第22話「その名は送還術」

 王立亜空学術院おうりつあくうがくじゅついんに、衝撃が走った。

 既存きぞんのベクトルとは真逆の、魔力供給を強制的に遮断して亜空魔デモンを送り返す術……それはすぐに、と呼ばれるようになった。その唯一の使い手、ウモンにとっては激動の一日がようやく終わった。

 学術院の教師たちによる聞き取り調査は、後半は尋問と人体実験になりかけてた。

 それから解放されたウモンは今、ホテルのロイヤルスィートに監禁されている。


「ふいー、疲れた……まったく、散々な一日だったよ」


 王国で一番の高級ホテルの、その最上階。いやに広くて落ち着かない一室で、ウモンは自分を引きずるようにバスルームへ向った。

 もう、へとへとのへろへろである。

 ゼロロなど、一緒にいて気疲れしたのか……バルコニーで液体になって広がっていた。どうやら、疲労で肉体を固形として維持できないらしい。

 ウモンも、さっさとひとっ風呂浴びて寝てしまおうと考えた。

 だが、服を脱いで扉を開くと、異次元の光景が目の前に広がる。


「おお……凄いな、これ。全部学術院の経費で落ちるのかな。だよな、閉じ込められてるんだもんな、俺」


 言うなれば、そこは桃源郷とうげんきょう

 湯けむりの中に今、楽園のような空間が広がっていた。

 黄金の獅子ししが吐き出すのは、ポンプで地上から汲み上げた温泉だ。湯船だけでもかなりの規模で、男子寮の共同浴場より広い。それもまた、黄金色こがねいろに輝いていた。そこかしこに配置された植物たちからも、爽やかな空気が醸し出されている。

 やや成金趣味な雰囲気だが、黄金風呂にウモンは疲れも忘れた。

 早速身体を洗って、湯船に浸ってみる。


「おお、極楽……しっかし、なんだな。フ、フフフ……フハハハハハ!」


 不意に笑いが込み上げた。

 初めて感じる、これが勝利の味というものだろうか。

 今の今まで、敗北感と劣等感にさいなまれてきた。それでも卑屈にならず研鑽けんさんを積んできたが、まさか自分に隠された力が『召喚する術』ではなく、真逆の『送還する術』だったのだ。

 自分が開く亜空間は、逆流している。

 だから、その中へと放り込まれた亜空魔は強制的に元の世界へ送り戻されてしまうのだ。


「送還師、ウモン……うんうん、悪くない! いいじゃないかあ!」

「だよねだよねっ!」

「そうさ、これも全部マオのおかげ……ん? お、おお?」

「そうよ! アタシのおかげ! やっぱ、アタシってばド天才!」


 突然の声に、驚きウモンは飛び上がる。

 そのまま壁へと背を押し付ければ……目の前に、全裸の妹がいた。

 見慣れた裸だ、黄金比の過積載としか言えない美の結晶である。

 だが、湯けむりにかすんで見えるその姿は、一変していた。


「マオ、お前……どっ、どうした! その身体!」


 そう、淡雪あわゆきのように白いマオの肌が、明滅していた。

 よく見れば、赤く光る紋様もんようが全身に刻み込まれている。それはまるで呪詛じゅそのように、美しい少女をむしばんでいた。騒がしくも愛くるしい妹は、なにか禁忌きんきを犯したようだ。

 だが、マオ本人は全く気にした様子がない。


「ああ、これ? これはね、お兄ちゃん。言うなれば魔力の出力バイパスよ」

「出力バイパス……って、こっちに来るなって!」

「だって、口で説明するより触った方が早いんだもの」


 ザバザバと湯をかきわけながら、マオが近付いてくる。

 タオルで身を隠しながら、とか、そういう恥じらいは一切ない。本当にマオは、幼い頃のそのままの気持ちを兄にぶつけてくるのだ。それはウモンには眩し過ぎて危うくて、なんだかとても落ち着かない。

