The Introduction To One Of Three Ex-Girlfriends Of His~朝野晴花~
「――晴花がそう言うなら、俺から言えることは、たぶんもう何もないよ。……分かった、別れよう、か」
冷静な返事だった。
まるで自分と別れることに何ら未練を抱いていないかのような声音。
「……えぇ」
内なる動揺を抑え込みながら、晴花は声を絞る。
晴花は静かに焦っていた。こんなつもりではなかった。まさかこんなあっさり話が進んでしまうとは、完全に想定外である。
「それじゃあ、な」
季刹が晴花に背を向ける。
待ってと声に出しかけた台詞を、すんでの所で呑み込んだ。今の別れ話は本気じゃなかったと弁明したい欲求を、晴花はバッサリ斬り捨てる。
晴花のプライドがそうさせた。それをやってしまったら、もう季刹が好いてくれた朝野晴花ではいられなくなる。
今まで貫いて来た自分が自分ではなくなってしまう。
(――そんなの私らしくないわ。……それはダメ)
「もうしばらくは会うこともないだろうけど、機会があればまた学校でな」
晴花に背を向けたまま季刹が言った。
「えぇ」と、身を切るような後悔から目を背け、反射的にそう返した。
ひとりで歩く季刹の背が遠ざかっていく。胸の奥が締め付けられるように痛かった。
ひとりで立ち尽くす晴花の頭には『どうして』という思いが渦巻いていた。
どうしてこんなことになったのか。
(――どうして私は……、どうして彼は……)
やはり季刹は自分のことが好きではなくなっていたのだろうか。そうとしか思えない。
だからあんなにあっさりと別れ話を受け入れられたのだ。
きっと季刹は、晴花との別れを前々から視野に入れていたのだろう。
今まで考えもしていなかったその可能性が、ぽっかりと開いた晴花の心の隙間を突くようにして、スッと溶けて馴染んでしまう。
季刹は自分のことが好きだと思っていた。
そう信じていたし、好かれているという自信もあった。自分にはそれだけの魅力があるという自負があった。
ここ最近、全く以って進展がない彼との関係にも、
全然構ってくれず、素っ気ないような気がする彼の態度に対しても、
彼の気持ちが自分から離れているのではないか――という疑いを無意識に排除して、きっと何か別の理由があるのだと思い込んでいた。
――だって、私は季刹のことが好きで、季刹も私のことが好きなのだから。
そんな都合がいいにも程がある幻想を抱いていたからこそ、こんなことをしてしまった。
自分を好いている季刹なら、別れるのは嫌だと食い下がり、それを晴花が仕方なく受け入れた結果、彼が最近の晴花への態度を改めて、もっとたくさん構ってくれるようになると思っていた。
ここ最近の何となく噛み合わない二人の関係を改めるキッカケになると思っていた。
どうして、それ以外の結果に陥る可能性を考えていなかったのだろう。
本当に、どうして。
……バカなのは分かっている。他でもない自分がバカだった。まさか自分がここまでバカだとは思っていなかった。
酷い羞恥で顔が熱くなる。
唯一、季刹の手を借りることになったあの一件を除き――今まで何もかも一人で上手くこなしてきた晴花にとって、ここまで完膚なき失敗を果たしたのは初めての経験だった。
けれども、晴花にはこうすることしかできなかった。
朝野晴花という、誰にも媚びず、いかなる時も堂々と偽りのない自己を貫く――己の理想たるハリボテ。
そのハリボテのせいで、それが例え己の恋人でも、自分からはしたなく媚びるような真似はどうしてもできなかった。
甘えたくても、素直に甘えられなかった。
決して嫌いではなかった――むしろ誇ってすらいたはずの、そんな己の在り方に、今更ながら、手遅れなほど縛られている自分に気が付く。
どうして本当の私の気持ちに気付いてくれないの――と。
私のカレシならそれくらい気付いてくれてもいいでしょ――と。
この鈍感バカ……っ――と。
季刹にとっては理不尽極まりない、子供のワガママめいたことを考えながら――
どうしよう……と、年相応の少女のように晴花は涙ぐむのだった。
まだ日の高い空を飛ぶカラスが、かぁかぁとどこかの誰かを嘲笑っていた。
――
季刹と付き合うようになるまで、おおよそ色恋の類いに一切触れてこなかった彼女は、致命的なまでの恋愛オンチであった。
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