元カノ、ミーツ、元カノ……のち、天気雨(1/2)

 校門からスタートを切り、全速力で校舎内に飛び込んだ雨月は、当てもなくひと気のない場所を探して彷徨いまくり、ついに北校舎の屋上前に辿り着いた。


 階段を上り切った先にあったその空間は薄暗く、屋上へと通じる鉄扉はしっかり施錠されていた。


 雨月は周囲に人の気がないことを再度確かめてから、埃っぽいリノリウムの床にとすんと腰を落とした。胸に手を当て、荒くなった呼吸を徐々に落ち着ける。


(――見なかった、ボクは何も見なかった、見なかった)


 雨月は今さっき目撃してしまった光景――季刹が巨乳美少女と仲睦まじそうに歩いていた記憶を封じ込める。


 少しでも気を抜いて余計なことを考えてしまう前に、雨月はイヤホンを耳に付ける。


 イヤホンから流れてくるのは、雨月が過去録音した季刹の声を元に作り出した合成音声だった。


 リアルな季刹の声色と語調を限界まで再現した雨月の自信作である。

 今の雨月は、季刹のどんな台詞でも人工的に作り出すことができる。


 とても人には聞かせられない台詞の数々に聴き入り、とても人には見せられない表情を浮かべる雨月。

 現実の季刹から目を背け妄想世界の季刹とイチャつきまくる雨月は時間を忘れ、気付いた時には、朝のHR開始五分前を告げる予鈴が鳴っていた。


 キンコンカンと鳴り響くチャイムに雨月はハッと顔を上げ、イヤホンを外した。


(は、早く教室に戻らないと、遅刻になっちゃう……っ)


