元カノ、ミーツ、元カノ……のち、天気雨(2/2)
今朝偶然見つけたひと気のない場所、北校舎最上階屋上前の空きスペース。
昼休み、雨月はそこでひとり昼食を取っていた。
イヤホンを耳に詰め、壁に背を預けて、モソモソと弁当の中身を口に運ぶ。
イヤホンから聞こえるのは雨月お手製の季刹の合成音声。
『――愛してるよ雨月ちゃん。世界一可愛い。だから雨月ちゃんには俺だけを見て欲しい。俺も雨月ちゃんだけを見てるから』
「うぇへへ、えへへへへへ……っ、うぇえへへへへへへへへへへへへっへへ」
人目がないのを良いことに、雨月が不気味な笑みをこぼしまくっていたその時、
「あなたは……?」と、困惑したような声が階段下から聞こえた。
「っ!?!?」
見ると、階段下の踊り場から、一人の少女が雨月を見上げていた。
驚愕のあまり凍り付いた雨月。
微妙ににやけた口元のまま固まった雨月を見て、その少女がなおさら当惑して眉根を寄せていた。
少女は思わず息を呑むほどの際立った美人で、凛と冴え渡った空気をそのしなやかな肢体に纏っている。
一目で雨月とは別の世界にいる存在だと分かった。
そして雨月がその少女を見るのは、初めてではなかった。
彼女はまさに今朝、季刹の視線から逃れようと咄嗟に隠れた時、誤ってぶつかってしまった先輩の少女だった。
彼女は一瞬何かを迷うように視線を彷徨わせたあと、厳かな雰囲気を引きつれて階段を上って来る。
「っ!? っ!? !?」
(な、なんでこっち来るのぉ……!?)
雨月は激しく動揺していた。
――なぜ、一体なぜ彼女は近付いて来るのか。
よもや、今朝の雨月の失礼に対して、責任を取らせようとしているのか。
お金か。お金を渡せば見逃してもらえるのか。しかし一体いくら――。
教室から持ってきていたリュックサックからサイフを取り出して目を回している雨月に、その少女は硬い表情で言う。
「あなた、今朝私とぶつかった子よね?」
「は、はひ……」
震える手でイヤホンを外し、涙目で頷く雨月。
蛇を前にしたカエルのようになっている雨月を見て、彼女は戸惑ったように首を傾げる。
「あ、ああ、あ、あ、あの、ぼ、ボクに、なにかぁ……」
瞳一杯に涙を溜め、ビクビクと震えている雨月を見て、ほんの少し傷ついたような顔をした彼女は口を開く。
「警戒しないでちょうだい。ただ、今朝のことをもう一度謝ろうと思っただけよ」
「へ……?」
「私の不注意で申し訳なかったわね。ごめんなさい。怪我は、なかったかしら?」
「ぇ……。……あ、あ、は、はい、ボクは、だいじょうぶ、です……」
「そう、ならよかったわ」
口元に笑みこそないが、彼女の纏う雰囲気が少し和らいだ。雨月の緊張も少し解ける。
雨月は改めて目の前に立つ少女を見上げた。
凛と整った美しい顔立ち。無駄一つないスマートなスタイル。癖っ毛の雨月が羨んでやまない真っ直ぐで艶やかなロングヘア。
まるで二次元の世界からそのまま飛び出してきたような圧倒的美少女だった。雨月が勝てそうな要素が何一つ見当たらない。
彼女が放つ美少女オーラだけで押しつぶされそうだった。
「私は二年生の
「ぼ、ボクは……えっと、その、
「そう、常昼さんね。常昼さんは、ここで昼食を取っていたの?」
「は、はい……」
「――一緒に食べる友達はいないのかしら」
「ぅぐ……っ」
見えないナイフが雨月の心に突き刺さる。
雨月の通っていた中学からこの高校に進学する者はとても少数だし、そもそも中学の時だってそこまで知り合いが多かった訳ではない。
唯一、まともに喋れる緋彩は別のクラスになり、初対面のクラスメイト相手に雨月が話しかけられる訳がない。
だから雨月は居心地の悪い教室から逃げ出してここで一人のお昼を過ごしていた。
要するに友達はいない。
「いえ、別に一人で食べることに文句付けてる訳じゃないのよ」
「…………?」
ポカンと口を開く雨月に、晴花が言う。
「ただ何も、こんな辛気臭いところでお昼を過ごす必要もないと思っただけ。お節介でよければ、もっと良い場所を教えましょうか?」
