。さくっと退治するわ、アタシ。お兄ちゃんはナユタと調査を始めてて」


 村長とのやり取りもそこそこに、あっさりマオが退治宣言をしてしまった。

 その声に、周囲から「おお!」「流石さすがは学術院の!」「召喚師様々じゃあ」と声があがる。これはもう、あとからウモンが取りつくろっても無駄な雰囲気だ。

 だが、これから調査したい海域は、丁度漁場とも重なっている。

 安全に太古の遺産を見つけるには、魔物退治も理にかなった選択かもしれない……ただ、マオが引き受けたのはそうした計算など皆無で、ただの世間知らずのお人好しだからだ。


「マオ、じゃあモンスターは任せていいか?」

「うんっ! 適当に五、六匹召喚してやっつけちゃうから」

「気をつけろよ、お前……カナヅチだからな」

「うっ、平気だよぉ。アタシ自身は海に入らないから」


 マオは天才召喚師だが、逆を言えば召喚術以外は人並み以下である。運動神経こそいいものの、多くを欠落させた天才なのだった。

 ウモンは凄く心配だったが、天真爛漫なマオは一度決めたらテコでも動かぬ頑固さを秘めている。それを幼少期から思い知らされてるので、黙って送り出すしかない。


「ま、あとからタガサも来るからな。なにかあったらそっちと合流してくれ。慎重にな」

「任せて、お兄ちゃん! そっちも気をつけてね。ねえ、ナユタ! お兄ちゃんをお願いね!」


 顔だけ出してたナユタが、頭上で大きく頷いた。

 それでウモンは、再びケーブルを巻き上げてもらって操縦席に戻る。不思議とナユタは、いつもの仏頂面をわずかに和らげていた。最近はウモンも、ナユタの不器用な感情表現が少しだけわかるようになっていた。


「どした、ナユタ。なんか、面白いことでもあったのか?」

肯定こうていです。……いいものですね、兄妹きょうだいというものは。マスターも、ウモンと話してる時が一番楽しそうです。私にもこういう姉妹たちがいればよかったと思いました」

「姉妹? あ、もしかして」

「私は大量に生産されたアーキテクト・チャイルドなので、数万もの姉妹が存在します。皆、戦いの中で散っていきましたが」


 遙か太古の昔、人類はこの星を守る戦いの中で無数の禁忌きんきを犯した。生命の尊厳も、道徳も常識もかなぐり捨てて戦ったのだ。

 ナユタは、そうした時代が生み出した悲しい存在。

 だが、マオがそう思うように、ウモンも悲しいだけでは終わらせないと誓っている。

 もうすでに、マオが名を与えた銘冠持ちネームド亜空魔デモンは、それ以上の存在だった。


「っと、忘れてた。おーい、ゼロロ。ちょっと頼まれてくれるか?」


 立ち上がるゼルガードの操縦席で、ウモンはそっと右手のブレスレットに触れる。あっという間にブレスレットは、光を放って自ら膨らんだ。

 そして、目の前にぽよよんと不定形のモンスターが現れる。

 ウモンが唯一召喚に成功した、スライムのゼロロだ。

 ゼロロは嬉しそうに弾みながら、温かな光を滲ませていた。


「お前、マオの側にいて助けてやってくれよ。俺はこれから、ナユタと一緒に海中調査だからな」

「ロロー! ロッ、ロッ、ロッ!」

「はは、じゃあ頼む」

「ロッロロー!」


 ゼロロは勢いよく飛び出していった。

 それを見送り、再びウモンは扉を締めてもらう。

 再び立ち上がったゼルガードは、ゆっくりと海へ向って歩き出した。

 今ではすっかりお馴染みで、ウモンはナユタの右側にあぐらをかいて座る。


「ナユタ、ゼルガードって水の中でも動けるのか?」

「肯定です。アーマメント・アーマロイドは全領域対応ぜんりょういきたいおう汎用兵器はんようへいきですから。ただ」

「ただ?」

「水中では機動力や運動性が低下します。水中用の装備に換装するのが望ましいのですが」

「なるほど」

「それでも、この時代の野生動物に遅れを取ることはないでしょう」


 ザバザバと波をかき分け、あっという間に周囲の風景が海中へと沈んでいった。

 水は澄んで透明で、行き交う魚たちもこちらを警戒する様子が見られない。大自然のゆりかご、母なる海はどこまでも青く続いていた。

 なだらかな海底をゼルガードが歩き始めれば、ナユタが感嘆の声を漏らす。


「凄い……凄いですね。この時代の海は、生命の宝庫です」

「そうかぁ? これくらい普通だけど……! あっ! そ、そうか、お前の時代って」

「私たちの時代、海は大半が干上がっています。あらゆる生命が死に絶えました。だから……凄く、凄く凄く綺麗です。これが本当の海、なんですね」


 ナユタはぐるりと周囲を見渡し、瞳を輝かせている。

 そんな時だけは、人造生命の彼女が年相応の少女に見えた。

 周囲はまるで、万華鏡カレイドスコープ

 無数の光が入り乱れる、魚たちの楽園だった。


「ウモン、あれはなんですか! 脚が沢山あります!」

「ああ、たこだな。食うと美味いぞ。塩茹しおゆでにしてだな」

「あっちのも脚が沢山あります!」

「あっちは烏賊いかだ。脚の数が違って……うん、主に焼いて食べるな」

「ふふ、ウモンは食べ方の話ばかりですね。それはどんなカレー味ですか?」

「いやいや、何故なぜかああいう酒のさかな系がマオは好きでな。あと、カレー味もいいが、色々な味付けがある」

「それは……美味しそうですね。色んなカレー味を知りたいです!」


 会話に花が咲いて、パノラマのように彩られた海の光景はどこまでも続いてゆく。

 その時、二人はまだ気づかなかった……ゼルガードが向かう先、目標ポイントを示す光点がわずかに移動していることに。

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