元カノたちは元カレの話をするか(1/2)


 昼休み。


 晴花と雨月の二人は、旧校舎三階の隅に位置する空き教室にて、昼食を取っていた。

 教室内に彼女ら以外に人影は見られない。


 段々と暑気が増し始める四月末の気温を含んだ風が、開け放たれた窓からそよそよと吹き込んでいる。


 窓際近くに向かい合わせで置かれた席に着く晴花と雨月は、そっと弁当に箸を伸ばして昼食を取りつつ、たまに雑談をする。

 和気あいあいとは言えない雰囲気ながらも、あの日の奇妙な出会いからほぼ毎回お昼を共に過ごしている二人の間に流れる空気は、決して悪いものではなかった。

 

 晴花も雨月も傍目には全くタイプの異なる人種ではあったが、幸か不幸か、共にお昼を過ごすような特定の相手が他にいないという部分に関しては同じであり……。

 そして、お互いに妙な親近感を覚えているという共通点が二人の付き合いを継続させていた。この妙な親近感について、二人は自覚的に似たような認識をしていた。


 それすなわち、己の不器用さが原因で恋人と別れることになったという点に置いて、目の前にいるこの人物は自分と似ている――という認識である。


 そしてそれは何ら間違っていない認識であり、だからこそ二人はお互いと過ごす時間に安心感にも似た感情を覚えていた。


 また、これは二人がお昼時を共に過ごし始めて一週間ほどが経った頃に発覚した事実だが、彼女たちの間には別の共通点もあった。

 なんと、お互い媒体の違いこそあれ、晴花は小説を書き、雨月は漫画を描くという――物語を紡ぐ創作活動を密かに行っていたのである。


 晴花が書く小説はいわゆる純文学に類されるものであるのに対して、雨月が趣味で描く漫画は俗に少女漫画と呼ばれる作風ではあったが、二人とも今まで真面目な創作活動を行っている同志に出会ったことがなかったため、なおのこと彼女らが互いに抱く親近感は強いモノとなっていた。


「常昼さん、昨日話していたことは覚えているかしら?」


 綺麗に空となった弁当箱を片付けながら、晴花が雨月をそっと見やる。


「は、はい、覚えてます……っ」


 昼食最後の一口を呑み込んだ雨月がコクコクと頷く。


 弁当箱を包み直してリュックサックに戻した雨月が代わりに取り出したのは、彼女が描いた漫画を印刷した用紙の束だった。

 同じように、晴花が鞄から取り出していたコピー用紙の束には、細かい文字列がずらりと並んでいる。


 創作に関しての話題が盛り上がった昨日、彼女たちは互いの作品を見せ合おうという話に行き付いていたのであった。


 特に気負う様子もなく机の上に自作の小説を乗せた晴花に対して、雨月は委縮するように前かがみとなって、己の漫画を胸に抱いていた。


「あ、あの……朝野、先輩……」


「なにかしら?」


「ぼ、ボク……、あの、昨日はあんな風に話して、い、一応、持ってきたんですけど、本当に、大したものじゃない、ので……」


「自信がないの?」


「じ、自信と、いうか、あの、た、たぶん朝野先輩の書いてるのと違って、ボクのやつは、ほんとにただ恥ずかしい妄想をそのまま描いただけのもので、よく考えると、人に見せるようなものじゃない気がしてきて……」


「うぅ……」と唸りながら、顔を赤くする雨月。


「大丈夫よ、常昼さん。少女漫画というジャンルは元来そういうものなのでしょう? 私はそういった類には造詣が深くないけれど、だからこそ、安易な批判は絶対にしたりしないわ。何も知らずにそんなことはできないもの。ただ私はあなたの作品に興味があって、もしその中に少しでも私の作品に活かせそうなものがあるなら、そういうものに触れるのもいいかもって、思っているだけだから」


「…………」


「それに、私の作品だけをあなたに見せるというのも、少し不公平でしょう?」


「うぅぅ……」


 咎める意図もなく、ただ自分の意見を述べただけの晴花に淡々と見つめられ、雨月はますます小さくなる。

 だが、何かを決心したようにふるふると首を振ると、恐る恐る漫画の冊子を差し出した。


「では、ありがたく読ませてもらうわね。はい、常昼さんもどうぞ」


 晴花は雨月から冊子を受け取り、自作の小説を代わりに手渡す。


 そして二人は、互いの作品に目を通し始める。


「………………」



「………………」


 ドキドキしながら晴花の小説を読み始める雨月は、どんどんと読み進めていくごとに、内心で首を傾げていた。


(これ、いつ話が動くんだろう……?)