「…………。遅刻、か……」


 切なさに染まった声をこぼした雨月は、何かを振り払うようにブンブンと首を振ると、薄青色のリュックサックを背負い直して階段を降りるのだった。



 ◆〇◆



 始業式翌日、二年生として最初の授業日。


「…………」


 午前の授業課程が終わり、昼休みになった瞬間、俺の視線は自然と晴花の席に向いていた。そして、全く同じタイミングで俺を見たらしい晴花と視線が重なっていた。


「…………」


 がやがやと俄かに活気づき、各々が連れ立って食堂に向かったり、机を突き合わせて弁当を取り出したりと騒がしい教室内。


 俺と晴花を結ぶ直線上だけ、ピンと糸を張ったような静寂があった。

 この時、俺と彼女は間違いなく同じことを考えていた。


 思い出されるのは一年生の時のこと。


 俺は、晴花と付き合い始めてからは基本的に二人でお昼時を過ごしていた。

 もはやそれは日常の一部になっていて、だからこうして午前の授業が終わった瞬間、ほとんど無意識に晴花の方を見てしまった。


 しかし、今までそうしていたのは俺と晴花が恋人という間柄であったからであり、もはや俺たちの間にその繋がりはないのだ。


 ……この間、僅か二秒。


 俺の胃はキリキリと痛みを訴えており、とてつもない気まずさがその場を支配していた。


 そんな張り詰めた緊張の糸を切ったのは、


「ねぇねぇきーくん、お昼いっしょに食べよっ」という、雪鳥ののんきな声だった。


 五メートルほどの間隔を空ける俺と晴花の間にスッと割り込んで来た雪鳥は、晴花に背を向けたまま俺に笑いかける。


「きーくんってお昼は食堂?」


「いや、購買でパンとか買うつもりだったけど……」


「そっかそっか。わたしはお弁当持ってきてるから、どうしよっか。わたしはまだこの学校のことあんまり知らないけど、どこか他に一緒に食べられそうなとこあるのかな?」


「あー、そうだな……」


 俺の視界の端、晴花が静かに教室を出ていくのが見えた。

 俺と付き合い始める前、ずっと一人で過ごしていた晴花のことが思い返されて何ともいえない気分になる。


 もやもやする。本当に、なんてめんどくさい感情だ……。


 もう俺と晴花は二人で昼を過ごすような仲じゃないだろ……。いやでも――。あぁもうこれ以上考えるな。


 面倒極まりない思考を振り払うと、俺は雪鳥に視線を戻す。


「お前転校してきたばっかなんだし、他のとこ混ざって友達でもつくってこいよ」


 こいつなら初対面のグループにでも上手く溶け込めるだろう。さっきからチラチラと雪鳥を気にするように見てる奴らもいるし。


「うーん、どうしよっかな」


 教室内に残ってるクラスメイトを見まわし、目が合った人物にはゆるやかに微笑みかけている雪鳥。


 すると、雪鳥と目を合わせた内の一人がこちらに近付いて来る。


「なんや季刹、自分カノジョと別れたばっかやのにもう新しい女つくっとんのか?」


 口の端に笑みを含ませながら俺の肩に肘を置いてきたのは、八島瀬那だ。


「いや、いいからそういうの」


 瀬那には昨日、俺と雪鳥の関係について話してある。だからこれは全部分かった上で俺をからかっているのだ。


「あ、八島くんだよね。きーくんと仲良いんだね!」


 雪鳥が嬉しそうに瀬那に話しかける。


「お、もうオレの名前覚えてくれとるん?」


「えへへ、わたし記憶力には自信あるんだ。八島くんはわたしの名前、わかる?」


「分かるに決まってるやん、世界一の美人さんやろ?」


「いやそれ名前じゃないし! あとそのボケ微妙に反応しづらいよ?」


「あーすまん、日本一くらいにしとくべきやったか」


「いやそれでも反応しづらい!」


「いやいや、雪鳥ちゃんはそれくらい可愛いと思うけどな。なぁ、そう思うやろ? 我が校31位のイケメン」


「どっちにしろ返しにくいボケを俺に振ってくんな。てか雪鳥の名前しっかり覚えてんじゃねぇか」


 ケラケラと笑い合ってる雪鳥と瀬那を見て、俺は息を吐く。


 普段ならもう少しノリ良く付き合ってやれる所だが、さっきの晴花のことが頭にチラついてどうにも乗り切れない。


「まぁそういう訳で改めてよろしくな。雪鳥ちゃんでええよな?」


「うんいいよー。じゃあわたしも瀬那くんって呼ぶねっ。よろしく瀬那くん」


 結局このあと、俺は雪鳥と瀬那の三人で昼食を取ることになるのだった。



 ◆〇◆



(あぁもう! どうしてこんなにイライラするの!?)


 弁当も持たずに教室を出てきた晴花は、胸の内に静かな苛立ちを溜めながら廊下を歩いていた。


 音もなく、しかし異様な圧を放ちながら歩を送る晴花の進路に立っていた体育教師が慌てて道を空ける。


(本当に何なの、あの女……っ)


 転校してきて早々、季刹のカノジョ面でもしているのか。


 いや、もし季刹が晴花と付き合っている時からあの女の乳に絆されていたのだとしたら、もう付き合っているのか。


 ……どっちにしても、腹立たしい。 


「…………」


 そういえば、あの女は季刹の元カノという話である。


 季刹と付き合うようになる前のはずだが、彼に恋人がいた時期があるという話はいつだったかに聞いた覚えがある。


 しかしながらその時は、その話に一切の関心を抱かずに聞き流したのだ。


 だが、今は……。


 今は、あの女と季刹がどのような関係なのか気になって仕方がない。


 あの女は、一度季刹と別れたにも関わらず、どうしてあんな風に季刹と親し気にしていられるのか。


 一度別れた恋人同士が、再び縁を持つということはあり得るのか。


 酷く身勝手に季刹を振ってしまった晴花にも――その可能性は、あるのか。


「…………」


 ……よく、分からない。


 今の季刹とどのように接すればいいのかが、まるで分からない。考えても考えても答えが見つからない。


 こんなことは初めてだ。だからどうすればいいのか分からない。


 ぐるぐる悶々と堂々巡りの思考を続ける晴花は、ふと空腹を感じて、今は昼休みだったと思い出す。


(私、彼と付き合う前のお昼はどうやって過ごしていたのかしら……)


 昼休みも、放課後も、休日も、季刹と出会う前は基本的に一人で過ごしていた。

 あの時は何とも思わず平気に過ごしていたはずの一人の時間が、どういう訳か、今同じ時間を過ごせと言われても平気で過ごせる自信がなかった。


 未だ捨てきれないプライドが認めたくないと叫ぶものの、心の奥深くでは、晴花は自分が今覚えてしまっている感情の名前を理解していた。


 ――寂しい……と。


(私、いつのまに、こんな……)


 愕然とショックを受ける晴花はフラフラと当てもなく歩き、いつの間にか北校舎の最上階付近に来ていた。

 埃っぽく、ひと気のない場所だ。


 屋上のある方から不気味な笑い声が聞こえてきたのは、そんな時だった。

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