ロストラブ・リコレクション


 じいちゃんに店番を引き継ぎ、俺は帰宅した。


 緋彩はまだ帰っていないようだった。たぶん部活の見学とかやってるんだろうけど。


 空は夕焼け色に染まり切っているが、夕飯までは時間がある。


「…………」


 こうして部屋で一人落ち着いていると、どんなに考えないようにしても、今日見た彼女たちの顔が頭に浮かんでくる。


 雪鳥ゆとりと、晴花はれかと、雨月うづきちゃん。


 俗な言葉で括れば、三人とも俺の〝元カノ〟である。


 晴花は別として、まさか雪鳥と雨月ちゃんまで俺と同じ高校に通うなんて……。


 ………あー、やめだやめだ。

 もう別れた子のことを考えても仕方ない。そういう未練たらしい思考は既に散々やっただろ。いい加減切り換えろ俺。


 こういう時は本でも読もう。

 そういえば、随分前に途中で読むのを辞めて積んでいる本があったはずだ。あれはどこにやったかな。


 本棚には見かけられないので、たぶん押し入れにでも突っ込んだのだろう。


 俺は雑多に物が詰め込まれている押入れを開く。本棚から溢れた本や漫画はここに置いているのだ。


 さて……と。


 目当ての本を探して物が多すぎる押し入れをまさぐる。


 ないなぁ……。別のとこに置いたか? などと考えながら押入れの中を掻き混ぜていると、とんでもない物体を発掘してしまった。


「――――」


 脳内にフラッシュバックするのは雨月ちゃんと付き合っていた頃の記憶で、思わず俺は頭を抱えて悶え喘いだ。



 ◆〇◆



 水気を拭いた指先で梳くと、緩いウェーブのかかった赤茶色の髪が揺れる。

 枝毛や切れ毛は見られず、キューティクルが艶やかに光を照り返している。

 肌はきめ細かになめらかでシミ一つない。

 眦が少し垂れた二重の瞳は円らにパッチリと開いていて、まつ毛も長い。

 鼻筋も小さく整っており、ナチュラル風に決めたメイクも素材の良さを最大限引き立てている。


 一歩下がって半身を確認する。

 制服の着こなしもバッチリで、健康的な細身のスタイルが映えている。


「うん」


 鏡に映った自分を見て、天本あまもと緋彩ひいろは満足げに頷いた。


(やっぱり私、かわいいな)


 今日は高校の入学式だった。緋彩が通うことになる四空高校では、入学式が終わったあとから部活の見学を行うことができる。文化系の部活も運動系の部活も勧誘が盛んで、部活動をしている先輩たちは快活的で楽しげだった。


