第6話「はじめまして、相棒」

 一夜明けて、朝。

 恐怖の夜を眠れずに過ごしたウモンは、いつもの教室で爆笑を浴びせられていた。

 担当教師のインリィが、指をさして笑ってる。

 涙目になって、大爆笑しているのだった。


「先生……酷くないですか?」

「ギャハハ、だってよぉ! だ、駄目だ、オレぁもう、腹が痛くて……プッ!」


 可憐な妖精族、スプライトの美貌が台無しである。

 しかも、ブンブン周囲を飛び回りながら、360度全ての角度から笑ってくれる。

 そして、嬉しそうにポユポユ弾む物体がウモンの足元にいた。

 大きさは直径40cmくらいで、今は緑色……そう、昨夜の襲撃者である。

 馬鹿笑いのインリィを、亜空魔デモンのウラニアがいさめてくれた。


「インリィ、ウモン君がかわいそうです。それに、とても失礼かと」

「けどなー、ウラニア。あ、シメるのはなしな? 死ぬから……アーッハッハ! 死ぬほどおかしいぜ!」

「もう……ごめんなさいね、ウモン君。インリィも悪気があるわけでは……ク、ププッ」


 ウラニアですら、顔をそむけて肩を震わせている。

 酷い。

 そして、いたたまれない。

 正直、優しくされる方が傷付くのだとウモンは痛感していた。


「けど、よかったなあ! ウモン、お前は学術院に残れるぞ! あとでクラスのみんなに合流するといい!」

「うす、どうもです。……でもなあ、インリィ先生。俺、なんかさあ」

「いいじゃないかあ! かわいいし、それに……プッ、ハハハハハハハ! だせぇ! 超だせぇ! よりにもよって、そんなの召喚しちゃうなんてなあ!」


 そう、実は昨日のドタバタの中でウモンは召喚に成功していた。

 ザフィールのワイバーンに滅茶苦茶めちゃくちゃにされる前に、魔法陣から亜空魔が飛び出していたのである。そいつはかすかに魔力で繋がったウモンを探して、けなげにも男子寮の部屋まで這い寄ってきたのである。

 足元の脳天気な液体がそれである。

 液体なのだが、粘度があって丸みを帯びた姿を保っている。

 それは、外法種エクストラの中でも最低クラスのモンスター、スライムだった。


「どーするよ、ウモン? とりあえず、胸を張れ! 笑って悪かったな、まだまだ笑えるが……真面目な話、おめでとう。そして忘れるな。召喚の成功も結果も、

「は、はあ」


 先程からスライムは、ぽよよんと足元を弾んでいる。

 まるで、ウモンになついたかのようにすり寄ってくる。

 ひんやりとしてて、ちょっと気持ちよかった。


「で、ウモン君はその子に名を与えますか? それとも、他の子の召喚に成功してから考えますか?」


 ウラニアは口元を手で隠しつつ、優しく微笑ほほえんだ。

 まだ笑ってるよこの人……もとい、このラミア。

 またしても生温かい優しさが痛い。

 でも、もうウモンは心に決めていた。


「こいつが俺の最初の召喚した亜空魔……そして、ひょっとしたら最後になるかもしれないです、よね」


 今度また成功するという確証はないし、自信だってない。妹みたいにスナック感覚でカジュアルに召喚できる人間など、この世で一握りだけなのだ。

 ただ、ようやく初めての召喚に成功したのも事実。

 そうとも気付かず帰宅してしまったウモンを、このスライムは追いかけてくれた。

 だからもう、心は決まっていた。


「こいつに名前、つけますよ。銘冠持ちネームドにして、一生大事にします」

「へえ……やるじゃねえか、ウモン。おう、いい面構えになってきたぜぇ?」

「だって、インリィ先生。こいつ、俺なんかじゃなきゃまともに使ってやれないですよ。確かに弱いモンスターかもしれないけど、それは俺も一緒だし」


 弱い、最弱だ。

 ウモンがそうであるように、スライムもまた最低レベルのモンスターである。その証拠に、王立亜空学術院おうりつあくうがくじゅついんの公的な検査では、最低のEランクだと言われた。最弱のスライムの中でも、最高に弱い個体らしい。

