第17話「最弱召喚師にも明日はある」

 結局、ザフィールはなにかしたかったのだろうか。

 それはウモンにはわからない。

 しかし、戦いを拒否する亜空魔デモンなど始めてみた。そして、そんなスルトの心情だけはなんとなくわかるような気がした。

 炎の魔神スルトの伝説では、彼は世界に一人ぼっちになってしまったのだ。

 敵も味方も、皆が死んだ……そういう大きな戦争、それが神々の黄昏ラグナロックと呼ばれている。


「確かに、召喚されてまで戦いたくないよなあ」


 そうぼやいて、ウモンはコーヒーを一口。

 午後の日差しが温かくて、とても気持ちがいい。

 ここは、マオに新しく与えられた研究室である。彼女はもう、授業は必要ない……本来学ぶべきことの大半を、スッ飛ばしているが問題ないらしい。

 常識を知るからこそ、常識破りができる。

 形から入って形を出る、これを姿とも言う。

 しかし、それは凡人の発想で、天才にはどうやら関係ないらしかった。


「もーっ、お兄ちゃん! ド呑気のんきにお茶してる場合?」


 召喚したノームたちに荷物を運ばせながら、マオがプンスコとほおを膨らませる。彼女は今、学術院の制服の上から白衣を身にまとっていた。というか、袖は余ってるし裾は引きずっていた。

 まだまだあどけなさの残る姿に、それはとても不釣り合いだ。まるで着せられてるみたいな雰囲気があって、それがまたとてもかわいい。

 ちゃっかりタガサもいて、彼もメイド服でコーヒーのおかわりを用意してくれる。

 平和だ……ザフィールがいないだけで、こんなにも平和だった。


「しかし、なかなか広い研究室じゃないか。お前、これで名実ともに学術院のエースだな」

「へへ、そうでしょ! ねね、アタシ偉い? ド偉いよねっ! 褒めて、もっと褒めて!」

「あー、はいはい。偉い偉い」

「そうじゃなくて、もっとこぉ! プロポーズするみたいに褒めて!」

「……いや、それはちょっと」


 クスクスとタガサが笑っている。

 うんうん、やっぱり平和である。

 コーヒーが美味うまい。

 が、そんなにマッタリとしている時ではなかった。授業も終わっての放課後とはいえ、タガサに頼まれてやってきたのだ。因みに彼は、今後はマオの助手として研究室で働くらしい。なんでも錬金科の方では美人錬金術師がやってきたと大騒ぎになってるとか。