 中学の時は陸上部に所属していた緋彩だが、高校でも陸上を続けようと決めている訳ではないので、新しく知り合った同級生たちと一緒に色んな部活を見学してきた。


 朝に聞かされた頭の痛くなる兄の妄言は置いておいて、中々充実した一日だったんじゃないかと思う。


 最後にもう一度可愛い自分を鏡で確認してから、緋彩は洗面所を出た。


「……」


 兄の奇声が聞こえたのは、自室に向かおうとした緋彩が、兄の部屋の前を通った時のことだった。



「――あ゛あ゛ぁ……ぁ゛ぁぁぁぁあぁ゛あ」



「……え、なに」


 思わず足を止める緋彩。


 精神衛生上、無視した方が良いのは分かっていたが、怖い物見たさでついドアノブに手を掛けてしまう。


 ドアを開くと、頭を抱えて部屋にうずくまり、芋虫のようにくねっている兄がいた。


「…………」


 できることなら見たくない光景だった。


 でもドアを開けたのは自分である。緋彩は自分も頭を抱えたい気持ちを堪え、一体何があったのかと室内を観察する。


 押し入れが開け放たれており、中はごちゃごちゃと散らかっている。小説や漫画がその前に散らばっていた。


 そして兄に視線を戻すと、その側に転がっている缶ケースに気付く。洒落た色合いのクッキー缶だが、中に入っているのは十中八九クッキーなどではないだろう。


「なにやってんの、お兄ちゃん……」


 緋彩の口から呆れ声がこぼれる。


 緋彩の兄――季刹きせつは、そこで初めて緋彩の存在に気付いたように体を跳ね起こした。


「げ、緋彩……」


 顔を青くした季刹は、慌てて缶ケースを背に隠す。


「ねぇ、それ何なの?」


「つーかお前せめてノックしろよ!」


「え? あー、うん。それはごめんだけど。……で、それなに」


「い、い、いやマジで全然大したものじゃないから」


 季刹の声が震えている。どう考えても大したものだった。


 気になる。


「いいじゃん、教えてよ」


「お前だけには絶対教えない」


 季刹は缶の中身を緋彩に知られることを異様に恐れているようであった。

 すると一つ、緋彩の頭に浮かんだ可能性があった。――ので、カマをかける。


「雨月、ちゃん……?」


 瞬間、季刹の顔色が分かりやす過ぎるくらい変わった。ビンゴだ。


 雨月は小学校時代からの緋彩の同級生で、高校も同じ所に進学している。

 付き合いこそ長いのだが、互いに気の置けない友達とも言い切れない。緋彩は友達だと思っているが、雨月の方が緋彩をどう思っているかはハッキリとしない。


 そういう微妙な仲がずっと続いている同級生であった。


 人見知りのきらいがあり、今日も部活見学などせず一早く帰宅したようだった。

 かなりの内気で何を考えているか分からないことも多いが、悪い子ではない……と思う。


 そんな雨月は、緋彩の兄である季刹と付き合っていた時期がある。

 それを知った時は、本当に驚いたものだ。


 しかし、季刹と雨月は既に別れている。

 どうにも雨月の方からフッたらしいのだが、別れたあとの雨月の落ち込みようは酷いものだった。

 兄も大概に鬱陶しく落ち込んでいたが、その比ではなかった。


 そして緋彩は雨月に『もう今後先輩のことは絶対ボクに話さないで欲しい』と言われてしまい、詳細を聞くに聞けなくなってしまった。

 緋彩は、今日の入学式前、季刹を見て悲鳴を上げながら逃げ出した雨月のことを思い出す。


 ……いくら元恋人同士とは言え、不可解な反応だ。一体二人の間に何があったのか。


 やはり気になる……。


 他者の色恋沙汰は、それが例え兄と自分の同級生のものであっても――いや、むしろ兄と自分の同級生のものだからこそ、気になる。

 他人の恋バナほど面白いものはない。必要最低限の礼儀は弁えるつもりながらも、首を突っ込める所に関しては全力で首を突っ込みに行くのが緋彩のスタンスであった。


 そして季刹が背に隠した缶ケースは、どうやら雨月に関わるものであるようだ。


「「…………」」


 緋彩と季刹のにらみ合いが続く。季刹の頬にはたっぷりと冷や汗が伝っていた。


「それってさ、もしかして雨月ちゃんに昔もらったプレゼントとか?」


「…………」


 そっと視線を逸らす季刹。


 全く、分かりやすい兄である。


 ずっと前に別れた元カノから貰った何某かをご丁寧に缶ケースに収納し大事に保管している兄。字面にすると、なんだかこっちまで情けなくなってくる。


(……本当に、どうしてこうなんだろう)


 緋彩は目を泳がせている季刹を――血の繋がった自分の兄を見据える。


 ルックスは……悪くないと思う。


 そもそも緋彩は可愛いのだし、その実兄である季刹の顔がそれなりに整っているのは自然なことだ。

 そこに加えて、季刹は晴花と付き合う少し前くらいから身だしなみにも人一倍気を遣い始め、筋トレやらランニングやら何やらの自分磨きまでするようになった。


 そんな兄は、外見だけで言えば――客観的な意見として、緋彩ほどではないにせよ、軽く人目を引くくらいにはカッコいいと思われる。


 季刹のことを知った緋彩の友達の中にも、ぜひ紹介して欲しいと言ってきた子が今までに何人かいた。


 だが、緋彩は思う訳だ。


(この絶妙に残念な感じが、どうにも……)


 外見が良くて、頭はバカだが成績もかなり良くて、運動神経もそこそこあって、性格も別にクズという訳ではないのに――。どうして、こう……要所要所で残念さがチラついてしまうのだろう。


 惜しい所で冴えないというか、なんというか。


「あのさ、お兄ちゃん」


「な、なんだよ……」


 缶ケースを緋彩から遠ざけ、季刹は声を震わせた。


「それ、そんなに大事なものなの?」


「いや……なんというか……、どうにも、捨てられないと、言いますか……」


「一年以上も前に別れた元カノとの思い出が捨てられないの?」


「うぐぅ……っ」


 見えない銃弾に撃ち抜かれた如く胸を押さえる季刹。謎の呻きを漏らしながら倒れかけた季刹だが、ギリギリの所で持ちこたえ、顔を上げて緋彩を見た。

 その目は、春休み中に調べたという残念な恋愛知識を披露してきた今朝のそれと同じだった。


「いいか、よく聞け緋彩」


「……なに」


 あんまり聞きたくないとは思いつつも、緋彩は頷く。


「こんな話を聞いたことはないか。男の恋愛はフォルダ別保存、女の恋愛は上書き保存である、と」


「聞いたことはあるけど……、それが?」


「もちろんこういうのは個人差も大きいと思うが、それでも、だ。こういう言葉が有名になるくらい、男は過去の恋愛の思い出を捨て切ることができない生き物ということだ。もうしょうがないんだ。上書きできないんだ。過去の恋愛は確かに過去のモノだが、確かに大切だったモノには違いないんだ。別に未練があるとかそういう話ではなく、大切な過去の思い出を捨てられないというのは、当然のことであると……、そう、思いませんか……? あの、はい……」


「…………はぁ」


 言葉尻が弱くなっていく季刹を見て、緋彩は嘆くように息を吐いた。


 兄の言い分に一理あるにせよ、ないにせよ、言い訳がましく長々とこんな言葉を並べる兄はやっぱりどうしようもなく残念だし、自分だったらどんなにイケメンでもこういう男はカレシにしたくないと思う緋彩であった。


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