 だが、ウモンには関係なかった。

 弱いと知ったら、そこから強くなれる。

 そう信じて今までやってきた結果が、このスライムなのだ。

 そっとスライムを両手で拾い上げ、差し込む太陽の光にかざすウモン。


「よし! お前の名前は、ゼロ! 始まりのゼロ……だと格好良すぎるから、ゼロロだ」


 ゼロロと名付けられたスライムは、照れたように桜色に染まった。そのまま七色に発光するとますます元気そうに教室内を跳ねまくる。

 なんだか喜んでるみたいで、ウモンも少し嬉しかった。


「おいおい、はしゃぐなよ。なあ、ゼロロ。お前は自分の形を変えられるみたいだけど……質量はどうだ? 言ってる意味、通じるかな……ぎゅーってなれるか?」


 ゼロロはウモンの前まで戻ってくると、首をひねるように左右に揺れた。

 ウモンが身振り手振りで「小さく、小さくなれるか?」と屈んで説明する。

 はっきりとゼロロが大きく頷くのが、ウモンには伝わってきた。

 そして、ゼロロは踏ん張るように身を震わせる。その緑色の体が、徐々に小さく色濃く変化していった。あっという間に質量が半分以下になり、まだ縮む。


「よし、それくらいでいいよ。俺の手首に巻き付けるか?」


 わかったとばかりに、小さくなったゼロロが飛び跳ねる。そして、シュルシュルとウモンの右手に巻き付いた。やっぱり、ひんやりすべすべしてて奇妙な心地よさがある。

 相棒は今、ブレスレットの形に収まった。


「なるほど、質量もだけど質感、硬くもなれるのか」

「どうだ、ウモン! 自分の亜空魔、しかも銘冠持ちは」

「あ、はい、インリィ先生。仲良くやってけそうです。それにこいつ、戦えば弱いかも知れませんが……使い方によっては便利だろうし」


 召喚師の仕事は多岐に渡る。

 王国が正式な資格を与えた召喚師は、大半が軍に入ってそのまま国防の任務につく者が多い。また、それと同じくらいフリーの冒険者になって世界中を旅する者もいる。

 ウモンが目指すのは、後者だ。

 それはもう、インリィにもウラニアにも伝えてあった。


「ふむ! では、ウモンッ! これより通常クラスへの復帰を認める!」

「もうすでに、クラスメイトたちは実地試験で学術院の外に出ています。すぐにウモン君にも、亜空魔を使っての仕事を課題として与えますね」

「それなんだがな、ウラニア! オレはもう密かに用意しておいた! ダッテー、絶対合格スルッテ信ジテタカラー」


 インリィの言葉は、後半が棒読みで白々しかった。

 だが、彼女はウモンの肩に腰を下ろして咳払せきばらいを一つ。そして、珍しく真面目に声を作って新しい課題を教えてくれた。


「実はな、ウモン。お前の妹……マオの話だが」

「あ、はい。なにかしましたか? ……しでかしっぱなしですよね、すみません」

「天才は得てしてああいうものだ。しょうがないイキモノなのさ。それでな……お前、マオの外での実地試験に同行しろ。フォローが必要だし、お前なら適任だ」


 というより、ウモン以外にできる人間がいない。

 マオの実力と美貌、これは学術院の中では誰もが認めているし、憧れている。しかし、そんな彼女と親しくなりたいという者は少ない。嫉妬や羨望もあるし、特に同性の女子からの風当たりは強かった。

 マオの周囲には、姫と呼んでへつらう頼りない男子ばかりである。

 そして、そんな者たちにマオは決して心を開かない。

 彼女がウモンしか見てくれないことは、兄として悩みの種だった。


「学術長も、例のゴーレム……じゃなかった、ゼルガードか。あれに大変に興味をお持ちでな。なにせ、過去に召喚例がない全くの新種、分類不能だから外法種にしといたが」


 どうやら上層部は、マオとゼルガード、そしてナユタに探りを入れたいようである。だから、校外活動に出たマオをフォローしつつ、ゼルガードとナユタのことをできるだけ調べて欲しいと言われた。

 無論、ウモンに断る理由はない。

 それに、初めて召喚術で社会に貢献するなら、妹と一緒は心強かった。


「わかりました。でも……一つ、いいですか」

「なんだ、ウモン」

「あのゼルガード、危険なものだとわかったら、その時は」

「あー、それはわからん! なにせ、あれは……というか、中の人のナユタだかなんだかが、マオの銘冠持ちになってしまったからな。一心同体、片方が死ねばもう片方も同じく……だ」

「しかもあいつ、銘冠持ちのこと知らなかったんですよ……ありえないですって」

「だからな、ウモン。天才ってそういうもんなのさ」


 なにか悪い思い出があるのか、インリィが遠い目をした。

 そして、ウモンに新たな生活が開けて広がる。すぐにマオに合流して、準備ができ次第出発するつもりだ。

 決意も新たに、改めてインリィとウラニアに礼を言っていた、その時だった。

 突然、衝撃音が響いて教室が暗くなる。

 外を見れば、三色トリコロールの巨人が身を屈めて顔を寄せてきていた。


「お兄ちゃん! さっき学術長がね、お兄ちゃんとアタシでやってほしい仕事があるって! 無事にこなせたら、アタシに……自分専用の研究室をくれるんだって!」

「お、おう……えっと、その話は俺も今聞いた。一緒に行くからよろしくな」

「なら、善は急げだねっ! アタシ、超張り切ってる……ド元気、全開だよっ!」


 やる気があるのは結構だが、不安だ。

 マオは、胸部の操縦席――そう、どうやらナユタは中からゼルガードを操っているらしい――から顔を出している。開けっ放しの扉が上下に開いてて、その奥にはナユタの無表情もちらりと見えた。

 こうして、ウモンにとっての初めての冒険が始まった。

 その時はまだ、気付けなかった……旅立つ兄妹を物陰から、ザフィールが恨めしく睨んでいることを。

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