◆〇◆
流されるまま、雨月は晴花に案内されてとある空き教室に来ていた。
そこは、文化系クラブの部室棟の役割を果たす旧校舎の三階隅に位置し、物置代わりになっているのか、室内スペースの約半分は古びた椅子やら机やら資料やら、様々な物で埋まっていた。
晴花がガラッと窓を開けると穏やかな風が吹き込み、春のにおいがした。
「中々良い場所でしょう? 本校舎から少し遠いのは傷だけど、代わりにひと気も薄いわ。少なくともあんな場所よりはこっちで食べるご飯の方が美味しいと思うわよ」
「……は、はい」
積み上げられた資料の束を所在なさげに見やっていた雨月は、顔に緊張を走らせてコクコクと頷く。
「……じゃあ、私は行くわね」
抑揚の少ない表情でそう言って、雨月に背を向ける晴花。
その瞬間――、
「あ、あの……っ」と、雨月の口から晴花を呼び止める台詞が勝手に飛び出た。
雨月自身、どうして自分がそんなことをしてしまったのか分からず、二の句が継げなかった。
雨月の顔は青くなり、肌には冷や汗が吹き出して、お腹が痛かった。
緊張に混乱を重ねた雨月の思考力は失われ、思いつくままに選んだ彼女の言葉は、
「せ、先輩も、ひとりぼっち、なんですか……?」
(ボ、ボクはなに言ってるのっ!?)
意図せず投げかけてしまった失礼な問いを、雨月は「あ、いや」と咄嗟に取り繕うとするが――、足を止めて振り返った晴花は自嘲気味に笑った。
「えぇ、そうね」
晴花はため息混じりに窓の外へ視線をやる。
そんな彼女を見て、自分とは縁遠い存在だと感じていた晴花に、どうしてか雨月は親近感を覚えた。
「な、なにか、あったん、ですか……?」
「………………本当に愚かで情けない話よ」
再び晴花は自嘲をこぼした。
「少し前まで、私には恋人がいたのだけど、その彼と別れてしまっただけで、私はどうやって自分の時間を過ごせばいいのかも分からなくなったの」
「――――」
目を丸くする雨月に、晴花はハッと我に返るように唇を引き締めた。顔を伏せる彼女の瞳に、自己嫌悪にも似た色が浮かぶ。
「ごめんなさい、私としたことが……。初対面のあなたにする話じゃなかったわ。忘れてちょうだい」
「あ、あ、あの、その……」
その時、雨月の口は勝手に喋り出していた。
「ぼ、ボクも、あの……! ずっと前に、カレシと別れて……それで……あの、それからずっと仲良い友達もいなくて……あっ! い、いやあの別に友達がいないのは昔からなんですけど……っ! え、えっとぉ……っ」
雨月は自分で喋っていながら、自分が何を言いたいのか分からなかった。
こちらを胡乱げに見ている晴花の視線に、雨月の緊張と混乱は加速する。
顔が燃えるように熱くなり、瞳には今にも溢れそうなほど涙が溜まり、頭の中が真っ白になる。
「――落ち着きなさい」
気付けば、雨月の目の前に晴花が立っていた。
晴花は呆れ顔で雨月を見下ろす。
「何を言った所で私があなたを取って食う訳もないのだから、言いたいことを素直にそのまま言えばいいのよ。そう難しいことでもないわ」
その台詞の直後、何かに気付いたように目を見張った晴花は、まるで自分の投げたブーメランに撃ち抜かれたように胸を押さえて苦悶の表情を浮かべていたのだが、床を見つめてゆっくりと深呼吸を繰り返していた雨月はそれに気付かない。
そして、いくらかの平静を取り戻した雨月が顔を上げた時には、晴花はすました顔で背筋を伸ばしていた。
「「…………」」
沈黙を保ったまま見つめ合う雨月と晴花。
胸に手を添えた雨月はもう一度深く呼吸して、先ほど覚えた晴花に対する親近感から生まれた――もう少しこの人と話してみたいという思いに従って、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……。も、もしよかったら、ボクと一緒に、お昼、食べません、か……?」
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