 そのタガサだが、貞淑ていしゅくなメイドそのものな雰囲気で微笑ほほえむ。


「さ、ウモン殿。お願いしたように是非、やってみてください。もっとデータが必要です」

「あ、ああ、そうだったな。えっと、普通に召喚するだけでいいんだな?」

「ええ」


 タガサは、錬金術の視点から召喚の仕組み……その根幹となる亜空間あくうかんの調査を始めた。そしてそれは、マオの研究ともなにか関係があるらしい。

 そのマオだが、フンス! と鼻息も荒く荷物をどける。

 ちょうど目の前に、研究室の床が程よく広がった。

 もともとウモンは魔力が低く、巨大な魔法陣を生み出すことはできない。だから、研究室の片隅を使うだけでも、むしろ広過ぎるくらいだった。


「お兄ちゃん、頑張って! 駄目ならアタシも手伝うから!」

「い、いいよ。あと、タガサ。あんま期待しないでくれ……なにも出てこないかもしれない」

「ふふ、大丈夫ですよ。大事なのは、魔法陣を通じて亜空間を開くことですから」


 それでは、と立ち上がって気合を入れる。

 そんな自分を応援してくれるように、手首に巻き付いたゼロロが点滅した。

 相棒の励ましを受け取り、ウモンは改めて両手を前へと突き出す。

 精神を集中させ、ありったけの魔力を励起させた。


「コールッ、サモン! なんでもいい、出てこぉーいっ!」


 光が走る。

 無数の光が幾何学模様を描いて、その連なりが折り重なって魔法陣を描き出した。

 だが、やはり小さくて頼りないし光が弱々しい。

 まるで、今にも消えてしまいそうな輝きだった。

 それでも、気にした様子もなくタガサはなにかを放り投げた。それは、すっと静かに波紋すら広げず魔法陣の中へと消えてゆく。

 気になるのか、マオが横から顔を出してそのことを訪ねた。


「タガサ、今のは? 昼間、ザフィールの魔法陣にも投げ込んでたわよね?」

「うん。これはボクの作った観測機です。シンプルなもので、いうなれば『人工の亜空魔』みたいな、機械の下僕しもべですね」

「へえ、錬金術ってそんなこともできるのね!」

「魔力に頼らない、頼れないのも錬金術でして。これなんかは魔石といって」

「あ、待って! 難しい話はいいわ! それより」


 ちらりとマオがこちらを見る。

 心配そうな顔をしている。

 溌剌はつらつとして快活、無敵に素敵で唯我独尊ゆいがどくそんな妹のマオ。こんな顔を見せるのは、ウモンにだけだ。そして、それがウモンには切ない。

 マオは、研究テーマの一つとして、ウモンの謎を調べているという。

 だが、謎でもなんでもないのだ。

 こうして召喚魔法を使えば、わかる。

 単純にウモンは弱いのだ。

 そう生まれて、努力すれども及ばず、今も最弱で最低の召喚師でしかない。


「んぎぎ……なんか、出ろよ……」

「お兄ちゃんっ! 意識を集中して! こう、ンギー! って感じでうおおー、って!」

「任せろ……絶対に、二匹目、ゲットだ、ぜええええっ!」


 だが、徐々に光がしぼんでゆく。

 まただ……また、魔法陣はひび割れかすむように薄れてゆく。

 次の瞬間には、弾けるようにして魔法陣は消え去った。

 そして、ぐったりと疲労感によろけて、ウモンはその場にへたり込んでしまう。

 やはり、駄目だった。

 そういう想いが込み上げてしまうこと自体が悔しかった。


「はあ、はあ……駄目か」


 気付けば汗びっしょりで、ウモンはひたいを手の甲で拭う。

 またしても失敗に終わったが、タガサはなにやら奇妙な板を取り出し熱心に指を走らせ始めた。見れば、木枠で囲んだ鏡のような板で、ほのかに光っているのがわかる。


「ああ、これですか? さっきの探査機からのデータを受信しているんです。ほら、見てください」


 見た、けど、意味がわからない。

 無数の数字が並んでて、それが上下を繰り返している。

 本当にそれだけで、なにがなんだかわからない。見てるとなんだか頭が痛くなってくるし、マオなんかは覗き込んですぐに「げげっ!」と嫌な顔をしてみせた。

 だが、これが先程ウモンが開いた亜空間のデータらしい。


「亜空間については、わからないことも多いそうですね。残念ながら、磁力も電波も、勿論もちろん光も音も外に漏らさない。密閉された仮想空間であることは間違いありません」

「でも、タガサ。それ」

「ああ、いいところに気が付きましたね! そうです、ウモン殿。唯一魔力だけが、亜空間とこちら側を行き来しています。そして、召喚される亜空魔のいるあちら側にもね」


 探査機は、小さいながらも錬金術と召喚術のハイブリットだという。残念だが、今の錬金術では亜空間とのやり取りが不可能だ。そこで、唯一双方を行き来できる魔力を、探査機に込められた小さな魔石から発してもらう。

 送られてくる魔力の波長は、予め与えられた術式で様々なデータを送ってきていた。


「つまりですね、ウモン殿。マオも。いうなればボクの探査機は、亜空間で擬似的に召喚した亜空魔のようなものです。魔力で繋がり、言うことを聞いてくれる。だからこうして」

「あーもぉ、やめてー! 数字見せないで! なによもう、そんなの見てたら頭がおかしくなっちゃうわ」

「あ、この数字の羅列にも意味があって、例えばここの八桁は」

「だから、いーのっ! ……ま、アタシの仕事手伝ってくれるんだし? タガサもこの研究室を好きにしていいわ。それと、あとで情報は共有して頂戴ちょうだい


 マオの言葉に、タガサが大きく頷く。

 やれやれとウモンも立ち上がれば、もう既にそとは日が傾いている。

 今日も忙しくも騒がしい一日が終わろうとしていた。


「さて、タガサ。お前、寝泊まりはどうするんだ?」

「ああ、それでしたら御心配なく。今後とも宜しくお願いしますね、ウモン殿」

「……は?」

学術院がくじゅついん寮舎りょうしゃでお世話になるつもりなんですが、部屋が空いてないと言われてしまって」

「すまん、話が見えてこないんだが」

「一緒に寝起きするって話です、はい」


 いい笑顔でニッコリとタガサが笑う。

 白い歯が溢れて、実に健康的な笑顔だった。

 だが、突然の同室を申告されてもウモンは困った。


「いっ、いい、いやお前、なに言ってるんだ! しかも、その格好でだろう?」

「大丈夫、ボクは正真正銘の男ですよ」

「問題の本質を理解していないようだな、タガサ」

「……まあ、迷惑をかけるとは思います。すみませんね、ふふふ」


 そう言って笑ったあと、ふとタガサの目が遠くを見やる。

 丁度、ここから見える学術院の広大な庭に、屈むゼルガードの姿が見えた。長い影を引き出される機体の胸部が開いてて、ナユタらしき人影が見えた。

 その光景が赤く染まる中、タガサは目を細める。


「ボクはどうやら、上手く男に生まれられなかったみたいでして……でも、こうして綺麗な服を着てめかしこむと落ち着くのです」

「そ、そうか……まあ、うん。俺は構わないけど」


 タガサには世話になったし、彼はアンスィ村に全てを置いて王都に出てきたのだ。それも、自分の好奇心と探究心に従った結果だろう。

 そういう一途で一生懸命な人間を、ウモンが嫌える訳がなかった。

 同居生活を許そうと思ったその時、パン! とマオが手を叩く。


「わかったわ! ド理解した、大丈夫よ! タガサ、あんた……アタシの部屋に来なさいよ」

「えっ? いいんですか? 女子寮は男子禁制では」

「あんたを見て男子だって言う人、いるかしら? アタシだってそう思うし、問題ないわよ。ただ、散らかってるから、その……掃除とか頼めると助かるのだけど?」


 今度はウモンが慌てて富める番だった。


「ま、待てマオ! こいつは男だ! 男と一緒に暮らすなんて、俺は認めないぞ!」

「んー、じゃあタガサはアタシの部屋を使って。いつも通りアタシはお兄ちゃんの部屋で寝るから」

「それ、マジでやめてね。いい加減、兄離れしてね……」


 なにはともあれ、タガサはどっちかの寮、もしくはその両方で暮らすことになったようだ。

 やれやれと思いつつ、ふとウモンは視線を感じて振り向いた。

 そこには、逆光の中でこちらを見詰める眼差し……ナユタだ。

 表情までは見えなかったが、手を振れば向こうも振り返してくれる。

 どうやら、今日も一日どうにか無事に終わりそうだと、その時のウモンは信じて疑わないのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る