 壁際に追い詰められたウモンの手を、そっとマオは握った。

 そして、導かれるままにウモンはマオの胸に触れる。


「ほら、わかる?」

「え、あ、お、おっ、お前ーっ!」

「どうかな、ねえ、どうかな!」

「ど、どうって……成長、したな、って」


 たっぷりとした膨らみと重みが、肌の火照ほてりを伝えてくる。

 だが、熱いのは湯の熱だけではなかった。

 真紅に光る紋様から、魔力が注ぎ込まれてくる。

 常人以下の僅かな魔力しか持たないウモンに、マオの膨大な魔力が流入してくるのが感じられた。


「マオ、お前……」

「お兄ちゃん、やっぱり普通じゃなかった……すっごい才能、持ってた! だからね、アタシがいつも、いつでも、魔力を貸すの。……いつまでも、こうして」


 信じられない程の信頼と献身がそこにはあった。

 マオは昔から、これと思い込んだら周りが見えなくなる。まだ嫁入り前の自分の身体を、躊躇ちゅうちょなくこうしてしまえるのだ。

 それはとても純粋過ぎて、薄ら寒く思える程に恐ろしい。

 だが、うっそりと微笑むマオを間近に見て、ウモンは言葉を失った。


「アタシ、全身にって訳じゃないし……これで70%くらい? でも、こうして密着すれば接触面が増えて、魔力の供給も増大するのっ!」

「うおお、抱き付くなーっ! は、早くそんなもの、消しなさいって!」

「うにゅ? どして?」

「お、お前っ、嫁入り前の娘が! 刺青タトゥみたいで、その、なんていうか」


 そう、マオの可憐な美しさが台無しである。

 だが、ぐいぐい身を寄せてくるマオから目が離せない。

 不気味な紋様の光が、マオの上気した表情を浮かび上がらせる。妖しくも背徳的な美しさがあって、思わずウモンはゴクリと喉を鳴らした。

 だが、自分を落ち着かせつつマオの両肩に手を置き突き放す。


「……マオ、すぐに消してきなさい」

「やだ」

「お兄ちゃんの言うことを聞きなさいって! 取り返しがつかなくなる前に!」

「それにこれ、消えないよ? アタシの有り余ってダダ漏れな魔力を可視化しただけだし」

「なっ……どどど、どーするんだよ!」

「どうもしないよ? アタシ、お兄ちゃんの力になりたいの」


 健気なことを言っても、マオの兄妹愛きょうだいあいいびつで過激だ。その一途な暴走には、毎度ながらウモンはタジタジである。

 まさか、兄のためにこんなことまでしてしまうなんて。

 まだ十代半ばなのに、彼女の肢体は妖艶ようえんな魅力にただれていた。

 そして、マオ自身はそのことに後悔も羞恥も感じてはくれない。


「……だいたいなあ、マオ。どうやってここに? 見張りがいたろ? 俺、監禁されてるんだけど」

「んとね、なんか飛べるの適当に召喚して、キーンって」

「ア、ハイ。キーン、ね……」

「そそ、キーンって」


 天才とアレは紙一重という言葉に実感が持てる。

 しんみり感じたくはなかったが、嫌でもわからされる。

 破天荒はてんこうで型破り、それがマオなのだ。


「それにね、お兄ちゃん。スルトが最後に言ってたこと……覚えてる?」

「あ、ああ。喜んでたな。ありがとうって……俺、自分の術で人に感謝されたこと、初めてかもしれない」

「うんうん。それともう一つ」


 まだまだこの世界には、旧世紀の文明の遺産が無数に埋まっている。

 そうスルトは言い残して、この世界から退去していった。できればもう、二度と召喚されないでほしいと心から思う。

 そして、スルトを生み出した太古の文明は、まだまだこの大地に眠っているようだ。

 古代の遺産と言うには、あまりにも物騒過ぎる置き土産の数々。

 それをある意味で、スルトはウモンたちに託してくれた。


「スルトは、なんだっけ……んと、自分を戦史保管機せんしほかんきって言ってたわ。その情報の一部が、ナユタのゼルガードに送られてきたって。今、解析してもらってる」

「なるほど。じゃあ、決まりだな」

「でしょ? だよね! アタシ、お兄ちゃんならそう言うと思ってた!」

「こ、こら! だから、ひっつくなっての!」


 マオに頼らざるを得ないとはいえ、ウモンは自分だけの力を手に入れた。だが、その使い道を誤れば、それはただの力でしかない。最悪、暴力となって召喚師たちの驚異になるだろう。

 力を強さに変えて、正しく使うこと。

 これが、ウモンにとっての新しい目標だった。


「今後は、学業と並行して俺は古代の遺産を発掘して回る。必要なら、誰かの手に渡る前に俺の術で……亜空間の彼方へと葬り去る」


 そう、送還術は使い方次第では恐ろしい力となる。

 なにせ、亜空間を通じて任意の異世界へと回廊を開き、その向こう側へと吸い込ませてしまうのだ。そしてその対象は、召喚された亜空魔に限らない。

 はからずもウモンは『なんでもこの世界から消せる力』を手に入れたのだ。


「マオ、その……俺の送還術にはお前の力がどうしても必要だ。だから……手を貸してくれるか?」

「もっちろん! アタシ、ずっとお兄ちゃんと一緒だから!」

「だーかーらー、抱き付いてくるなーっ! ……ん? あ、あれ?」


 ふと気付けば、生温かい視線がニマニマとこちらを見ている。

 気付けばバスルームの入り口に、タガサがなんともいえぬ生温かい笑顔で立っていた。それだけではない、ウラニアを連れたインリィも一緒である。


「いやあ、仲良きことは美しきかな、ですね。あ、ボクもお手伝いしますね? ウモン殿。一緒に太古の危険な遺物を調べて回りましょう」

「……で、この兄妹はいつもこうなのか。けっ、見てられねえぜ! なあ、ウラニア!」

「とりあえず、明日は八時から総合病院の方で解剖……じゃなくて、検査がありますので」


 その後、数日かけてウモンは学術院の聴取に応じた。健康診断も受けさせられたし、改めてマオがタガサと研究していた亜空間理論、亜空流の存在が証明されたのだった。

 だが、それがブリタニア王国に新しい風を呼ぶ。

 強く荒々しい風は、ウモンたちを旧世紀との対峙にいざなうのだった。

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