 性別不詳の〝私〟が、環状線に乗って隣の駅に行こうとした所、誤って逆周りの電車に乗ってしまい、ぼうっとしていたせいで、その事実に気付いた時にはもう二駅ほど過ぎ去ってしまっていた――というような描写から始まるストーリー。


 窓際に立った〝私〟は途中下車することもなく、窓の向こうを流れる景色や、色々な乗客をただ淡々と眺めるだけ。


 文章には独特のリズムがあり、初めは読みにくいと思っていたが、いつのまにか読み進めるのも苦にならなくなっていた。


〝私〟の心情描写はほとんどなく、情景描写に力が入れられている。


 やがて〝私〟は、電車に手を繋いで乗り込んできた二人組を見るのだが、そこから連想される情報で、どうやら〝私〟が離婚したばかりであるということが示される。


(ここから新しい運命の出会いとかがあるのかな……)


 と、雨月が考えた所で、〝私〟は目的の駅に辿り着き、物語は終わった。


「……………………」


 文字数にすると六千字くらいだろうか。本当にいつのまにか、読み終えていたという感じだ。


『吐いた息を短く切り、私は電車を降りた。』という最後の一文からしばらく目を離すことが出来ず、雨月はぼうっとしてしまう。


(なんだろう、これ。なんかよく分からないけど、すごかった、気が、する……?)


 少女漫画を何も知らないと言った晴花同様、雨月も純文学というものを全く知らないのだが、純文学とはこういうものなのだろうか……?


 これは物語として成立しているのだろうか。


 首を捻りながら、コピー用紙に印刷された無機質な黒い文字列を、無意識の内に追い直し始める雨月。


 そんな風に、雨月の意識が晴花の小説に囚われている一方――。



 ――雨月の漫画に釘付けなっている晴花の顔は、真っ赤に染まっていた。


(な、な、なんなのっ、この話……っ!?)


 導入としては、新しい学校に転校してきた主人公の少女が、クラスメイトの男にひょんなことから気に入られる――というもの。


 気弱で引っ込み思案な主人公に、その男はしつこいくらいに付きまとう。


 過去の経験から人付き合いに苦手意識を持つ少女はそれを嫌がるのだが、男はそんな少女の意思を無視して強引に迫ってくる。


 そんな日常の中、少女が男に心を開きかけたある日のこと、また別の男と知り合った少女は、一見優しいように思われたその男に騙され酷いことを言われて、学校を休んでしまう。


 そして、ずっと少女に付きまとっていた男は、なんとその日の放課後に、少女の部屋にやって来る。


 涙を流す少女の頬に手を添え、見つめ、そのままベッドに押し倒す男。「泣いてると余計に可愛いなお前」と少女の耳にささやく男。一切の躊躇なく少女の唇を貪るように奪い、荒っぽく抱きしめたあとに、今度はそっと優しいキスをして、「好きだ。あんな男のことなんて、俺が忘れさせてやる」と言いながら少女の服に手をかける男。そして、そして、そして――――


(待ちなさい!? 何をやっているのこの男は!? バカなの!? ば、バカなの!? ご、ご、合意もなしに、普通に犯罪よ!?)


 晴花は思わず叫び出しそうになった言葉を呑み込み、内心で絶叫する。


 絶対に子供には見せられない何かに変貌していく二人から目を逸らそうとしても、どういう訳か、読み続けてしまう。目が離せない。


 体の芯にどんどん熱がこもって、疼くようで、心拍の速度が大変なことになっていた。


 無意識の内に自分の唇に指を触れている晴花の思考は、さらに荒れ狂う。――なんだこの男は。なんだこの男は。本当に、一体、何なんだ。


 少女が嫌だと言っているのに、それを気にした様子もなく強引に付きまとってくるし、少女が傷付いて一人になりたいと思っている時に限って現れて、からかうように笑いかけてくるし、少女が別の男に酷いことを言われ、過去のトラウマが蘇って泣いている時にやって来て、そんな過去のことなど忘れてしまうくらいグチャグチャにしてくるし――


(――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? 本当に何なの!?)


 そして、何より……だ。


 晴花が見る限りこの男、〝季刹〟にしか見えないのである。


 顔も背の丈も喋り方も雰囲気も、晴花の元カレである天本季刹という男にしか見えない。


 これを描いた雨月が、季刹をモデルにしてこの男を作り込んだと言ってもいいくらいだ。


 でも、そんな訳がない。そんな訳がない。流石にそんな偶然は有り得ないだろう。

 雨月が現実にいる誰かをモデルにしたのだとしても、それがよりにもよって晴花の唯一の恋人だった季刹になるなんて――どんな確率だ。


 そういえば……。


 雨月も一年以上前に恋人と別れたらしく、それがまさしく晴花との縁を深めた一因になっているのだが……、その雨月の元恋人について晴花はあまり詳しい話を聞いていないのだが……、まさか――。


 その時、晴花の脳裏に、馬鹿げているにも程がある可能性が過ぎったのだが、彼女は首を振ってそのあまりに下らない考えを切り捨てる。


(全く、私としたことが……。もう少し冷静になりなさい)


 だからこれはきっと、今なお季刹という存在に縛られ続けている晴花の脳が勝手に勘違いしているだけ――。そう考える方が余程自然だ。


 ……そうなのだとは思うが、それでも、この主人公の少女を無茶苦茶にしている男が季刹にしか見えないのは晴花にとって紛れもない事実であり――


「――っ!」


 パッチーン――ッ、と。

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